「ジョン・レノン~音楽で世界を変えた男の真実~」

一条真也です。
東京に来ています。8日、冠婚葬祭文化振興財団の経営会議、グリーフケア委員会の会議に出席後に予定されていた忘年会がコロナ禍で中止に。時間が空いたので、夜は吉祥寺まで足を伸ばし、映画「ジョン・レノン~音楽で世界を変えた男~」をアップリンク吉祥寺で観ました。

 

ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「イギリスのロックバンド「ザ・ビートルズ」のメンバーとして知られる、ジョン・レノンの故郷リバプールを中心に撮影されたドキュメンタリー。ジョンの生い立ちや人となり、彼の音楽に影響を与えた出来事などを、友人や関係者へのインタビューによって映し出す。監督などを手掛けるのはロジャー・アップルトン。ザ・ビートルズの歴史研究家デイヴィッド・ベッドフォード氏と、詩人のポール・ファーリー氏が語り手を務めている」

 

ヤフー映画の「あらすじ」は、「ザ・ビートルズジョン・レノンは、1940年にイギリス・リバプールで生まれる。ティーンエイジャーになった彼は、ザ・ビートルズの前身バンドであるザ・クオリーメンを結成する。リバプール・カレッジ・オブ・アートに進学後、バンドにのめり込んだジョンは、後にザ・ビートルズのメンバーとなるポール・マッカートニーらと出会う」となっています。

心ゆたかな映画』(現代書林)

 

新刊『心ゆたかな映画』(現代書林)がおかげさまで好評のようですが、同書の第1章「ミュージック&ミュージカル」では、 ブログ「ボヘミアン・ラプソディ」ブログ「ロケットマン」ブログ「エルヴィス」で紹介した音楽映画を取り上げました。それぞれ、フレディ・マーキュリーエルトン・ジョンエルヴィス・プレスリーといった偉大なミュージシャンたちの伝記映画ですが、やはり、ザ・ビートルズ、そしてその中心的存在であったジョン・レノンの伝記映画が観たいとずっと思っていました。ちなみに、ザ・ビートルズは「史上最も売れたアーティスト」で不動の1位です。2位はリアーナ、3位はマイケル・ジャクソン、4位はエルヴィス・プレスリー、5位はエルトン・ジョン、6位がマドンナ、7位がレッド・ツェッぺリン、8位がピンク・フロイドとなっています。


ジョン・レノンの映画なら、音楽映画の真打的存在のはず。それなのに、なぜ上映館が極端に少ないのか? 東京では池袋シネマ・ロサアップリンク吉祥寺ぐらいしか上映されておらず、しかも池袋は1日1回限り、吉祥寺も1日2回しか上映しないのです。「どうして、ジョン・レノンがこんな扱いを受けるのか?」と疑問でしたが、映画を観て納得。この映画、「ボヘミアン・ラプソディ」「ロケットマン」「エルヴィス」みたいに俳優がミュージシャンの役を演じるドラマではなく、純粋なドキュメンタリーだからです。しかも、ジョン・レノン本人はほとんど出演せず、周囲の人々の証言で構成されているのです。さらに、ビートルズ結成までしか描かれていません。さらにさらに、ビートルズのナンバーも原曲ではなく、なぜか(見たこともない)他のミュージシャンがカバーで歌っています。正直、「なんじゃ、こりゃ?」と思いましたね。


それでも、「あらゆる映画を面白く観る男」であるわたしは、ブログ「ストレンジ・ワールド/もうひとつの世界」で紹介したディズニーの大コケ映画に続いて、「ジョン・レノン~音楽で世界を変えた男~」を前向きに鑑賞しました。ジョンの母親が不倫をしていたこと、ジョンがエルヴィス・プレスリーに憧れていたこと、彼は母親と親友の死によってグリーフを抱えていたこと、彼がチャリティーをたくさん行った理由は若い頃の悪行を償うためだったという説があること・・・・・・などなど、わたしが初めて知る事実がいくつかありました。吉祥寺アップリンクの狭い4番シアター内は満員でしたが、白人の外人さんが何人かいて、映画が終わった瞬間、「ハッピーバースデー、ジョン!」と叫んで拍手をしていました。わたしは、「えっ、今日って、ジョン・レノンの誕生日だったの?」と驚きましたが、調べてみたら命日ではないですか!


ジョン・ウィンストン・オノ・レノンは、1940年10月9日に生まれて、1980年12月8日に亡くなりました。この映画の冒頭では、彼を「人類で最も有名な人物の1人」、ビートルズを「地球で最も成功したポップ・バンド」と紹介しています。ジョン・レノンは、イギリス出身のシンガーソングライター、ギタリスト、キーボディスト、平和運動家です。ビートルズを立ち上げたリーダーでボーカル、ギターなどを担当するとともに、ポール・マッカートニーと「レノン=マッカートニー」としてソングライティング・チームを組み、多くの楽曲を作曲しました。1965年にはMBE・大英帝国第5級勲位を受章しています。1970年のビートルズ解散後はアメリカを主な活動拠点とし、ソロとして、また妻で芸術家のオノ・ヨーコ小野洋子)と共に活動しました。1975年から約5年間音楽活動を休止した後、1980年に活動を再開しますが、同年12月8日ニューヨークの自宅アパート前において銃撃され死亡。この日は、彼の42回目の命日でした。


JR吉祥寺駅のホームで

 

ところで、吉祥寺へは電車で行きました。四ツ谷駅から中央線の高尾行快速に乗ったのですが、ちょうど帰宅時間で通勤ラッシュに逢いました。もう身動きできないほど超満員で、韓国のハロウィン事故を連想して恐怖を感じました。まるで押しくら饅頭のようでしたが、押し潰されること以上に怖かったのが、痴漢に間違えられることでした。不可抗力で近くの女性に手などが触ることがありますが、それが痴漢に間違えられるのは恐怖以外の何物でもありません。しかも最近、知り合いの人から「痴漢の冤罪で捕まって、会社が倒産した社長さんがいる」と恐ろしい話を聞いたばかりなのです。痴漢の冤罪を防ぐ方法は、「片手で吊革を掴み、片手でバッグを持つ」か「片手で吊革を掴み、片手でスマホをいじる」の2つの方法しかないというので、それを実行しました。ちょうど、わたしは四方を若い女性に囲まれていたので、ドキドキしました。


映画館が入ったPARCOの前で

 

ようやく、JR吉祥寺駅に到着して、満員電車を降りたときはホッとしました。わたしにとっては大冒険でしたし、東京で電車通勤をされている方の大変さがよくわかりました。アップリンク吉祥寺はJR吉祥寺駅のすぐ近くにあるPARCOの地下にありました。PARCOを訪れるなんて、30年ぶりぐらいです。といっても、わたしがよく訪れたのは吉祥寺ではなく、渋谷のPARCOでしたが。映画館は、ビートルズに思い入れがありそうなコジャレた高齢者の方が多かったですね。その中には、音楽関係者もかなりいたのではないかと思われます。


帰りの中央線は空いていたので、iPhoneでジョン・レノンのアルバム「ダブル・ファンタジー」を聴きながら座席に座って帰りました。「ウーマン」が流れたとき、ブログ「月の満ち欠け」で紹介した日本映画の感動が甦ってきました。FMラジオから流れてきた「ウーマン」を初めて聴いたとき、わたしは「こんなに優しくて、美しいメロディがこの世にあるのか!」と非常に感動して、涙を流しました。「イマジン」にも大きな影響を受けました。世界平和と人類平等を高らかに謳い上げたこの名曲から、わたしは「ハートピア」という考え方を得たのかもしれません。ジョンの42回目の命日であるこの日は、今年最後の満月「コールドムーン」が夜空に上っていました。その満月を見上げながら、わたしは、世界が平和であることと、ジョン・レノンの魂が安らかであることを祈りました。



2022年12月9日 一条真也