サクマ式ドロップスの思い出

一条真也です。
ネットで「サクマ式ドロップス廃業へ 佐久間製菓、原料高影響」という記事を見つけたとき、思わず目を疑いました。まさか、あのサクマ式ドロップスがなくなるとは! 
わたしの本名が佐久間なので、身内の会社のような気がして(実際は関係ありません)、子どもの頃は佐久間製菓の商品をよく買っていました。


ヤフーニュースより

 

発売から114年になるという「サクマ式ドロップス」を販売する佐久間製菓(東京)は、来年1月20日で廃業することになりました。新型コロナウイルス感染拡大に伴う販売落ち込みに原材料高が重なり、経営が悪化したのが原因です。名前の似た「サクマドロップス」などのキャンディーを販売するサクマ製菓(東京)は別の会社で、同社は今後も営業を続けます。子どもの頃、「サクマのいちごみるく~♪」とCMを流していた「いちごみるく」を発売しているのは存続するサクマ製菓の方でした。1908年創業の佐久間製菓と1947年創業のサクマ製菓はもとは同じでしたが、わけあって今はまったく別の会社だとか。


佐久間製菓の「サクマ式ドロップス」は高畑勲監督のアニメ映画「火垂るの墓」(1988年)にも登場しました。自らの体験をもとに書いた、野坂昭如の同名小説をアニメ映画化した作品です。戦争によって両親を失った幼い兄妹がたどる過酷な運命を描いています。昭和20年の神戸。急な空襲で母が入院した、14歳の清太と4歳の節子兄妹は、叔母のもとを頼りに訪れます。しかし、ふたりの母が亡くなったのを機に叔母は彼らを邪険にしはじめ、清太は節子を連れて誰もいない防空壕へ向かいます。そして、彼らはふたりだけの自炊生活を始めますが、食料が絶対的に不足しているので、幼い節子は栄養失調になります。

ヤフーニュースより

 

栄養失調になった節子に、清太が空になったサクマ式ドロップスに水を入れて飲ませるシーンがあります。すると、節子は「砂糖水みたいで甘い!」と喜びます。衰弱しきって最期のときを迎えた節子がドロップの代わりに「おはじき」を口に入れてなめるシーンは戦争の悲惨さを描いた名シーンでした。「毎日新聞」は、2021年8月17日に「サクマ式ドロップス」についての記事を配信しました。記事の冒頭には、「缶から取り出して食べるドロップの楽しみの一つは、何味が出るか分からないところ。カラカラと音をさせ、好きな味が飛び出すと『当たり』の気分になる。そして思い出すのは、太平洋戦争を描いたアニメ映画『火垂るの墓』(1988年公開)。映画にも登場する『サクマ式ドロップス』に込められた思いとは」と書かれています。


毎日新聞より

 

また、「時代超えて 夢と笑顔を」として、記事には「映画では、節子が食べたいものを聞かれて『ドロップ』と答え、衰弱して混濁する意識の中でドロップの代わりにおはじきをなめる。ささやかな願いすらかなえられない戦争の悲惨さに、胸が詰まる。飢えて死んだ節子の骨が入れられたのもドロップ缶だった。『サクマ式ドロップス』は、映画の通り、戦前にも販売されていた。佐久間製菓(東京都豊島区)によると、創業者は千葉県出身で和菓子を製造していた佐久間惣治郎氏。佐久間氏は、英国から輸入されていたドロップの国産化を目指して研究し、溶けやすいキャンディーの保存性を向上させた。1908(明治41)年に『サクマ式ドロップス』を発売。登録商標も認められた。しかし、戦争に翻弄される。空襲で、本社と大阪の工場などを失い44年に廃業。『サクマ式ドロップス』は世の中から消えてしまった」と書かれています。


毎日新聞より

 

戦後の48年、佐久間製菓と関係が深かった事業家・横倉信之助氏(故人)が、戦前に佐久間製菓本社があった東京・池袋で工場を再建。「サクマ式ドロップス」の生産を始めたそうです。そこから70年以上も愛され続けるロングセラー商品となったわけです。最後に、毎日新聞社の水津聡子記者は、「『火垂るの墓』で描かれているドロップは、戦争が奪っていった平和で幸せな日々そのもののように見える。誰もが気軽にお菓子を食せるのは、平和だからこそだ。子どものころ、自分ではドロップの缶が開けられず、大人が開けて取り出してくれた。あの時もらった一粒には、平和への願いが込められていたのかもしれない。小さな手のひらに、いつでもドロップを乗せてあげられる世界を子どもたちに渡したい――。そんな思いを新たにした戦後76年の夏だ」と書くのでした。この記事を読んで、わたしは少年時代に駄菓子屋で買ったサクマ式ドロップスの味と戦争アニメの最高傑作「火垂るの墓」の感動を思い出しました。赤い缶の中の甘いドロップは、グリーフケアの味がしたような気がします。

 


2022年11月9日 一条真也