「『鬼滅の刃』上弦集結、そして刀鍛冶の里へ」

一条真也です。金沢に来ています。
3日、ブログ「北陸新年祝賀式典」ブログ「『北國新聞』取材」で紹介したように、さまざまな出来事がありましたが、その夜、ユナイテッドシネマ金沢で「『鬼滅の刃』上弦集結、そして刀鍛冶の里へ」を観ました。鬼滅の儀式が行われる節分の日に公開された作品です。「鬼滅の刃」のアニメーションを観たのは久々ですが、相変わらずのクオリティの高さで、大いに楽しめました。また、金沢のシネコンでもサンレーのシネアドが流れており、感激!

 

ヤフー映画には、「吾峠呼世晴のコミックを原作にした『鬼滅の刃』シリーズの『鬼滅の刃 遊郭編』の第10話、第11話と『鬼滅の刃 刀鍛冶の里編』の第1話を上映。家族を鬼に殺された少年・竈門炭治郎が、鬼の殲滅を掲げた鬼殺隊の一員として激闘を繰り広げる。監督の外崎春雄、炭治郎役の花江夏樹、竈門禰豆子役の鬼頭明里、我妻善逸役の下野紘など、シリーズを支えるスタッフとキャストが顔をそろえている」と書かれています。

 

鬼滅の刃」は、言わずとしれた集英社ジャンプ コミックス1巻~23巻で累計発行部数1億5000万部を突破した吾峠呼世晴による漫画作品が原作です。アニメーション制作はufotable。家族を鬼に殺された少年・竈門炭治郎が、鬼になった妹の禰󠄀豆子を人間に戻すため、『鬼殺隊』へ入隊することから始まる本作は、2023年4月より、新シリーズ「テレビアニメ『鬼滅の刃』刀鍛冶の里編」の放送を予定しています。今回の「『鬼滅の刃』上弦集結、そして刀鍛冶の里へ」では、炭治郎、音柱・宇髄天元たちと上弦の陸・堕姫と妓夫太郎との激闘を描いた『遊郭編』第10話、第11話の劇場初上映と共に、その後の新たな任務地での霞柱・時透無一郎と恋柱・甘露寺蜜璃との出会いや無限城に集められた上弦の鬼の姿を描いた『刀鍛冶の里編』第1話を初公開しています。

 

この作品がテレビアニメ版を3話分繋げただけとは思っておらず、正直驚きました。せめて、映画用に作られた新映像が追加されているかと思いましたが、それもなく、本当に3話分を繋げただけ。しかも、各話の終わりにエンドロールまで流す必要があるのかと思ったのは、わたしだけではありますまい。しかしながら、「『鬼滅の刃』上弦集結、そして刀鍛冶の里へ」は、80以上の国と地域でワールドツアー上映を実施されるそうです。「遊郭編」のクライマックスと、「刀鍛冶の里編」の冒頭を一挙に鑑賞するからこそ実現する「上弦集結」、そしてスクリーンで描かれる炭治郎たちの激闘と旅立ちが楽しめるわけですね。上映に向けて、映画館での鑑賞に最適化するために、本編映像を全編4Kアップコンバートしたとか。さらには、全編の音楽を劇場環境に合わせて再ミックスしたそうなので、新たな劇場体験を楽しむことはできます。

 

ブログ「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」で紹介した前作映画を観たときも思いましたが、「『鬼滅の刃』上弦集結、そして刀鍛冶の里へ」もアニメーションのクオリティが素晴らしいです。ufotableがこれまで積み上げてきたアニメーションの細部へのこだわりが、さり気なく施されています。「映画.com」で、アニメに詳しい五所光太郎氏は、前作について「錦絵を参考に作画と3DCGのハイブリッドで絢爛豪華に描かれた大アクションには、とがった映像によくある見辛さはまったくない。エンターテインメントに徹した裾野の広い映像化でありつつも、線を均一にするのが標準のアニメに強弱のある漫画タッチの描線をとりいれ、炭治郎の隊服の市松模様も省略せず手描きで描かれている」と書いていますが、それは本作にも言えることでした。

 

鬼滅の刃」という物語は、基本的に戦の話です。一方に、「鬼舞辻無惨」をリーダーとして、「上弦」たちがトップを占める「鬼」のグループ。他方に、「お館様」をリーダーとして、「柱」たちがトップを占める「鬼殺隊」のグループ。この両グループが死闘を繰り広げる組織vs組織の戦争物語なのです。これを「好戦イデオロギー」とか言って批判するような馬鹿は無視するしかありません。組織同士の戦いなので、マネジメントやリーダーシップの観点からも興味深い点が多々あります。振り袖墨汁事件、スシロー事件、資さんうどん事件・・・・・・最近、世間を騒がし、人心を悩ませる輩が多いですが、こういう連中は小鬼のような存在であり、日輪刀でぶった斬ってやりたいものです。でも、今年に入って、わが社は過去最高の業績を上げており、「非道には人道を」を旨とすれば「正義は勝つ」ということを痛感しています。

 

さて、「上弦集結」では、上弦の鬼たちが登場します。上弦の鬼とは、鬼舞辻無惨配下の精鋭、十二鬼月の中でも強者たる鬼上位六体を指します。下弦を含めた他の鬼とは比較にならない戦闘能力および特異体質を有し、鬼殺隊と鬼の戦いの歴史においてこの百年余り一切顔ぶれが変わっていません。鬼殺隊最高位の剣士である「柱」ですら単騎では太刀打ちできない程の凄まじい戦闘力を持っており、柱を含む鬼殺隊士達を数えきれない程葬り続けています。「遊郭編」第10話・第11話に登場した、炭治郎が遭遇した時点で一番新参かつ最下位の妓夫太郎・堕姫兄妹ですら2人で、計22人もの柱を殺して喰らっており、蟲柱の胡蝶しのぶは「上弦の強さは少なくとも柱三人分に匹敵する」と推測しています。

 

上弦の鬼たちも、通常の鬼同様に無惨の「呪い」の支配下にある事は例外ではありません。ただし、選別に次ぐ選別を潜り抜けてきた彼らの身体能力と超再生力は、超越生物である人喰い鬼の中でも一段と極まっています。さらに、応用範囲の広い血鬼術を攻撃・防御・機動力の全てに転化し、加えて自身の体から生み出した専用の強力な武器に上乗せする戦術を採る者が多いです。本作の「上弦集結」シーンでは、上弦の壱・黒死牟、上弦の弐・童磨、上弦の参・猗窩座が登場しますが、上位の童磨にやたらと逆らう猗窩座に対して、黒死牟が「決闘を挑んで勝てば、入れ替わることができる」と言う場面があります。それを見て、わたしは「ボクシングやMMAのランキング戦みたいだな!」と思いました。

「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)

 

拙著『「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)に書いたように、「鬼滅の刃」という物語のテーマは、わたしが研究・実践している「グリーフケア」通じます。鬼というのは人を殺す存在であり、悲嘆(グリーフ)の源です。そもそも冒頭から、主人公の竈門炭治郎(かまどたんじろう)が家族を鬼に惨殺されるという巨大なグリーフから物語が始まります。また、大切な人を鬼によって亡き者にされる「愛する人を亡くした人」が次から次に登場します。それに対して、鬼殺隊に入って鬼狩りをする一部の人々は、復讐という(負の)グリーフケアを自ら行います。しかし、鬼狩りなどできない人々がほとんどであり、彼らに対して炭治郎は「失っても、失っても、生きていくしかない」と言うのでした。強引のようではあっても、これこそグリーフケアの言葉ではないでしょうか。

 

炭治郎は、心根の優しい青年です。鬼狩りになったのも、鬼にされた妹の禰豆子(ねずこ)を人間に戻す方法を鬼から聞き出すためであり、もともと「利他」の精神に溢れています。その優しさゆえに、炭治郎は鬼の犠牲者たちを埋葬し続けます。無教育ゆえに字も知らず、埋葬も知らない仲間の伊之助が「生き物の死骸なんか埋めて、なにが楽しいんだ?」と質問しますが、炭治郎は「供養」という行為の大切さを説くのでした。さらに、炭治郎は人間だけでなく、自らが倒した鬼に対しても「成仏してください」と祈ります。まるで、「敵も味方も、死ねば等しく供養すべき」という怨親平等の思想のようです。『鬼滅の刃』には、「日本一慈しい鬼退治」とのキャッチコピーがついており、さまざまなケアの姿も見られます。

f:id:shins2m:20210111141525j:plainなぜ、コロナ禍の中で大ヒットしたのか?

 

正直に告白するなら、わたしが「鬼滅の刃」の存在を知ったのは、映画「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」が公開された後でした。ある出来事がきっかけでアニメを全話観て、続いて劇場版を観て、それからコミックを読破した次第です。結果、感じたことがあります。それは経済効果という視点からでは見えてこない、社会現象にまでなった大ヒットの本質です。それが『「鬼滅の刃」に学ぶ』の執筆を決意したゆえんでもあります。すさまじいまでの鬼滅ブームには、漫画の神様の存在や、現代日本人が意識していない、神道儒教や仏教の影響を見ることができます。わたしは、鬼滅現象は単なる経済的な効果を論じるだけではない、大きな転換点を感じています。コロナ禍の中にあった2020年に日本では、ことごとく祭礼が中止されました。その中で生じる最大の問題は、夏祭りや盆踊りが担っていた祖霊祭祀と病疫除去という役割を、誰が担うのかというものです。その答えの1つが、「鬼滅の刃」という作品だったと思います。

鬼滅の刃」は「天下布礼」の物語だった!

 

祭りは先祖供養であると同時に、疫病退散の祈りでした。それが中止になったことにより、日本人の無意識が自力ではいかんともしがたい存在である病の克服を願い、疫病すなわち鬼を討ち滅ぼす物語であり、さまざまな喪失を癒す物語でもある「鬼滅の刃」に向かった側面があるのではないか。「鬼滅の刃」現象とは、コロナ禍の中の「祭り」であり、「祈り」だったのです。『鬼滅の刃』という物語は、わたしたちの仕事である冠婚葬祭業とも深い関わりがある、いわば「天下布礼」の物語であると言えます。儀式は、人生の縦軸――人間の年齢の変遷に対応する「冠婚葬祭」と、横軸である一年という円環に対応する「年中行事」に大別できますが、コロナ禍がきっかけとなり、冠婚葬祭はすでにこれからのあるべき姿について見直しが始まっていました。ここに加えて、年中行事も同じように、その本質と継承が議論されることは、日本の儀式文化の存続という点で大きな意味を持つことでしょう。

f:id:shins2m:20200910235939j:plain決定版冠婚葬祭入門』と『決定版年中行事入門』 

 

年中行事といえば、「『鬼滅の刃』上弦集結、そして刀鍛冶の里へ」が公開された2月3日は節分でした。今年のわが社の節分祭は、(おそらくはコロナ禍最後の)感染拡大防止のために中止しましたが、節分は鬼を払う行事です。疫病と鬼は古くからの深いつながりがあり、「鬼滅の刃」もまた鬼=疫病とする描写が多く見られます。夏に高温多湿となり、冬に低温低湿になる日本ではしばしば疫病が流行しました。このため日本の伝統行事には、疫病を祓うためのものが多いですが、最も有名なものが2月の節分の豆まきなのです。疫病は鬼がもたらすものと考えられ、節分=『季節を分ける日』、つまり季節の変わり目に鬼を祓って健康を祈願しました。この節分の豆まきは宮中行事追儺式が起源とされますが、大きな流行をもたらす疫病の多くは外国からもたらされた疫病でした。このことから「鬼は外」は外国からもたらされた疫病を国外へと追い出すことを表しているとする説もあるそうです。

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節分こそは、鬼滅の祭り!

 

鬼滅の刃」は、大正時代を舞台に主人公が鬼と化した妹を人間に戻す方法を探すために戦う姿を描いていますが、鬼も哀しい存在として描かれています。特に「遊郭編」第10話・第11話に登場する上弦の陸・堕姫と妓夫太郎は悲しい宿命を帯びた兄妹であり、まさにグリーフの物語でした。わたしは、子どもの頃から新美南吉の『ごんぎつね』が愛読書です。狐にまつわる童話ですが、鶴にまつわる『つるのおんがえし』、鬼にまつわる『泣いた赤鬼』などの日本の童話も好きでした。それぞれ、最後には狐や鶴や鬼が死ぬ物語で、残された者の悲しみが描かれています。

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鬼もつらいよ!

 

節分といえば、いろいろと思い出があります。2人の娘たちが小さかった頃はよく鬼の仮面をかぶったものです。「鬼は外」と豆を投げつけられるのは、なんとなく切ないですね。なぜなら、鬼を忌むべき存在として決めつけているからです。そこには「排除」の構図があるからです。かつて、わたしは「鬼は外 豆を投げれど 赤鬼の泣いた顔見て 鬼も内へと」という歌を詠みました。そもそも、「鬼」とは何でしょうか? 雷神、酒呑童子茨木童子、節分の鬼、ナマハゲなどが思い浮かびますが、古くは『日本書紀』や『風土記』にも鬼は登場しました。鬼は古くから日本人の「こころ」に棲みついています。

 

鬼と日本人 (角川ソフィア文庫)

鬼と日本人 (角川ソフィア文庫)

 

 

ブログ『鬼と日本人』で紹介した本で、民俗学者小松和彦氏は「鬼とはなにか」というテーマを取り上げ、「なによりもまず怖ろしいものの象徴」として、「鬼は長い歴史をもっている。鬼という語は、早くも古代の『日本書紀』や『風土記』などに登場し、中世、近世と生き続け、さらには現代人の生活のなかにもしきりに登場してくる。ということは、長い歴史をくぐり抜けて来る過程で、その言葉の意味や姿かたちも変化し多様化した、ということを想定しなければならない。じっさい、その歴史を眺め渡してみると、姿かたちもかなり変化している。鎌倉時代の鬼の画像をみると、角がない鬼もいれば、牛や馬のかたちをした鬼もいるし、見ただけではとうてい鬼と判定できない異形の鬼もいることがわかる。それがだんだんと画一化され、江戸時代になってようやく、角をもち虎の皮のふんどしをつけた姿が、鬼の典型となったのであった。しかしながら、怪力・無慈悲・残虐という属性はほとんど変化していない。鬼は、なによりもまず怖ろしいものの象徴なのである」と述べています。

 

鬼にちなんだ歌といえば、ブログ「虹鬼伝説」で紹介した「バク転神道ソングライター」こと宗教哲学者の鎌田東二先生の名曲「虹鬼伝説」を思い出します。この曲について、鎌田先生は「子どものころしばしば鬼を見た。天河大弁財天社には2月2日の夜に祖霊でマレビトである『鬼』を迎える『鬼の宿』という神事がある。鬼とはいったい何か。わたしは今も鬼に魅せられ続けている。『虹の祭り』のイメージソングとして生まれた」とコメントされています。わたしは、この「虹鬼伝説」という歌が大好きです。これほど「平和」や「平等」を発信したメッセージソングはないと思います。まさに、コンパッション・ソングであり、グリーフケア・ソングだと言えるでしょう。節分の夜、「『鬼滅の刃』上弦集結、そして刀鍛冶の里へ」を観終わって、無性に鎌田先生にお会いしたくなりました。


節分の夜に「鬼滅の刃」を観る


映画館で配られました

 

2023年2月4日 一条真也