一条真也です。
たった一字に深い意味を秘めている文字は、世界でも漢字だけです。そこには、人のこころを豊かにする言霊が宿っています。その意味を知れば、さらに、こころは豊かになるでしょう。今回の「こころの一字」は、「望」です。

 

人望の法則

人望の法則

Amazon

 

あらためて言うまでもありませんが、組織や集団において重要なのは、才能、能力よりも、人柄、性格の良さです。すなわち、リーダーとしてふさわしいのは、単に優れた能力の持ち主よりも、人望のある人物です。人望のある人とは、温かく人を包む雰囲気を持ちながら、厳しい一面があり、圧倒するような威厳がありながら、優しさを秘めている人です。こんな人が、誰からも信頼を寄せられ、慕われるのは当然です。



西郷隆盛は、とにかく人望のある人でした。西郷は、幼なじみでしかも二人とも明治維新の立役者ということもあって、大久保利通とよく比較されます。西郷に人気があり、大久保に人気がないのは、大久保に暗さや陰湿さといったものが感じられるのに対し、西郷には大らかさや包容力が感じられるからでしょう。明治6年(1873年)の征韓論争のとき、西郷は参議を辞して故郷の鹿児島に戻ったわけですが、むしろそこから人気は高まっていったようです。明治10年(1877年)の西南戦争のとき、西郷と行動を共にしたのは旧薩摩藩士のみならず、他の藩士だった者もかなり合流していました。



その1人の中津藩士・増田宋太郎は、西郷隆盛最後の戦いとなる城山までついて行き、西郷ともども強烈な戦死を遂げていますが、西郷に最後までついて行こうとする心境を、「吾、此処に来り、始めて親しく西郷先生に接することを得たり。一日先生に接すれば一日の愛生ず。三日先生に接すれば三日の愛生ず。親愛日に加わり、去るべくもあらず。今は、善も悪も死生を共にせんのみ」と言っています。西郷の人望がいかなるものであったかがわかります。

 

 

司馬遼太郎は、人望家について、大作『翔ぶが如く』に書いています。士族にしても農民にしても、藩といったような緻密で堅牢な封建組織が雲散霧消してしまうと、殻を失った剥き身のヤドカリのような心細さを持ち、そのくせ「官」という新たに出現した重量については違和感のみを感じて、そこから逃れたくなってしまう。そういう自分たちに方向を与えてくれたり、居場所を決めてくれたり、ときに死に場所をつくってくれるのが人望家であった、と。

 

 

そして、人々はリーダーにビジョン、すなわち展望というものを求めます。いつだって、優れたリーダーとは未来を読み、人々に将来の展望と夢を語ってきました。彼らがつくった企業はビジョナリー・カンパニーと呼ばれ、長らく繁栄を続けています。もともと人望があって、かつ確たる展望を持った人物こそ、真のリーダーにふさわしいと言えるでしょう。なお、「望」については、『龍馬とカエサル』(三五館)に詳しく書きました。

 

 

2022年11月11日 一条真也