葬式の行方は

一条真也です。
10日の「日本経済新聞」朝刊の「今を読み解く」欄に東京大学名誉教授の島薗進先生が記事を寄稿されました。記事は、「簡略化 葬式の行方は」の大見出し、「儀礼や絆 再考の契機」の見出しで掲載されています。ブログ『葬式消滅』で紹介した本とともに、 ブログ『論語と冠婚葬祭』で紹介した本が紹介されています。

日本経済新聞」2022年12月10日朝刊

 

記事の冒頭は、以下のように始まります。
「まもなく3年が経過するコロナ禍で、葬式の簡略化が急速に進んだように見える。家族以外はよばない家族葬とか、直接火葬場に向かいお経もあげないこともある直葬などの増加はすでに進行していたが、さらにお通夜を省いて葬儀・告別式のみ行う一日葬とか、初七日だけでなく四十九日の法要までも葬儀後に繰り上げるやり方などが行われるようになった。コロナ禍の収束後にすっかり元へ戻るということは考えにくく、長期的な葬式の簡略化は今後も止まらないのかもしれない。こうした状況を踏まえて、島田裕巳著『葬式消滅――お墓も戒名もいらない』(G.B.・2022年。副題含む、以下同じ)は、『葬式消滅へとむかう社会の動きはとても急激なものです』と述べる。現代の日本では、今のところ多死化が続いており、葬式の数は増えているので、仏教寺院も葬儀社もさほどの危機感をもっていないかもしれない。だが、2030年代には急速に死者が減少していく」

論語と冠婚葬祭』(現代書林)

 

その後、「生き方にも浸透」として、「そうなると簡略化が進んでいる葬式の数も少なくなっていく。その段階で仏教寺院に戒名や読経を依頼する動機が維持されるだろうか。そもそも葬式をしなくてはならない必然性は遺体の処理というところにあった。仏教が国民に広まる以前の意識に戻り、最低限しなくてはならないことをするというところに立ち返れば、葬式の必要性は感じられなくなるだろう。著者はこう予想している。だが、儀礼を行うということが人間の自覚の根本に関わるという捉え方もある。加地伸行一条真也著『論語と冠婚葬祭』(現代書林・22年)は、日本の葬祭文化の基底には仏教とともに儒教があり、『論語』以来の伝統に培われた礼を尊ぶ態度は、単に古い信仰の名残りとして軽く見てよいようなものではないとする。中国古典の碩学と葬式や死生観に造詣が深い冠婚葬祭業経営者の対話であるが、多くの点で両者の見方は一致している。人と人との結合において儀礼は重い意味をもっており、とくに死者との絆に関わる葬式の意味は大きい。儒教は葬式を通して生命の連続を保証する思想を含んでおり、日本ではそれが仏教と結びついて人々の生き方や考え方に深く浸透してきた。儒教は死を超えようとする精神文化という点で宗教と見なすべきだが、日本の葬式はそれを体現したものだ。葬式のような礼を通してこそ、生きる意味が確認されてきたことを思うべきであるという」と書かれています。

葬式消滅』VS『葬式不滅

 

記事の最後に、島薗先生は「死者との別れとその後の交わりに形をあたえることを、人類が忘れることはないだろう」と書かれていますが、まったく同感です。記事には、『葬式消滅』と『論語と冠婚葬祭』(現代書林)の他にも数冊の本が紹介されていますが、ブログ『葬式不滅』で紹介した著書も取り上げていただきたかったです。同書は3日前の7日に発売されたので間に合いませんでした。同書を島薗先生にお送りしたところ、「タイムリーな刊行と思いますが、もう少し早くいただいていれば、日経の記事に間に合ったのにと、少し残念に思っています」とのメールを頂戴しました。同書は島田裕巳著『葬式消滅』への反論本です。当初、わたしは本書のタイトルを『葬式復活』にしようと考えていました。誤解のないように言うならば、葬式はけっして消滅していません。ゆえに復活させる必要はありません。では、なぜゆえ「復活」と考えたのか。それは、超高齢社会を迎えたわが国にとって、葬式も変わらなければいけないと思っているからです。ましてや、コロナ禍の今、ポストコロナ時代を見据えて、葬式は変わらなければいけません。要・不要論ではなく、どう変化していくかです。わたしはそれを「アップデート」と呼びたいと思います。その結果、わたしは『葬式復活』ではなく、『葬式不滅』であると思い至りました」


日本経済新聞」2010年9月5日朝刊

 

島田氏の著書と拙著が一緒に日経に取り上げられたのは12年ぶりです。ブログ「葬儀めぐり議論、活発に」で紹介したように、2010年9月5日の日経朝刊の「今を読み解く」で、国学院大学教授(当時)の新谷尚紀氏が「葬儀めぐる議論、活発に」を寄稿されており、そこには島田裕巳著『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)と拙著『葬式は必要!』(双葉新書)の2冊が写真つきで紹介されていました。新谷氏は、時代のキーワードとして「無縁化」をあげ、「これらの葬儀をめぐる議論の歴史的な遠因は、1950年代半ばから70年代半ばにかけての高度経済成長にある。技術革新や経済の変化はおよそ20年の時差をもって社会の変化や意識の変化となって現れる。90年頃のキーワードの一つは『個人化』であったが、あれから20年のいま、キーワードは『無縁化』である」と述べています。当時から、さらに12年が経過しましたが、わたしは社会の無縁化に絶望していません。わが社は、無縁社会を乗り越えて、有縁社会を再生するべく、さまざまな方策を実行しています。その具体的内容を詳しく知りたい方は、ぜひ、『葬式不滅』を御一読下さい。同書には、これからの葬式の行方が余すところなく書かれています。

 

 

2022年12月10日 一条真也