稲盛和夫翁の遺言

一条真也です。
15日、松山から岡山経由で小倉に戻りました。
16日、早朝から松柏園ホテルの顕斎殿で恒例の月次祭を行いました。わが社は「礼の社」ですので、コロナ禍にあっても儀式を重んじるのです。もちろん、全員マスクを着けた上でソーシャルディスタンスを十分に配慮しましたが、心が洗われるようでした。

最初は、もちろん一同礼!

月次祭のようす

ソーシャルディスタンスを取って

拍手を打つ佐久間会長


玉串奉奠し、拝礼しました

最後は、もちろん一同礼!

 

皇産霊神社の瀬津神職によって神事が執り行われましたが、祭主であるサンレーグループ佐久間進会長に続いて、わたしが玉串奉奠を行いました。一同、会社の発展と社員の健康・幸福、それに新型コロナウイルスの感染拡大が終息することを祈念しました。わたしと一緒に参加者たちも二礼二拍手一礼しました。儀式によって「かたち」を合わせると、「こころ」が1つになる気がします。

天道塾でも一同礼!

佐久間会長が訓話をしました

その後、天道塾が開かれました。最初に佐久間会長が登壇して、訓話をしました。会長は、尊敬する稲盛和夫氏が90歳で逝去されたことに触れ、自身は88歳で米寿を迎えることを明かしました。それから、「実践菩薩八美道」というものを披露し、説明しました。わたしが見るところ、聖徳太子の「憲法十七条」のように神道儒教・仏教のバランスが取れています。日本人の「こころ」の三本柱に根差した幸福になるための法則のように思えました。


「実践菩薩八美道」について語る佐久間会長

 

「実践菩薩八美道」とは、一「以和為貴の心(太子の求道の精神を完全に身につける)」、二「六波羅蜜の心(六波羅密を心にきざむ。 布施・持戒・忍辱・精進・禅定・知恵)、三「知足利他の心(足るを知り他に尽す)」、四「不撓不屈の心(誰にも負けない不屈の精神)」、五「相互敬愛の心(信頼関係を保つ・互いに尊敬し合う)」、六「礼節謙譲の心(自分は一歩引いて相手を立てる・礼儀正しく節度ある行い)」、七「因果応報の心 (良いことをすれば良い事が起こる・ 逆も真なり)」、八「感謝報恩の心(何事もありがとうございます)」です。こんなことを考える佐久間会長は、わが父ながら凄いと思いました。


すみれ色のマスクで登壇しました


マスクを外しました

 

それから、わたしが登壇して、社長訓話を行いました。9月に合わせて、すみれ色の不織布マスクを着けたわたしは、尊敬する経営者であった稲盛和夫氏が逝去されたことに言及し、氏の御冥福をお祈りしました。稲盛氏は、企業経営者として「全従業員の物心両面の幸福」を追求し、「人類社会の進歩発展」に貢献するという思想の根源は、「人として何が正しいかという判断基準」に拠っている極めてシンプルにしてプリミティブなものだと述べています。稲盛氏は「人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力」という公式を打ち出しました。

稲盛和夫の方程式とは?


熱心に聴く人びと

 

ご本人の経験則に裏打ちされたものだけに強い説得力があります。著書『心を高める、経営を伸ばす』(PHP研究所)で、稲盛氏は「能力とは、頭脳のみならず健康や運動神経も含みますが、多分に先天的なものです。しかし、熱意は、自分の意志で決められます。この能力と熱意はそれぞれ0点から100点まであり、それが積でかかると考えると、自分の能力を鼻にかけ、努力を怠った人よりも、自分には頭抜けた能力がないと思って誰よりも情熱を燃やして努力した人の方が、はるかに素晴らしい成果を残すことができるのです」と述べています。

一番重要なのは「考え方」である!

 

そして、稲盛氏は一番重要なのは「考え方」であるとして、「考え方とは、人間としての生きる姿勢であり、マイナス100点からプラス100点まであります。つまり、世をすね、世を恨み、まともな生き様を否定するような生き方をすれば、マイナスがかかり、人生や仕事の成果は、能力があればあるだけ、熱意が強ければ強いだけ、大きなマイナスとなります。素晴らしい考え方、つまり人生哲学を持つか持たないかで、人生とは大きく変わってくるのです」と述べています。

 

 

稲盛氏は、第2回「孔子文化賞」を受賞しておられます。
経営コンサルタントで歴史研究家の皆木和義氏は、著書『稲盛和夫論語』(あさ出版)において、稲盛氏の教えには『論語』との共通点が多く、読書家として知られる稲盛氏が孔子の教えを血肉化しているという事実を論証しました。同書には、稲盛氏の公式は『論語』の「子曰く、位なきことを患えず、立つ所以を患う。己を知ること莫きを患えず、知らるべきことを為すことを求るなり」という言葉の影響を受けていると指摘しています。


稲盛哲学のベースには『論語』あり!

熱心に聴く人びと

 

この言葉の意味ですが、「孔子は言った。地位がないことを心配せず、その地位に立つべき理由を気にせよ。自分を認める人がいないのを気にかけず、人に認められるような行動ができるように努力せよ」となります。組織のリーダーには何が必要か。それは、なによりも「人間性」であり、世に認められるには「人間尊重」という確固たる信念に基づいた日々の実践が大事であると孔子は説きました。その孔子の教えと稲盛氏の公式は同一であると皆木氏は指摘しているのです。わが社は、創業時より「人間尊重」を大ミッションとして掲げています。社長を務めるわたし自身、稲盛氏の公式が正しいことを強く実感しています。

「PASSION」について説明

 

さらに、稲盛氏は「PROFIT (利益)」「AMBITION(願望)」「SINCERIRTY(誠実さ)」「STRENGTH(真の強さ)」「INNOVATION(創意工夫)」「OPTIMISM(積極思考)」「NEVER GIVE UP (決してあきらめない)」という経営七か条を唱え、7つの文字の頭文字を並べて「PASSION」を訴えました。わが社も、この考えによって経営されていると自負しています。

「利他」から「互助」へ

 

そして、稲盛氏から学んだ「利他」について話しました。コロナ危機によって「利他」への関心が高まっています。マスクをすること、行動を自粛すること、ステイホームすることなどは自分がコロナウィルスにかからないための防御策である以上に、自分が無症状のまま感染している可能性を踏まえて、他者に感染を広めないための行為でもあります。ブログ『思いがけず利他』で紹介した本を書いた政治学者の中島岳志氏は、いまの自分の体力に自信があり、感染しても大丈夫と思っても、街角ですれ違う人の中には、疾患を抱えている人が大勢いるだろうとして、「恐怖心を抱きながらも、電車に乗って病院に検診に通う妊婦もいる。通院が不可欠な高齢者もいます。一人暮らしの高齢者は、自分で買い物にも行かなければなりません。感染すると命にかかわる人たちとの協同で成り立っている社会の一員として、自分は利己的な振る舞いをしていていいのか」ということが各人に問われるといいます。

「他力本願」の意味について 

 

人間が自身の限界や悪に気づいたとき、「他力」がやって来ます。「他力本願」というと、「他人まかせ」という意味で使われますが、浄土教における「他力」とは、「他人の力」ではなく、「阿弥陀仏の力」です。「他力本願」とは、すべてを仏に委ねて、ゴロゴロしていればいいということではなく、大切なのは、自力の限りを尽くすことです。自力で頑張れるだけ頑張ってみると、わたしたちは必ず自己の能力の限界にぶつかります。そして、自己の絶対的な無力に出会うとして、中島氏は「重要なのはその瞬間です。有限なる人間には、どうすることもできない次元が存在する。そのことを深く認識したとき、『他力』が働くのです」と述べています。 それが大切なものを入手する偶然の瞬間です。重要なのは、わたしたちが偶然を呼び込む器になることです。

互助社会を実現しよう!

 

偶然そのものをコントロールすることはできませんが、偶然が宿る器になることは可能です。そして、この器にやって来るものが「利他」であるというのです。器に盛られた不定形の「利他」は、いずれ誰かの手に取られます。その受け手の潜在的な力が引き出されたとき、「利他」は姿を現し、起動し始めるのではないでしょうか。そして、「利他」の起動とは「互助」の発動でもあります。コロナ後の社会が目指す姿は、まさに互助社会です。そして、互助社会の中核をなすものこそ互助会です。最後に、「わが社は、互助社会を実現するための最先端企業であり続けましょう!」と言って、わたしは社長訓話を終えました。

最後は、もちろん一同礼!

 

2022年9月16日 一条真也