松山めぐり

一条真也です。
四国の松山に来ています。昨日は、ベルモニー松山さんの結婚式場「マリベールスパイア」で全互連の総会・懇親会が盛大に行われました。


バスの中で

熊野山石手山

熊野山石手山にて

熊野山石手山の山門で

翌14日、わたしたち夫婦は観光に参加しました。この日の松山は気温35度ぐらいあって、非常に暑かった! 早めの朝食を済ませて、8時にホテルを出発。まずは熊野山石手山を参拝しました。ここは、四国八十八箇所霊場の51番札所となる寺院です。あらゆる不思議を秘めたスポットとして、お遍路さんのみならず多くの観光客で賑わっています。


熊野山石手山の門で

熊野山石手山の境内で

熊野山石手山弘法大師
熊野山石手山を背に

熊野山石手山は、国宝の仁王門や、本堂を始め鐘楼や五輪塔などの重要文化財を多く所有しています。また、安産祈願の鬼子母神だけでなく、宝物館やマントラ洞、奥の院など何度来ても飽きないくらい見どころ満載でした。


松山城へはケーブルカーで


ケーブルカーの中で


ケーブルカーで松山城


松山市街を望む

次に、松山城ロープウェィで行きました。この城には「金亀城」や「勝山城」といった別名があります。松山市の中心部、勝山(標高132m)にそびえ立つ松山城は、賤ヶ岳の合戦で有名な七本槍の1人、加藤嘉明が築き始めた城です。門・櫓・塀を多数備え、狭間や石落とし、高石垣などを巧みに配し、攻守の機能に優れた連立式天守を構えた平山城と言われています。


松山城


松山城を背景に

 

松山城は、日本で12か所しか残っていない「現存12天守」のうちのひとつ、江戸時代以前に建造された天守を有する城郭の1つです。平成18年に「日本100名城」、平成19年には道後温泉とともに「美しい日本の歴史的風土100選」に選定されました。わたしも初めて訪れましたが、確かに美しいお城であると思いました。


松山城


松山城の中で

 

また松山城は、日本で唯一現存している望楼型二重櫓である野原櫓や、「現存12天守」の城郭では松山城彦根城しか存在が確認されていない、韓国の倭城の防備手法である「登り石垣」が二之丸から本丸にかけてあり、堀之内を含む城山公園全体が国の史跡で、「日本さくら名所100選」(平成2年)や「日本の歴史公園100選」(平成18年)の指定も受けています。


帰りはリフトで


リフトに乗りました

もリフトで


気温35度で暑かった! グッタリ!

松山城からはリフトで市街地に下りました。そこから、「坂の上の雲ミュージアム」に向かいました。ここは2回訪れているので、3回目の訪問となります。坂の上の雲ミュージアムは、平成19年4月に司馬遼太郎の名作『坂の上の雲』の街づくりの中核施設として誕生しました。松山市は、街全体を屋根のない博物館とするフィールドミュージアム構想のもと、回遊性の高い物語のある街を目指しているそうです。

坂の上の雲ミュージアム」の入口で

坂の上の雲ミュージアム」の館内のようす

 


展示スペースのようす


馬に乗りました


窓から見た坂の上の雲


正岡子規

 

坂の上の雲ミュージアムの中核となる小説『坂の上の雲』には、近代国家の形成期の世界や日本で起きた出来事、そのなかで生きた人々の人生など多くの物語が描かれ、現代を生きるわたしたちに大きな示唆を与えてくれます。このミュージアムでは、これらをテーマにした展示や様々な催しを行うことで、訪れた方々に歴史を学び、未来への思索を深めてもらうために作られたといいます。わたしは『坂の上の雲』の愛読者であり、NHK大河ドラマスペシャルの「坂の上の雲」(2009年~2011年)は全話観ました。今回の坂の上の雲ミュージアムはいろいろと新発見もあり、勉強になりました。

子規記念博物館

子規記念博物館を背に

 

その後、道後で昼食を取りました。
昼食後は、「子規記念博物館」を訪れました。ここには6万点近くの子規関係の収蔵資料があります。近代俳句、近代短歌をはじめ近代文学を紐解く貴重な資料の数々です。たとえば、幻と呼ばれた子規自筆の選句集「なじみ集」、歌稿「竹乃里歌」、随筆原稿「病牀六尺」の一部などがあります。また、常設展示場には、子規と親友の夏目漱石が50日余りを共に暮らした愚陀佛庵の1階部分を復元しており、その座敷に座って子規や漱石に思いを馳せていただくことができます。子規が、漱石の愚陀佛庵に寄寓したのは明治28年の秋でした。そこで、病身を癒しながら俳句革新の原稿「俳諧大要」を書き続けた子規。後に小説「坊っちやん」のモデルにしたともいわれる松山暮らしをしていた漱石。二人は、道後温泉界隈を巡り、散策し、俳句を作っています。

子規記念博物館の玄関で

子規記念博物館のロビーで

子規は、司馬遼太郎の『坂の上の雲』の中心人物の1人でもありました。ブログ「死は最大の平等」に書いたように、わたしは、2010年12月12日に放映されたNHK大河ドラマスペシャル「坂の上の雲」の第7回「子規、逝く」を観ました。香川照之(!)演じる正岡子規は、子規は寝たきりの自分の世界を「病牀六尺」と呼び、そこから日常の出来事や 感想などを新聞「日本」に連載しました。子規は、新しい俳句の創造をめざして、その生のギリギリ限界まで奮闘しました。しかし、ついには、母、妹、そして愛弟子・高浜虚子のいる家で息絶えたのです。


子規の自宅を再現


子規の机を再現


正岡子規銅像


正岡子規銅像の前で



およそ、子規ほど壮絶な生を生き抜いた人は、そうはいないでしょう。『病床六尺』を読むたびに、わたしは胸がしめつけられるような思いがします。NHK大河ドラマスペシャル「坂の上の雲」で本木雅弘が演じた秋山真之は、海軍大学校で戦術を教えていましたが、東京・根岸の「子規庵」で病床に伏す子規を訪ね、病と闘う子規の姿には感動しました。郷里・松山の幼なじみである真之の訪問に喜ぶ子規は、広い海で活躍する帝国海軍の軍人も、狭い病床で寝たきりの自分も、ともに平等であると述べます。どちらも「ちっぽけな命」を持った者同士であるというのです。わたしは、この場面に猛烈に感動しました。


道後温泉のからくり時計の前で

 

秋山真人は、明治文学界の巨人であった子規のささやかな葬儀に出向き、その墓参りをしました。 ブログ「おくりびと」で紹介した名作映画で主演し、世界中の人々から喝采を浴びた本木雅弘さんの亡き親友を悼む熱演にも感銘を受けました。「おくりびと」といえば、その原案となった ブログ『納棺夫日記』で紹介した名著の作者である故青木新門さんも全互連のお仲間でした。数日前、青木さんの「お別れ会」が10月17日に富山で開催されるという案内が届きました。その日は月次祭や天道塾に参加する予定ですが、なんとか予定をやりくりして「お別れ会」に参加したいと思っています。

砥部焼の体験施設の前で


砥部焼の見学をしました


砥部焼の絵付け体験をしました


わたしが描いた絵皿です!

 

子規記念博物館を後にすると、わたしたちは砥部町を訪れて、砥部焼の絵付け体験をしました。愛媛県指定無形文化財である砥部焼は、一般には、食器、花器等が多いそうです。後背の山地から良質の陶石が産出されていたことから、大洲藩の庇護のもとで発展を遂げました。やや厚手の白磁に、呉須と呼ばれる薄い藍色の手書きの図案が特徴です。砥部の盆地では、山裾の傾斜が窯の立地に適し、燃料となる豊富な木材がたやすく手に入ったため、古くより焼き物が焼かれていたそうです。


道後温泉の最新スポットで

大和屋本店の前で

懇親会のようす

背後は、なんと能舞台

その後、わたしたちはこの日の宿となる道後温泉の「大和屋本店」に向かいました。日本最古の歴史書である『日本書紀』にもその名が出てくる道後温泉大和屋本店は、その中心施設・道後温泉本館の真隣に構える慶応4年(明治元年)創業の老舗旅館です。平成8年には新築再創業し、老舗ならではの伝統を守りつつ現代的なおもてなしを目指しているといいます。ここにチェックインした後、ゆっくり温泉に浸かりました。18時からはゴルフ組と一緒に懇親会が開かれました。このたびの2日間は、全互連の仲間たちとの交流や意見交換の時間を持つことができ、とても有意義でした。


挨拶&乾杯の音頭を取りました


カンパ~イ!

 

2022年9月14日 一条真也