雛祭り

一条真也です。これから東京出張です。
今日は、桃の節句です。そう、雛祭りです。
わが家では、いつも雛人形を飾ります。妻が実家から持ってきた人形です。妻は姉との二人姉妹で、ずっとこの人形で桃の節句を祝ってきたそうです。


わが家の雛人形

 

2018年、わが家の雛人形松柏園ホテルのロビーに飾られました。年中行事のことを「生活の古典」と呼んだのは民俗学者折口信夫ですが、「生活の古典の発信装置」をめざす松柏園では、正月飾りに加えて、雛人形をはじめ、さまざまな年中行事の飾りを施すことにしたのです。おかげさまで、多くのお客様から喜ばれました。


松柏園ホテルに飾られた雛人形

 

拙著『決定版 年中行事入門』(PHP研究所)に詳しく書きましたが、「雛祭り」の起源は3世紀前後の古代中国の風習だといわれます。季節の変わり目に災いをもたらす邪気を祓うため、3月最初の巳の日(=上巳)に禊を行っていたようです。この風習が遣唐使によってわが国に伝えられ、天皇の安泰を願う禊の神事となりました。そして、平安時代には宮中行事となったわけです。

決定版 年中行事入門』(PHP研究所)

 

雛祭りの「ひな」は「雛(ひいな)」であり、小さくかわいらしいものを指します。一方で、人の厄を身代わりする男女一対の紙人形が「ひな人形」の原型とされ、室町期から川へ流す「流し雛」から飾るものに変化していき、幕末の頃には官女やお囃子も加わり、現在の「雛飾り」へと発展しました。江戸時代になり、雛祭りは庶民に広がり、雛壇に雛人形を置き、桃の花を飾るという現在の雛祭りに近い形になります。桃の木は、中国で悪魔を打ち払う神聖な木と考えられていたため、雛祭りで飾られるようになりました。「桃の節句」といわれるゆえんです。


サンデー毎日」2016年3月13日号

 

さて、雛壇の最上段には、男雛と女雛が鎮座していますが、地域によって左右どちらに置くか異なります。京都ではお内裏様を向かって右に飾ります。これは京都御所の紫宸殿における御即位に由来し、「左をもって尊し」という古来の風習に則った飾り方です。しかし、全国的に男雛は向かって左に飾られています。その理由はプロトコール(国際儀礼)では右上位であり、明治以降、急速な西洋化の影響で起こったといいます。昭和天皇即位の礼では、天皇陛下の左側に皇后さまがお並びになり、そのお写真にならって左右が逆転したのでしょう。すなわち、雛祭りもアップデートするのですね。


人生の四季を愛でる』(毎日新聞出版

 

わたしは、弟との二人兄弟です。ですから実家では雛人形など無縁と言いたいところですが、そうではありませんでした。わたしの実家には、雛人形がたくさんありました。それもハンパな数ではありません。おそらく、数百レベルあったのではないでしょうか。母が雛人形が大好きで、コレクションしていたのです。毎年、3月3日には、その人形たちを家中に飾るのです。


「生活の古典」を大切に!

 

幼かったわたしが、「どうして、女の子がいないのに雛祭りするの?」と訊くと、母は「ここに一人いるよ」と言って自分を指さすのでした。本当は、母は娘が欲しかったのでしょうね、きっと。わたし自身は二人兄弟でしたが、わたしは二人の娘の父親となりました。やはり、雛祭りの季節になると、娘たちの将来に思いを馳せてしまいます。

花嫁になった長女をアテンドする次女

 

昨年の4月に次女が新社会人となり、6月に長女が花嫁になりました。親として2人の幸せを祈らずにはいられません。現在は小倉に住んでいる長女は、先日、わたしの実家で雛人形の飾りつけを手伝ったそうです。


長女が飾りつけた実家の雛人形
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2023年3月3日 一条真也