今月も別府へ!

一条真也です。
24日の朝、ピンクパープルのコーデのわたしは迎えの車に乗って、JR小倉駅に向かいました。そこでサンレーの東専務、山下取締役と合流し、ソニック11号に乗って別府へ。別府で開催されるサンレー大分の営業推進会議に参加するためです。あと、ブログ「太陽と月 2022」で紹介したように、先月9日に朝日の撮影に失敗しましたので、明朝に再度チャレンジします!

JR小倉駅のホームで

ソニック11号の車内で


車内では、大学の講義の準備をしました

 

車内では、客員教授を務めている九州国際大学の講義の予習をしました。28日に、「SDGsに対するサンレーの取り組み~サンレーズ・アンビション・プロジェクト」と題した講義を行うことになっているのです。アンビションとは「大志」のことですが、わが社は「サンレーズ・アンビション」として、「天下布礼」を進めています。具体的には「社会貢献」「有縁社会再生」「老福社会実現」「グリーフケア」の4つのカテゴリーで数多くのプロジェクトを推進しています。

大学の講義の準備をしました

 

最近、わが社の社会貢献事業が多大な注目を集めています。わが社の大志、すなわちサンレーズ・アンビションが次々に「かたち」となっており、話題を集めているのです。「なぜ、このような社会貢献事業をされるのですか?」と質問をされたとき、わたしは「わが社の本業である冠婚葬祭互助会はソーシャルビジネスだからです」とお答えしています。ソーシャルビジネスとは、高齢者や障がい者の介護・福祉、子育て支援、まちづくり、環境保護地域活性化など、地域や社会が抱える課題の解決をミッション(使命)として、ビジネスの手法を用いて取り組むもの。「人間尊重」としての礼の精神を世に広める「天下布礼」の実践です。

JR中津駅を通過しました

 

JR中津駅を通過するときはホームからわが社の結婚式場「ヴィラルーチェ」がよく見えました。駅側に向けて設置された看板もよく見えました。ブログ「幸福度1位の宮崎へ」で紹介したように、一昨年9月9日にはソニック9号で宮崎県の延岡に向かう途中、中津駅で列車が立ち往生して下車した苦い思い出があります。幸いにも、先月に続いて今日も無事に中津を通過することができました。

JR別府駅に到着しました


ようこそ、別府へ!

JR別府駅前の油屋熊八の銅像

 

JR別府駅に到着すると、駅そのものが温泉浴場みたいな感じでした。サンレー大分の祐徳常務が迎えに来てくれました。別府駅を出てみると、名物になっている銅像がありました。モデルは「別府観光の父」と呼ばれる油屋熊八だそうですが、なんと、顎マスクをしています。また、両手は万歳で片足を上げ、なんともユニークで味わいのあるポーズを取っています。ブログ「『銅像に学ぶ』開始!」に書いたように、わたしは三度の飯より銅像の真似をすることが好きなので、早速、真似をしました。


サンデー毎日」2017年6月18日号

 

Wikipedia「油屋熊八」によれば、伊予国宇和島城下(現愛媛県宇和島市)の裕福な米問屋の長男として生まれた熊八は、1888年(明治21年)に27歳で宇和島町議に当選。30歳の時に大阪に渡って米相場で富を築き、別名「油屋将軍」として羽振りが良かったが、日清戦争後に相場に失敗して全財産を失いました。熊八は、35歳の時に別府に住む亀井タマエという女性に妻の身を託し渡米。アメリカを放浪の上、現地の教会でキリスト教の洗礼を受けた後、約3年滞在。帰国後、再度相場師となるがうまくいかず、1911年(明治44年)に妻を頼って別府を訪れました。別府では、「旅人を懇ろにせよ」(旅人をもてなすことを忘れてはいけない)という『新約聖書』の言葉を合言葉に、サービス精神の実践として亀の井旅館(現在の別府亀の井ホテル)を開業。続いてバス事業に進出し、1928年(昭和3年)に亀の井自動車(現在の亀の井バス)を設立して、日本初の女性バスガイドによる案内つきの定期観光バスの運行を開始。

油屋熊八像の真似をしました

 

また、別府宣伝協会を立ち上げ、別府お伽倶楽部のお伽船[5]の活動に参加する中で、自らのもてなしの哲学と様々な奇抜なアイデアで別府の宣伝に努め、大正の広重といわれる盟友吉田初三郎とともに別府の名前を全国へと広めました。クリスチャンで酒を飲まず、「旅館は体を休める所であり、飲酒をしたいなら外で飲むか他の旅館に行ってくれ」が熊八の口癖であったため、当時では珍しく酒類の提供を行わず、森永製菓の創業者である森永太一郎が滞在中に酒を注文しようとして断られ、なおも食い下がる太一郎に向かって「あなたは子供のための菓子を作っている会社の社長であるのに、酒が飲めないのかと悔しがるのはおかしい」と言い放ったくらいに徹底していたそうです。しかし、旅館で禁酒はあまりにも気の毒だという意見が多くなったため清酒は2合、ビールは1本を限度に提供を開始しました。ちなみに、この熊八の態度には、わたしは大きな違和感をおぼえます。

f:id:shins2m:20211014151452j:plain真似せずにはいられない!(2021年10月14日)

 

今でこそ観光地の売出しや開発には公費の支出が当たり前な現代とは違い、別府温泉の宣伝はすべて熊八個人の私財と借財でまかなわれました。そのため熊八没後、亀の井自動車や旅館は借金の返済のため売り払われましたが、その行動力と独創力に敬意を込めて、「別府観光の父」「別府の恩人」として慕われ、別府市民らで「油屋熊八翁を偲ぶ会」が作られています。2007年11月1日にはその偉業を称えて大分みらい信用金庫(本社・別府市)の依頼により、別府駅前にブロンズ像が建てられました。そのブロンズ像は片足で両手を挙げ、熊八がまとう温泉マーク入りのマントには地獄めぐりの小鬼がしがみついています。これは制作した彫刻家・辻畑隆子氏によると、天国から舞い降りた熊八が「やあ!」と呼びかけているイメージとのことです。まことに、素晴らしいポーズですね!


JR別府駅前の「手湯」


「手湯」に両手を浸しました

 

銅像の近くには「手湯」があったので、そこで両手を浸しました。温泉に触れると、なんだかパワーアップした気分です。その後、別府駅前の大衆食堂で焼肉定食を食べてから、別府亀川紫雲閣に移動して、サンレー大分の営業推進会議に参加します!

 

2022年10月24日 一条真也