一条真也です。
たった一字に深い意味を秘めている文字は、世界でも漢字だけです。そこには、人のこころを豊かにする言霊が宿っています。その意味を知れば、さらに、こころは豊かになるでしょう。今回の「こころの一字」は、「言」です。



名演説家として知られたウィンストン・チャーチルは「人に与えられたあらゆる能力のなかで、話術ほど重要な能力はない」と言いました。欧米人のあいだでは「スピーチは命である」という考え方が徹底しています。スピーチをするときに一番大切なのは、最初の10秒間であるといいます。なぜなら、その10秒間で勝負がついてしまうからです。気が散っている人や、興味を示さない人の心に食い込むのは、このときです。相手を集中させ、興味を引くのは、このときしかないのです。



フランスの箴言ラ・ロシュフーコーは、「話していて愉快になる人があまりにも少なすぎる理由は、みんな相手の話していることよりも、自分の話そうとしていることばかりを考えているからである」と言いました。アメリカ大統領には多数のスピーチ・ライターがついていて演説のための原稿を練り上げ、繰り返し大統領にスピーチの練習をさせます。彼らは知っているのです。たった5分間のスピーチが世界中の人々に、あるいは全社員にどれだけの影響を与えるかということを。

 

 

そもそも、政治や経営の世界において大切なことは「何を語るか」ではなく、「誰が語るか」です。ソフィアバンク代表の田坂広志氏によれば、経営者の究極の役割とは、力に満ちた言葉、すなわち「言霊」を語ることであるといいます。社員の心を励ます言葉。マネジャーの胸を打つ言葉。経営幹部の腹に響く言葉。顧客の気持ちを惹きつける言葉。そうした言霊の数々を語ることこそ、経営者の役割なのです。

 

 

「吾れ言を知る」と言った孟子は、その「言」を4つ挙げています。1つは、ひ辞。偏った言葉。概念的・論理的に自分の都合のいいようにつける理屈。2つ目は、淫辞。淫は物事に執念深く耽溺することで、何でもかんでも理屈をつけて押し通そうとすることである。3つ目は、邪辞。よこしまな言葉、よこしまな心からつける理屈。4つ目は、遁辞。逃げ口上である。つまり、これら4つの言葉は、リーダーとして決して言ってはならない言葉なのです。

 

 

では、何を言うべきか。それは、真実です。リーダーは第一線に出て、部下たちが間違った情報に引きずられないように、真実を語らなければなりません。部下たちに適切な情報を与えないでおくと、リーダーが望むのとは正反対の方向へ彼らを導くことにもなります。そして説得力のあるメッセージは、リーダーへの信頼の上に築かれます。信頼はリーダーに無条件に与えられるわけではありません。それはリーダーが自ら勝ち取るものであり、頭を使い、心を込めて、語りかけ、実行してみせることによって手に入れるものなのです。

 

 

信頼できるリーダーとは、組織の利害の最も良き体現者であることを身をもって示し、自分は部下たちへの奉仕者だと考えます。そして、部下たちの成功を願って、彼らが必要とするものを与えます。こうした上司は、自らの評価は部下の1人ひとり、あるいは部門全体が成し遂げた成果によって決まると知っています。だから、部下の1人ひとりや部門に対する厚い支援を惜しまないのです。

 

 

信頼できるリーダーのメッセージには説得力があると言われます。この説得力のレベルは、リーダー個人の資質にもよりますが、そのリーダーが組織でどれほどの地位を占めているかにもよります。またそれは、組織の健康状態の指標でもあります。組織の健康はリーダーの大切な資質の1つである「コミュニケーション力」から作られるからです。リーダーが人々を引っ張っていく根本は、コミュニケーション力にあるのです。

 

 

リーダーにふさわしいコミュニケーション力は、組織の価値観や文化に根ざしています。そして、社員、顧客、株主にメディアに至るまで組織に関わる人々にとって意義のあるメッセージから生み出されます。それには、組織の理念と使命と変革への意志が込められていなければなりません。リーダーのメッセージは、部下とのあいだに信頼関係を打ち立てるために発揮されます。

 

龍馬とカエサル

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その内容には次の4つの要素が必要です。まず、意義です。人材、生産性、商品など、組織の現在と未来に関わる大きな課題について言及されていること。次に、価値観。組織の理念としてのビジョン、なすべき使命としてのミッション、それに文化が盛り込まれていること。3つ目は、首尾一貫性。言行が一致していること。そして4つ目は、メリハリ。一定の規則をもって語られることです。

 

 

説得力のあるメッセージは、リーダーシップを発揮することで生み出されます。それは、リーダー個人の資質だけでなく、組織の価値観を体現しています。その組織がどれだけ開かれているか、まとまりがあるか、透明度が高いかなど、すなわち、組織文化・組織風土の表れでもあるのです。ドラッカーも言うように、リーダーのコミュニケーション力は、情報を伝えることよりも、ある組織文化のなかでの一体感、親近感を生み出すために役立ちます。

 

 

最後に、リーダーは部下に向けて、さまざまな場で繰り返しメッセージを語り、リーダーが何を期待し、組織が何を望み、それに対して部下は何をすべきかの理解を求めるべきです。そうすれば、リーダーと部下たちは相互理解に基づいた連帯感をつくり上げ、相互信頼によって一丸となり、組織のゴールをめざすことができるでしょう。なお、「言」については、『孔子とドラッカー 新装版』(三五館)に詳しく書きました。

 

 

2022年8月22日 一条真也