故人に届く言霊

一条真也です。
25日、安倍元首相に対する追悼演説が衆議院本会議で行われました。立憲民主党の野田元首相が故人をしのびましたが、与野党から称える声が相次ぎました。安倍元首相の遺影を手に演説を聞き、涙した昭恵夫人は、野田元首相に対し、「野田先生にお願いしてよかった。主人も喜んでいるでしょう。原稿を仏壇に供えたい」と伝えたそうです。



追悼演説をすべて聴きましたが、後世に語り継がれる素晴らしい内容でした。非常に感動しました。昭恵夫人をはじめ、遺族の方々にとっては最高のグリーフケアとなったように思います。「故安倍晋三先生に対する追悼演説」として、野田氏は、冒頭に「本院議員、安倍晋三内閣総理大臣は、去る7月8日、参院選候補者の応援に訪れた奈良県内で、演説中に背後から銃撃されました。搬送先の病院で全力の救命措置が施され、日本中の回復を願う痛切な祈りもむなしく、あなたは不帰の客となられました。享年67歳。あまりにも突然の悲劇でした」と述べました。



また、野田元首相は「安倍さん」と故人によびかけ、「あなたは議場では「闘う政治家」でしたが、国会を離れ、ひとたび兜を脱ぐと、心優しい気遣いの人でもありました」と述べました。平成24年12月26日、解散総選挙に敗れ敗軍の将となった野田氏は、皇居で、安倍氏親任式に、前総理として立ち会いました。控室は勝者と敗者の二人だけで、シーンと静まりかえって、気まずい沈黙だけが支配したそうです。その重苦しい雰囲気を最初に変えようとしたのは安倍氏の方で、野田氏のすぐ隣に歩み寄り、「お疲れ様でした」と明るい声で話しかけたそうです。


ありし日の安倍氏と野田氏(NHKより)

 

安倍氏は温かい言葉を次々と口にしながら、総選挙の敗北に打ちのめされたままの野田氏をひたすらに慰め、励まそうとしてくれたといいます。野田氏は、「その場は、あたかも、傷ついた人を癒やすカウンセリングルームのようでした。残念ながら、その時の私には、あなたの優しさを素直に受け止める心の余裕はありませんでした。でも、今なら分かる気がします。安倍さんのあの時の優しさが、どこから注ぎ込まれてきたのかを。第一次政権の終わりに、失意の中であなたは、入院先の慶応病院から、傷ついた心と体にまさに鞭打って、福田康夫新総理の親任式に駆けつけました」と述べました。


追悼演説をする野田元首相(NHKより)  

 

続けて、野田氏は「わずか1年で辞任を余儀なくされたことは、誇り高い政治家にとって耐え難い屈辱であったはずです。あなたもまた、絶望に沈む心で、控え室での苦しい待ち時間を過ごした経験があったのですね。あなたの再チャレンジの力強さとそれを包む優しさは、思うに任せぬ人生の悲哀を味わい、どん底の惨めさを知り尽くせばこそであったのだと思うのです。安倍さん」と述べるのでした。これは、まさに「グリーフケア」の言葉であると思いました。ともに同じグリーフ、深い悲嘆を抱いた者同士にしかわからない言葉です。また、これは「コンパッション」の言葉でもあると思いました。両氏の間には強い共感が生まれ、それは思いやりへと発展していったのです。


故人に謝罪する野田氏(NHKより)

 

故人へのコンパッションは、謝罪の言葉をも口にさせました。野田氏は、「あなたには、謝らなければならないことがあります」として、平成24年暮れの選挙戦、私が大阪の寝屋川で遊説をしていた際に「総理大臣たるには胆力が必要だ。途中でお腹が痛くなってはダメだ」と発言しました。野田氏は、「私は、あろうことか、高揚した気持ちの勢いに任せるがまま、聴衆の前で、そんな言葉を口走ってしまいました。他人の身体的な特徴や病を抱えている苦しさを揶揄することは許されません。語るも恥ずかしい、大失言です。謝罪の機会を持てぬまま、時が過ぎていったのは、永遠の後悔です。いま改めて、天上のあなたに、深く、深くお詫びを申し上げます」と述べて、深々と頭を下げました。これを見たわたしの魂は感動で震えました。


素晴らしい追悼演説でした!(NHKより)

 

さらに、野田氏は「長く国家の舵取りに力を尽くしたあなたは、歴史の法廷に、永遠に立ち続けなければならない運命です。安倍晋三とはいったい、何者であったのか。あなたがこの国に遺したものは何だったのか。そうした『問い』だけが、いまだ宙ぶらりんの状態のまま、日本中をこだましています。その『答え』は、長い時間をかけて、遠い未来の歴史の審判に委ねるしかないのかもしれません。そうであったとしても、私はあなたのことを、問い続けたい。国の宰相としてあなたが遺した事績をたどり、あなたが放った強烈な光も、その先に伸びた影も、この議場に集う同僚議員たちとともに、言葉の限りを尽くして、問い続けたい」と述べました。



続けて、野田氏は「問い続けなければならないのです。なぜなら、あなたの命を理不尽に奪った暴力の狂気に打ち勝つ力は、言葉にのみ宿るからです。暴力やテロに、民主主義が屈することは、絶対にあってはなりません。あなたの無念に思いを致せばこそ、私たちは、言論の力を頼りに、不完全かもしれない民主主義を、少しでも、よりよきものへと鍛え続けていくしかないのです」と述べたのでした。これを聴いたとき、わたしは非常に感動しました。そして、ブログ「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」で紹介した日本映画の内容を思い出しました。三島が自決する1年半前に行った東大全共闘との討論会に迫ったドキュメンタリー映画ですが、討論の最後に、三島は「言霊」について発言します。「天皇」という言葉を発した学生の「われわれと共闘してほしい」という呼びかけに対して、三島は「言葉が翼をもって、今この会場を飛び回っている」「わたしは諸君の熱情だけは信じる」「その言葉を、言霊を残して、わたしは去っていく」と述べます。


言葉には霊力とでもいうべき不思議なエネルギーが宿っています。これを「言霊」といいますが、この歴史的な討論会の最後に三島が「言霊」について述べたことが非常に印象的でした。この討論会で三島に言葉のボクシングを挑んだ者が、全共闘きっての論客とされた芥正彦でした。彼は、映画の中で「人と人の間の媒体としての言葉が力を持った最後の時代だった」と述べ、さらには「相手のことを否定していたら、話も聞かないし、対話なんか成立しないよ」と語りました。まさに、三島が東大全共闘と言葉で対決した東京大学駒場キャンパス900番教室は、どんな言葉でも発することができ、あらゆるイデオロギーの主張が許される奇跡の「解放区」であり、そこには「熱」と「敬意」と「言葉」が存在したのです。そして、言論の最高の舞台こそ、国会議事堂であることは論を待ちません。その国会議事堂で、最大の宿敵であり論敵であった故安倍晋三氏へ捧げた野田佳彦氏の「言霊」は、その場にいた国会議員を含む多くの日本人を感動させたのです。野田氏の哀悼の誠は、必ずや天上の安倍氏の魂に届いたと思います。



それにしても、安倍元首相という人は幸せな政治家であったと思います。もちろん非業の死を迎えたことは事実で、本人はそれを望んではいませんでしたが、素晴らしい政治家たちが最高の言葉を贈ってくれたからです。7月12日の芝増上寺での葬儀では、友人代表として自民党麻生太郎副総裁が弔辞を述べました。麻生氏は「普段はお酒を酌み交わし、ゴルフ場で冗談を言いながら回る。そんないつもの光景の、そこでの笑顔が目をつむれば浮かんでくる」と安倍氏との関係について語り、「あなたを失ってしまったことは、日本という国家の大きな損失にほかならない。痛恨の極みだ」と悼みました。さらに麻生氏は「正直申し上げて、私の弔辞を安倍先生に話していただくつもりだった。無念です」とも語りました。



また、9月27日に日本武道館で行われた安倍元首相の国葬では、菅義偉前首相が友人代表として「追悼の辞」を読みました。安倍政権では長きにわたって官房長官を務めた菅氏は、伊藤博文を失った山縣有朋の「かたりあひて 尽くしし人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ」という惜別の歌を披露。菅氏の万感の思いがこもった弔辞には自然と拍手が沸き上がりました。このような場での拍手はきわめて異例ですが、それだけ会場の人々の心に響いたのでしょう。そして、今日の野田元首相の追悼演説。麻生氏にも、菅氏にも、野田氏にも、それぞれ心のこもった素晴らしい「言霊」がありました。最後に、故安倍晋三氏の御冥福を心よりお祈りいたします。合掌。


野田演説を聴く麻生氏と菅氏(NHKより)

 

2022年10月25日 一条真也