エリザベス女王の国葬

一条真也です。
19日、史上最強クラスの台風14号が日本列島を襲っていますが、イギリスではエリザベス女王国葬がロンドンのウェストミンスター寺院で行われました。女王は8日、滞在先のスコットランドのバルモラル城で死去。96歳でした。在位期間は英国史上最長の70年でした。

 

エリザベス女王国葬には、天皇・皇后両陛下も参列されました。両陛下は日本時間の17日午前に政府専用機羽田空港から出発。羽田空港では白色のマスク姿でしたが、ロンドンに到着した際、マスクは黒色に変わっていました。黒色マスクについて宮内庁関係者は「英女王の夫フィリップ殿下の葬儀を参考にしたのでは」と推測しました。


毎日新聞」より

 

フィリップ殿下が亡くなられたのは2021年4月でしたが、そのときの葬儀では参列者は黒色マスクをしていました。一方、白色マスクは海外では「病人」のイメージが強いことに配慮したとの声もありました。エリザベス女王国葬には、両陛下はマスクをせずに参列されました。新型コロナウイルス対策を徹底するため、国内での行事などには必ずマスクをつけて参加するのがこれまでの陛下のスタイルでしたが、英国ではすでに「ノーマスク」が定着し、他の参列者もマスクを着用しないことが想定されたため、今回の判断となったようですね。



国葬」といえば、27日に日本武道館で行われる安倍晋三元首相の国葬について多方面から意見を求められています。わたしを儀式や葬儀の専門家だと思ってのことでしょうが、安倍元首相の国葬に関しては政治的側面が強すぎるため、コメントを差し控えています。「毎日新聞」が19日に配信した「エリザベス女王と安倍元首相の国葬 受け止め方の違い、どこから?」という記事では、毎日新聞社記者の大野友嘉子氏が、反対が多い安倍元首相の国葬と、大きな反発は見えないエリザベス女王国葬の受け止められ方の違いなどについて識者に聞いています。


大野氏は、「英国の国葬は法律ではなく慣習に基づいている。英下院図書館の資料によると、基本的に国王に限られるが、国王の命令やその資金を提供する議会の投票によって「例外的に著名な人物に(対象を)広げられる」としている。国王以外に国葬で送られた人には、チャーチル元英首相や科学者のニュートンなどがいる。過去には、国葬になりうる人物に生前、国葬を受けたいかどうか尋ねることがあったという。例えば、チャーチル元首相には1965年に亡くなる5年ほど前に、女王と当時の首相から亡くなった際には国葬を受けてほしいとの打診があったという」と書いています。


イギリスでは、国葬を望まなかった政治家もいました。19世紀のディズレーリ元首相は打診を断り、サッチャー元首相は自身の国葬について「適切ではない」と話していたそうです。国葬の費用は国が負担し、議会によって承認される。チャーチル元首相の国葬には4万8000ポンド(当時の約4838万円)かかったと報じられました。大野氏は、「ちなみにサッチャー元首相は、国葬に準じる『儀礼葬』で送られた。国王以外の王室メンバーや首相経験者らは、この儀礼葬が行われることが多い。ダイアナ元皇太子妃や、エリザベス女王の夫のフィリップ殿下も同様だ。儀礼葬は、議会の承認の必要はない」と述べます。


サッチャー元首相の葬儀が「国葬」ではなく「儀礼葬」であったとは改めて知りましたが、これには膝を打ちました。というのも、わたしは「国葬」とは天皇や国王のためのものであり、首相経験者といえども民間人の場合は「国葬」というのはどうもピンとこないからです。ブログ「不敬といふ事」にも書きましたが、自民党から誕生した総理大臣は戦後も皇室への敬意を忘れていませんでしたが、どうも安倍元首相のときからそれが薄れたように思えてなりません。わたしは、「東日本大震災追悼祈念式典」や例の「桜を見る会」にも参加しましたが、安倍首相のふるまいはまるで天皇のようでした。そもそも、「桜を見る会」などは、完全に天皇陛下園遊会を模した「園遊会ごっこ」だと感じました。そこにあるのは「天皇より自分の方が上だ」という不遜にして傲慢な意識であり、それは後任の菅首相にも受け継がれ、2021年の東京五輪開会式での失態につながったように思います。

 

 

エリザベス女王の荘厳な国葬をNHKの生中継で観ながら、わたしは『死の儀礼』ピーター・メトカーフ&リチャード・ハンティントン著、池上良正&池上冨美子訳(未来社)という本の内容を思い出しました。同書には、「葬送習俗の人類学的研究」というサブタイトルがついています。1991年に刊行されていますが、過去の人類学者の古典的研究から古代エジプト、中世末期以降のヨーロッパ、現代アメリカなどの事例を通して、人類学の立場から葬送儀礼に関する一般理論の構築を図った意欲作です。第六章「死せる王」の冒頭には「死には、ある逆説がつきまとう。一方で、死は偉大なる平等主義者であり、だれもが有限な存在であることの印である」として、イギリスが生んだ偉大な劇作家であるシェイクスピアの『ハムレット』の一節が紹介されます。



アレキサンダーが死ぬ、

アレキサンダーが埋葬される、   

アレキサンダーが塵にかえる。

塵は土だ。土から粘土を作る。   

そこだよ、アレキサンダーの身体でできた粘土で、   

酒樽の栓を作るかもしれぬ。   

皇帝シーザー死して土にかえり   

孔をふさぎて風をさえぎる。   

あわれ、世界を震撼せし土は   

壁と化して冬の烈風を防ぐ!

(『ハムレット』第5幕、第1場、小津次郎訳)

 

NHKニュースより

 

また『死の儀礼』には、「王の死の儀礼」について、「多くの場合、王が死ぬと、まず儀礼的活動の微動があり、やがてそれは最高潮に達して、後継者の戴冠式さえ見劣りするほどの国家的な威厳が誇示される。 王の死の儀礼は、多くの人が関心を寄せる政治劇の一部であるがゆえに、特別なものである。特に、国家が君主によって体現されている王国では、王の葬式は遠大な政治的、宇宙論的意味合いをもって語りつがれる催しであった。王の死は、しばしば諸価値を統合する強力な儀礼的表象を始動させるが、それはエルツの言葉を借りれば、『まさしくその生命原理に突然介入してきた』社会への打撃を相殺するために考案されたのである。さらに国民にとっては、英雄としての王が出会う死は、万民の終焉の元型である」と書かれています。これを読んで、やはり日本の元首相の場合は「国葬」ではなく、サッチャー元英国首相のように「儀礼葬」がふさわしいのではないかと思えてきました。

NHKニュースより

 

それにしても、エリザベス女王国葬は非常に荘厳です。儀式空間としてのウェストミンスター寺院も神聖な雰囲気に満ちています。エリザベス女王は、自身の結婚式も戴冠式もこの寺院で行いました。一般的な日本人は、結婚式は教会や神社や結婚式場で、葬儀は寺院やセレモニーホールで行いますが、人生の節目となるセレモニーをすべて同じ場所で行うというのは本当に素晴らしい! エリザベス女王国葬を見ていると、女王の偉大な人生を彩った儀式である結婚式も戴冠式国葬も、すべては新しいステージへと進む通過儀礼であることがよくわかります。

NHKニュースより

 

エリザベス女王は、イギリス国民の3分の1の人々に会われていたそうです。多くの国民が女王の死を悼んでいる様子がよく伝わってきます。21世紀になって20年以上が過ぎても、このような盛大な葬儀が行われることに、感動すら覚えます。わたしは、人類の文明も文化も、その発展の根底には「死者への想い」があったと考えています。約7万年前に、ネアンデルタール人が初めて仲間の遺体に花を捧げたとき、サルからヒトへと進化しました。


エリザベス女王の葬列(EPA時事より)

 

その後、人類は死者への愛や恐れを表現し、喪失感を癒すべく、宗教を生み出し、芸術作品をつくり、科学を発展させ、さまざまな発明を行いました。つまり「死」ではなく「葬」こそ、われわれの営為のおおもとなのです。葬儀は人類の存在基盤です。葬儀は、故人の魂を送ることはもちろんですが、残された人々の魂にもエネルギーを与えてくれます。この国葬は、女王の死を悼む英王室の方々や英国民の魂にも大きなエネルギーを与えてくれることでしょう。最後に、エリザベス女王陛下のご逝去に際し、謹んで哀悼の誠を捧げさせていただきます。



2021年9月19日 一条真也