句縁

 

一条真也です。
無縁社会」などと呼ばれ、血縁と地縁の希薄化が目立つ昨今です。人間は1人では生きていけません。「無縁社会」を超えて「有縁社会」を再生させるためには、血縁や地縁以外のさまざまな縁を見つけ、育てていく必要があります。そこで注目されるのが趣味に基づく「好縁」というもの。この中には、俳句を詠む「句縁」があります。

 

わが社は、「サンレー俳句コンクール」という俳句のコンクールを主催しています。全国から多くの応募者があり、わたしも審査員の1人です。わたしは、「グランドカルチャー」というものを提唱しています。人は老いるほど豊かになります。そして豊かな高齢者が何より豊かに持っているのが時間です。時間にはいろいろな使い方があるでしょうが、「楽しみ」の量と質において、文化に優るものはありません。さまざまな文化にふれ、創作したり、観賞して感動したりすれば、人生そのものが輝いてきます。俳句は、グランドカルチャーを代表する文化です。もともと日本には、俳句サークルとしての句会というものが各地にありました。まさに「句縁」を結ぶネットワークです。


老福論〜人は老いるほど豊かになる』(成甲書房)

 

拙著『老福論〜人は老いるほど豊かになる』(成甲書房)にも書きましたが、文化には、高齢者にふさわしい文化というものがあります。長年の経験を積んでものごとに熟達していることを「老熟」といい、長年の経験を積んで大成することを「老成」といいますが、この「老熟」や「老成」が何よりも物を言う文化を、わたしは「グランドカルチャー」と名づけました。グランドカルチャーは、生け花よりも盆栽、将棋よりも囲碁、短歌よりも俳句、歌舞伎よりも能・・・・・・と挙げていけば、そのニュアンスが伝わると思います。将棋に天才少年は出ても、囲碁の天才少年というのはあまり聞いたことがありません。短歌には男女の恋を詠んだ色っぽいものが多いが、俳句の場合は詠む人が枯れていないと秀句はつくれないといいます。もちろん、どんな文化でも老若男女が楽しめる包容力を持っていますが、特に高齢者と相性のよい文化、すなわちグランドカルチャーというものがたしかにあります。



グランドカルチャーは、高齢者の心を豊かにし、潤いを与えます。テレビアニメの「サザエさん」一家の家長である磯野波平は、カツオやワカメといった小学生の子どもがいるとはいえ、明らかにその外見は老人です。彼は家でくつろぐとき、いつも着物の上からチャンチャンコを着て一人で碁を打っています。同じくテレビアニメの「ちびまる子ちゃん」には友蔵という、まる子の祖父が出てきますが、彼は何かあると「友蔵 心の俳句」といってすぐ俳句を詠みます。といっても、そのほとんどは季語がなく、単なる川柳ですが。いずれにしても、囲碁や俳句といったグランドカルチャーがいかに波平や友蔵の心を豊かにしていることか! そして彼らの人生に潤いを与えていることか! グランドカルチャーは老いを得ること、つまり、「得る老い」を「潤い」とする力を持っているのです。



俳句は、極限の状態の中にある人間の心も自由にします。ブログ「ラーゲリより愛を込めて」で紹介したシベリア抑留をテーマにした映画で、二宮和也が演じた主人公の山本幡男はハバロフスク強制労働収容所の第21分所へ移された後の1950年、俘虜数人で集まって俳句を作り合うようになりました。後にこの集まりは句会として、作業場から見えるアムール川にちなんで「アムール句会」と名付けられました。当初は収容所内の片隅で雑談を装って催し、地面に棒で、または凍土に釘で字を刻むのみでした。やがて人数が増えるにつれて、作業用のセメント袋を切って短冊を作り、ブタの毛、ウマの尾の毛、ロープをほぐしたもので筆を作り、ストーブの灰や煤煙を水に溶かして墨汁の代用とし、といった具合に体裁が整えられました。強制収容所という極限の環境にあっても、彼らは俳句によって「心の自由」を得ていたのでしょう。まさに、彼らは「苦縁」を「句縁」に変えたわけです。


「日経電子版」より

 

そもそも、俳句ほどすごいものはありません。
徘徊老人が問題になっていますが、徘徊とは歩き回ることです。そもそも歩くという行為は、人間にとってどんな意味があるのでしょうか。スローライフへの入り口の1つに「歩く」ということがあります。歩くということは2種類あって、ひとつはA地点からB地点への移動。もうひとつは散歩です。散歩の「散」はまるで目的が散ってしまっていることを示しているかのようです。あえて言えば、歩くというただそのことに満足している状態であり、そこは何でもありの世界になります。道草、横道、脇道、寄り道、回り道、遠回り、ブラブラ・・・・・。立ち止まってもよし、引き返してもよし、迷ってもよし。これが散歩ということであり、徘徊とまったく意味が同じであることがわかります。目的なく歩きまわる徘徊とは、基本的に散歩であり、自由な精神の行為なのです。

 

 

歩く1つ1つの道が違い、同じ道でも昨日と今日とでは違う。雨と晴れでは違うし、冬と夏では違うし、ツツジアジサイでは違う。そんな季節の移り変わりを散歩の途中で感じたとき、人の心には詩情が浮かびます。五七五という極小の形で季節を表現する詩歌は俳句と呼ばれ、俳句・連句、ひいては俳文学全体の総称を「俳諧」といいます。なんと、ともに人間の自由な精神と季節との出合いを本質とすることから、「徘徊」という一見ネガティブな行為は「俳諧」という風雅の世界に転じてしまうのです。歩き回って季節を感じる力という点において、徘徊力とは俳諧力なのです! これは、ダジャレでも言葉遊びでも何でもありません。「俳聖」と呼ばれた芭蕉は、とにかく歩いた人でした。江戸時代においては立派な老人であった46歳のときに、有名な「奥の細道」の旅に出ました。


この旅で芭蕉は、江戸から奥羽・北陸をめぐって大垣に到着、そこから伊勢に旅立とうとするまで、150日、600里をとにかく歩きに歩きまわりました。600里とは実に約2400キロメートルですが、病身な芭蕉はこの長大な距離をひたすら歩き、人跡まれな辺鄙な地方に苦しい旅をつづけたのです。この旅のあいだに自己の詩魂を深めきたえることができ、「不易流行」の論や、「さび」「しをり」「ほそみ」といった芸術観はこの旅のうちに確立したといいます。また、芭蕉はこの旅で多くの俳句を残しましたが、紀行の地の文と発句(ほっく)とが見事に詩的に構成されており、『奥の細道』は俳諧における最高傑作になっています。老いて病んだ芭蕉風狂の徘徊力が、彼の俳諧力を最大限に引き出したのではないかと私は思います。そして、『奥の細道』のなかには、「道祖神のまねきにあひて、取(とる)もの手につかず」という一文がありますが、この芭蕉の心を落ち着かなくさせて旅へと誘い出した「道祖神のまねき」は、現代の多くの徘徊老人の心のなかでも旅への勧誘活動を続けているのではないでしょうか。


そして、徘徊は人生に「ゆとり」を生み出しています。ブラブラと散歩するときのような、移動という目的・手段の関係から解放された何でもありの空間や時間を、現代の日本人はどれだけ持っているでしょうか。効率性や生産性といった経済のものさしによって、こんなにも貴重な自由が無駄という一言で片付けられようとしているのです。散歩を取り戻すことはスローライフの第一歩でしょう。そして、それは「ゆとり」ある人生、大いなるグランドライフへの第一歩でもあります。俳句という自由な心の遊びにおいても、まったく同じことが言えるのです。何より、わたしがすごいと思っているのは、俳句をつくるのに何も道具がいらないことです。筆もいらない、紙もいらない。あるに越したことはないが、別になくても頭のなかだけでいくらでも俳句はつくれる。場所はどこであれ、俳句をつくることは理論的に可能なのです! 


そう考えてみると、俳句とは最も軽やかで自由な遊びであることがわかってきます。究極のローリスク・ハイリターンであり、これに勝てるのはもはや瞑想ぐらいでしょう。俳句に季語があるように、人生にも春夏秋冬のさまざまな想い出のステージがあります。俳句はそれらに潤いを与えてくれます。さらには、辞世の句というものが「死ぬ覚悟」さえも与えてくれる。俳句ほど、すごいものはないのです。日本人なら、辞世の句の一つも残して旅立ってゆきたいものです。わたしは、心より、そう思います。

 

2022年12月13日 一条真也