3月度総合朝礼 

一条真也です。
3月1日の午前8時45分から、わが社が誇る儀式の殿堂である小倉紫雲閣の大ホールにおいて、サンレー本社総合朝礼を行いました。今日も、気合を入れて臨みました。

3月度総合朝礼前のようす

最初は、もちろん一同礼!

社歌斉唱のようす

わたしが登壇しました

 

一同礼の後、全員で社歌を斉唱しました。その後、社長訓示の時間となり、わたしが登壇しました。まず、わたしは「昨日の大谷翔平選手の結婚発表には驚きましたが、まことにめでたいこと。これを機に、日本でも結婚ブームが起こってくれるといいですね。ということで3月になりましたが、なんだか信じられない思いです。今年の元旦、最大震度7能登半島地震が発生しました。この地震による死者は現在のところ石川県内で241人です。犠牲者の方々の御冥福を心よりお祈りいたしますとともに、被災者の方々にはお見舞いを申し上げます。このたびの震災に関してサンレーグループのみなさんから義援金が集められました。心より感謝申し上げます」と言って、一礼しました。

能登半島の話をしました

 

それから、以下のような話をしました。2月7日、能登半島の最奥部にある珠洲まで行ってきました。金沢から珠洲までは最短で片道約4時間、往復8時間かかりました。 能登半島珠洲はもちろん七尾さえもまだ水道が復旧しておらず、断水状態が続いていました。トイレに行くのをなるべく控えるため、朝から水分を控えました。それでも、簡易トイレは利用しました。珠洲に向かう途中、道路が大破していたり、家屋が倒壊した光景をたくさん見ました。今回の震災の甚大さを痛感しました。能登半島は一本道なので、渋滞がひどかったです。金沢を出発してから4時間半以上経過して、13時頃に車中で弁当を食べました。お茶も飲みたかったのですが、トイレに行きたくなるので我慢。珠洲市に近づくと、倒壊したお墓がありました。

珠洲紫雲閣での出来事について


熱心に聴く人びと

 

ようやく珠洲市に入ると、東京から来た赤十字社のテントをはじめ、他県からの応援の車両がたくさんありました。そして、ついに、わが社の珠洲紫雲閣に到着。下野支配人と中川副支配人が迎えてくれました。この日は下野支配人の54回目の誕生日だというので、「お誕生日、おめでとうございます!」の言葉を添えて、松柏園ホテルのオリジナルワインをプレゼントしました。そのとき、「マスクを外して一緒に記念撮影しよう!」と言ったところ、「じつは髭を剃っていないんです。ずっと風呂に入れなくて」と答えが返ってきました。その言葉を聞いたとき、わたしは被災者の方々の苦労を想いました。


正院町での鎮魂の祈りについて

 

それから、珠洲紫雲閣を出発したわたしたちは、下野支配人と中川副支配人の先導で珠洲市内でも最も震災の被害が大きかった正院町に向かいました。そこには信じられないような光景が広がっていました。見渡す限りの家々が倒壊しています。まるでゴジラに蹂躙されたような、まさに「カタストロフィー」といった光景でした。正院町の被災地を見ると、新しく建てたような家が飛び飛びにまったく損傷なく残っていることに気づきました。つまり、耐震基準の厳格化(1980年)以降に立てられた家は無事なのです。それ以前に建てられた家はすべて破壊された印象でした。わたしは、正院町の瓦礫の山を見渡せる竹林に移動し、数珠を持って犠牲者の方々の御冥福をお祈りしました。今年は、ぜひ、珠洲で「月への送魂」を行います!


正院町での鎮魂の祈りについて


熱心に聴く人びと

 

能登半島地震では、珠洲市の下水管被害(1月末時点)が総延長の約94%となり、被災自治体の中で突出していることが分かりました。104.3キロのうち97.9キロが被害を受けたとみられ、下水管とつながるマンホールが道路から突き出た光景があちこちで見られました。市は飲料水確保へ上水道の復旧を急ぎますが、生活排水を流す下水の復旧にはさらに時間がかかる見通しです。人が生きていく上で、一番大切なものは「水」です。そして、水の次に大切なものが「葬儀」だと思います。孔子の母親は雨乞いと葬儀を司るシャーマンだったそうです。雨を降らすことも、葬儀をあげることも同じことだったのです。雨乞いとは天の「雲」を地に下ろすこと、葬儀とは地の「霊」を天に上げること。その上下のベクトルが違うだけで、天と地に路をつくる点では同じです。

人間にとって最も必要なのは水と葬儀だ!



水がなければ、人は生きられません。そして、葬式がなければ、人は旅立てないのです。水を運ぶものは水桶であり、遺体を運ぶものは棺桶です。この人間にとって最も大切なものをテーマにした映画があります。その映画とは、新藤兼人監督の名作「裸の島」(1960年)です。瀬戸内海に浮かぶ小さな孤島に4人家族が住んでいました。夫婦と2人の息子たちです。島には水がないので、畑を耕すためにも、毎日船で大きな島へ水を汲みに行かなければなりません。子どもたちは隣島の学校に通っているので、彼らを船で送り迎えするのも夫婦の仕事です。会話もなく、変化のない日常が続いていましたが、ある日、長男が高熱を出し、島には病院がないので亡くなってしまいます。夫婦は亡き息子の亡骸を棺に入れて墓地まで運びます。

最後に道歌を披露しました

 

そう、「裸の島」夫婦が一緒に運んだものは水と息子の亡骸の入った棺でした。二人は、ともに水桶と棺桶を運んだのです。その2つの「桶」こそ、人間にとって最も必要なものを容れる器だったのです。水がなければ、人は生きられません。そして、葬儀がなければ、人は旅立てないのではないでしょうか。悲嘆にくれる母は、息子を失った後、大切な水を畑にぶちまけて号泣します。葬儀をあげなかったら、母親の精神は非常に危険な状態になったでしょう。最後に、わたしは「喉が渇けば、人は水を必要とし、愛する人を亡くして心が渇けば、人は葬儀を必要とするのです」と言ってから、以下の道歌を披露しました。

 

人はみな 水なくしては生きられず
  弔ひなくば旅立ちできず(庸軒)

 

「今月の目標」を唱和

最後は、もちろん一同礼!

 

その後は「今月の目標」を全員で唱和し、最後はもちろん「一同礼」で総合朝礼を終えました。この後は、恒例の北九州本部会議を行います。コロナ禍以降も、わが社は黒字の確保はもちろん、ベストを尽くして走ってきました。おかげさまで昨年は創業以来最高益を出すことができました。今年も、1月から好調なスタートを切ることができました。「鬼滅の刃」ではありませんが、どうか、全社員が全集中の呼吸で力を合わせて、最後まで前向きに走り抜きたいです!


今年も最後まで走り抜こう!

 

2024年3月1日 一条真也拝