10月度総合朝礼

一条真也です。ついに10月になりました。
1日の8時45分から、わが社が誇る儀式の殿堂・小倉紫雲閣の大ホールにおいて、サンレー本社の総合朝礼を行いました。新型コロナウイルスの感染拡大のため、8月と9月は中止しましたので、じつに3ヵ月ぶりの総合朝礼の開催です。ソーシャルディスタンスには最大限の配慮をしています。ちなみに、今日から男性はネクタイ着用です。

総合朝礼開始前のようす

最初は、もちろん一同礼!

社歌斉唱のようす

パープルのマスク姿で登壇

 

全員マスク姿で社歌の斉唱は黙唱で行いました。それから社長訓示の時間となり、わたしがパープルの不織布マスク姿で登壇しました。まず、わたしは「10月になりました。すっかり秋ですね。いよいよ感染者の数も減ってきたようです。今度こそは、このままコロナも収束に向かってほしいものです。クールビズも終わって、男性陣はネクタイも締めていますし、気分を入れ替えていきましょう!」と言いました。


マスクを外しました

 

それから、9月27日、安倍晋三元首相の国葬日本武道館で行われたことに言及しました。故人の盟友であった菅義偉前首相の弔辞には、心を打つものがありました。伊藤博文を失った山縣有朋の「かたりあひて 尽くしし人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ」という惜別の歌を披露しましたが、素晴らしい弔辞でした。参列者は1分間の黙禱を捧げましたが、会場の外では「黙祷中止!」の声を上げ、鳴り物で音を出しながら抗議するグループもありました。わたしは、「いろんな意見があってもいいとは思いますが、弔意を表す黙祷や献花を邪魔するような行為があったことは非常に残念でした。彼らが日本人だとしたら、同じ日本人として情けなく感じました。これでは、メイウェザーへの花束を投げ捨てた政党党首と同じ非礼行為を働いたことになります」と述べました。


国葬論議について


熱心に聴く人びと

 

さらに、誰でも悲しみを表す権利は尊重されるべきであり、それを妨害したり、弾圧するような行為は絶対に許されないとして、「死者を弔う行為は人類の存在基盤である。当然ながら、国葬も葬儀ですが、『礼欲』という人間の本能の発露でもある葬儀は、政治・経済・哲学・芸術・宗教など、すべてを超越します。葬儀を否定できるイデオロギーなど存在しません。それにしても、1人の人間の葬儀をめぐって、これほど世論が二分したことが今までにあったでしょうか。家族葬直葬など葬儀のあり方が問われている現在の日本で、国葬をめぐる論争が起こったことは、国民が『葬儀とは何か?』『死者を弔うことの意味は?』という最も本質的な問題について考える良い機会だったと思います」と述べました。

映画「アイ・アムまきもと」を紹介

 

また、国葬の3日後となる30日に公開された映画「アイ・アムまきもと」を観たことに触れ、「2013年のイギリス・イタリア合作映画『おみおくりの作法』を原作とした葬儀がテーマの映画です。とある市役所で、人知れず亡くなった人を埋葬する『おみおくり係』として働く牧という男性の物語で、主人公を阿部サダヲが演じています。孤独死した老人の葬儀が最後の仕事となった牧本は、故人の身寄りを探すために友人や知人を訪ね歩きます。葬儀という営みの意味と重要性がわかる問う名作でした。ぜひ、みなさんも御覧下さい。芸術の秋は、映画の秋です!


北九州市60周年について

 

さらに、わたしは「ここ数日、いろんな取材を受けましたが、一昨日は『毎日新聞』の取材を受けました。テーマは、『北九州市誕生60年に思うこと』です。わたしは、北九州市の「弱み」とされてきたものを「強み」ととらえて、まったく新しい都市モデルを示すべきであると述べました。例えば、「老い」です。北九州市は日本一の高齢化都市ですので、全国の独居老人にどんどん移住してもらい、高齢者の楽園にすればよい。つまり、高齢者福祉特区を作って、日本一、高齢者が住みやすい街を作るのです。


コンパッション都市を目指そう!


熱心に聴く人びと

また、ホームレス支援やシングルマザー家庭支援も北九州の特徴です。全国で困っている人がいたら、みんな「北九州へ行こう!」を合言葉にしてもらえばいい。死別の悲嘆に暮れている方々も、グリーフケア都市としての北九州に来ればいい。わたしは、北九州市が「弱み」を「強み」に転化すれば、世界一の都市になれると本気で思っています。そして、その未来像は「有縁都市」であり、「老人安住都市」であり、「隣人都市」です。「思いやり都市」であり、「助け合い都市」です。それらの総称としての「コンパッション都市」を目指すべきであると訴えました。


「コンパッション」とは何か?

 

「コンパッション」には「隣人愛」や「仁」や「慈悲」といった意味もあります。そして、「利他」という意味もあります。「利他」といえば、8月に亡くなられた稲盛和夫氏が言い続けた言葉でした。稲盛氏は、企業経営者として「全従業員の物心両面の幸福」を追求し、「人類社会の進歩発展」に貢献するという思想の根源は、「人として何が正しいかという判断基準」に拠っている極めてシンプルにしてプリミティブなものだと述べています。稲盛氏は「人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力」という公式を打ち出しました。


稲盛哲学について

 

ご本人の経験則に裏打ちされたものだけに強い説得力があります。著書『心を高める、経営を伸ばす』(PHP研究所)で、稲盛氏は「能力とは、頭脳のみならず健康や運動神経も含みますが、多分に先天的なものです。しかし、熱意は、自分の意志で決められます。この能力と熱意はそれぞれ0点から100点まであり、それが積でかかると考えると、自分の能力を鼻にかけ、努力を怠った人よりも、自分には頭抜けた能力がないと思って誰よりも情熱を燃やして努力した人の方が、はるかに素晴らしい成果を残すことができるのです」と述べています。


「考え方」が最も大切だ!

 

そして、稲盛氏は一番重要なのは「考え方」であるとして、「考え方とは、人間としての生きる姿勢であり、マイナス100点からプラス100点まであります。つまり、世をすね、世を恨み、まともな生き様を否定するような生き方をすれば、マイナスがかかり、人生や仕事の成果は、能力があればあるだけ、熱意が強ければ強いだけ、大きなマイナスとなります。素晴らしい考え方、つまり人生哲学を持つか持たないかで、人生とは大きく変わってくるのです」と述べています。

 

 

稲盛氏は、第2回「孔子文化賞」を受賞しておられます。
経営コンサルタントで歴史研究家の皆木和義氏は、著書『稲盛和夫論語』(あさ出版)において、稲盛氏の教えには『論語』との共通点が多く、読書家として知られる稲盛氏が孔子の教えを血肉化しているという事実を論証しました。同書には、稲盛氏の公式は『論語』の「子曰く、位なきことを患えず、立つ所以を患う。己を知ること莫きを患えず、知らるべきことを為すことを求るなり」という言葉の影響を受けていると指摘しています。この言葉の意味ですが、「孔子は言った。地位がないことを心配せず、その地位に立つべき理由を気にせよ。自分を認める人がいないのを気にかけず、人に認められるような行動ができるように努力せよ」となります。

道歌を披露しました

 

組織のリーダーには何が必要か。それは、なによりも「人芸性」であり、世に認められるには「人間尊重」という確固たる信念に基づいた日々の実践が大事であると孔子は説きました。その孔子の教えと稲盛氏の公式は同一であると皆木氏は指摘しているのです。わが社は、創業時より「人間尊重」を大ミッションとして掲げています。社長を務めるわたし自身、稲盛氏の公式が正しいことを強く実感しています。稲盛氏の口癖は「動機善なりや、私心なかりしか」でした。わが社の事業展開も、まさにこの利他の精神で行われていることを自負しています。世のため人のために尽くせば、「情けは人のためならず」で必ず、わが社も発展すると述べて、わたしは以下の道歌を披露しました。

 

この仕事 世のため人のためなるか
     動機は善か私心はなきか

 

「今月の目標」を唱和

最後は、もちろん一同礼!

 

総合朝礼の終了後は、北九州本部会議を行います。昨年、一昨年はなんとかコロナイヤーを黒字で乗り切りましたが、コロナ3年目となる今年は正念場を迎えています。全社員が全集中の呼吸で全員の力を合わせて最後まで走り抜きたいです。

 

2022年10月1日 一条真也拝