さよなら松本零士さん

一条真也です。
漫画家の松本零士(本名・晟=あきら)さんが2月13日午前11時0分、急性心不全のため、都内の病院で亡くなられたそうです。85歳でした。20日、東映が発表。告別式は近親者のみですでに執り行っており、喪主は妻で漫画家の牧美也子さんが務められたとのこと。


ヤフーニュースより

 

松本さんは、1938年(昭和13年)1月25日生まれで、福岡県久留米市出身。6歳の頃から絵を描き始め、9歳で運命的な本(「新寶島」「月世界紳士」いずれも著者は手塚治虫氏)との出会いをきっかけに漫画を描き始めました。終戦後、小学校3年から福岡県小倉市(現・北九州市)に移ります。小倉市立米町小学校(現・北九州市立小倉中央小学校)のときから漫画少年で、同人グループ「九州漫画研究会」を結成し、同人誌「九州漫画展」を主宰。


松本零士氏と父の佐久間進松柏園ホテルで)

 

その後、小倉市立菊陵中学校(現・北九州市立菊陵中学校)から福岡県立小倉南高校に進学。同校1年生のときの投稿作「蜜蜂の冒険」が『漫画少年』(昭和29年2月号)に掲載されデビュー。小倉に縁の深かかった松本さんは、北九州市をよく訪れました。日本漫画協会の会長時代はわが社の 松柏園ホテルにもお越しになり、日本観光旅館連盟の会長だった父(佐久間進)と交流を深めました。わたしも、何度かお会いしています。北九州空港には松本さんの代表作の1つ「銀河鉄道999」に登場する謎の美女・メーテルの巨大フィギュアがあり、いつもわたしがスターフライヤーで東京へ飛ぶときに見送ってくれます。


北九州空港メーテルに見送られる

 

松本さんの実質的な漫画家デビューは1957年『少女』掲載の「黒い花びら」で、しばらくは少女漫画誌での執筆が続きました。1968年に青年漫画誌が誕生し始めたころ、『漫画ゴラク』に「セクサロイド」を発表。以降、青年漫画誌での執筆が増え、少年・青年漫画のジャンルで活躍し、「男おいどん」「ガンフロンティア」「宇宙戦艦ヤマト」「クイーンエメラルダス」「ザ・コックピットシリーズ」「宇宙海賊キャプテンハーロック」「銀河鉄道999」「新竹取物語1000年女王」など数々のヒット作を生み出しました。その多くは映像化されています。

 

 

銀河鉄道999」も大好きでコミックを全巻読みましたが、一番好きなのは「男おいどん」でした。九州男児「おいどん」こと大山昇太は小倉から上京した青年で、4畳半に住んでいます。押し入れにはパンツが山と積まれ、サルマタケという奇妙なキノコが生える始末。だが彼の極貧生活においてはこのキノコさえも貴重な食料でした。彼の大好物である「ラーメンライス」は美味しそうでしたね。昼間に工場でバイトし、夜間高校に通う彼でしたが失敗がもとでクビ、中退、失恋と次々に試練が重なります。同じ小倉出身ということで「おいどん」に感情移入して夢中で読み、ときには彼と一緒に泣きました。特に彼が東京の下宿を引き揚げ、志を果たせぬまま小倉に帰るラストシーンは泣けて仕方なかったことを記憶しています。



長女の松本摩紀子氏は、「漫画家松本零士が、星の海に旅立ちました。漫画家として物語を描き続けることに思いを馳(は)せ駆け抜けた、幸せな人生だったと思います。『遠く時の輪の接する処で、また巡り会える』と松本は常々申しておりました。私たちもその言葉を信じ、その日を楽しみにしています。これまで応援くださいましたファンの皆さま、作品を世に送り出してくださいました関係各社の皆さま、お世話になりました各自治体ならびに各団体の皆さま、若かりし頃から共に切磋琢磨してくださった漫画家の先生方、そして旅立ちにあたりサポートしてくださいました病院の皆さま、心より深く感謝申し上げます。本当にありがとうございました」とコメントされました。



松本さんの「遠く時の輪の接する処で、また巡り会える」という言葉、ご長女の「星の海に旅立ちました」という言葉に感銘を受けました。物語を紡ぐ方やそのご家族の素晴らしい死生観に触れることができたように思います。アニメ映画の名作として名高い「さよなら銀河鉄道999」のラストのメーテルとの別れのシーンを思い出しながら、故  松本零士氏の御冥福を心よりお祈りいたします。合掌。

 

2023年2月20日 一条真也