弔辞は必ず故人に届く!

一条真也です。
安倍元首相を失った喪失感を多くの日本人が感じています。サンレーグリーフケア推進課長で上級グリーフケア士の市原泰人課長からブログ「『紫雲』が入った戒名」を読んだ感想がLINEで届きました。



市原課長は、「もしこの葬儀が行われなかったらどうなっていただろうと考えさせられました。恐らく遺族や周りの方々の心は荒み大きなグリーフを抱えるであろう、もしかしたら国民は犯人に対して弾劾し、抗議デモやもしかしたらテロまで起こる可能性もあります。それを防いでいるのは葬儀だと思います。まず弔い、悼むことで心はひとまず落ち着きます。戒名の字の一つ一つを見て亡くなった方のことを思い出すこともあると思います。今回は安倍元総理大臣であり、銃撃されたというショッキングなことでしたが、誰が亡くなろうとこの葬儀の力は全ての人に作用し、やはり葬儀はケアであり、供養であり社会に必要な仕組みだと考えさせられています」と述べています。さすがは、日本に10人しかいない上級グリーフケア士の感想ですね。わたしも、今回の葬儀は日本人が葬儀の意味を考える契機となったのではと感じています。


ヤフーニュースより

 

東京都港区の増上寺で行われた安倍元首相の葬儀では、友人代表として、自民党麻生太郎副総裁(元首相)が弔辞を読みました。麻生氏は、冒頭に「安倍先生、今日はどういう言葉を申し上げればよいのか、何も見つけられないまま、この日を迎えてしまいました。参院選の街頭遊説のさなかに凶弾に倒れた。いくら何でもそれはなかろう。この事態は私にとって、到底受け入れられるものではありませんでした。そしてまた、多くの国民もやり場のない怒りや悲しみに暮れております。誰もがどうお悔やみを申し上げればよいのか、その言葉すら知りません」と述べた後、「戦後最長となられた在任期間を通じ、積極的な安倍外交は、あなたの持ち前のセンスと、守るべき一線は譲らない類まれなる胆力によって、各国の首脳からも一目置かれ、日本のプレゼンス、存在を飛躍的に高めたと確信しております。あなたが総理を退任された後も、ことあるごとに『安倍は何と言っている』と、各国首脳が漏らしたことに私は日本人として誇らしい気持ちを持ったものであります」などと述べました。


麻生氏は、故人とのさまざまな思い出を語った後、「先生はこれから、(父親の)晋太郎先生の下に旅立たれますが、今まで成し遂げられたことを胸を張ってご報告をして頂ければと思います。そして、(祖父の)岸信介先生も加われるでしょうが、政治談議に花を咲かせられるのではないかとも思っております。ただ先生と苦楽を共にされて、最後まで一番近くで支えて来られた昭恵夫人、またご親族の皆様もどうかいつまでも温かく見守って頂ければと思います。そのことをまた、家族ぐるみのお付き合いをさせて頂きました友人の一人として心からお願いを申し上げる次第であります。まだまだ安倍先生に申し上げたいことがたくさんあるのですが、私もそのうちそちらに参りますので、その時はこれまで以上に冗談を言いながら、楽しく語り合えるのを楽しみにしております。正直申し上げて、私の弔辞を安倍先生に話して頂くつもりでした。無念です」と述べました。失言が多いことで知られる麻生氏ですが、この裏表のない真心の言葉は多くの国民の心に響いたことと思います。わたしも、感動いたしました。

 

 

わたしは日々、多くの葬儀に参列し、多くの弔辞を聴いていますが、まことに弔辞とは胸を打つものです。ブログ『弔辞 劇的な人生を送る言葉』で紹介した本のカバー前そでには、「わずか数分に凝縮された万感の思い。故人との濃密な関係があったからこそ語られる、かけがえのない思い出、知られざるエピソード、感謝の気持ち。作家、政治家、俳優、歌手、漫画家、芸人、スポーツ選手まで、二十世紀を彩った50人への名弔辞を収録」と書かれています。同書を読んで、弔辞もまた文学、いや弔辞こそ文学であると思いました。まさに「こころの文学」です! しかしながら、最近の葬儀は直葬など小規模葬儀が多くなっており、葬儀の中で生前に親しかった方より弔辞をいただく場面をあまり見なくなりました。本当に寂しい限りです。しっかりと心に残る最期の儀式を最高の形で創り出すお手伝いをすることが、わが社の使命であると痛感しました。


ヤフーニュースより

 

弔辞ではありませんが、菅義偉前首相が13日の「BSフジLIVE プライムニュース」に生出演し、盟友・安倍晋三元首相について気丈にコメントしています。菅氏は約7年8カ月にわたって安倍政権で官房長官を務め「趣味は安倍晋三」と表現したこともありました。菅氏は官房長官時代の7年8カ月、安倍氏と毎日顔を合わせていたと明かし、「まさに一心同体。官房長の時はそうだったと思います」と告白。訃報に触れ「涙があふれる思いですよね。あれだけ元気でリーダーシップを発揮した人が一瞬にして消えてしまうわけですから、現実とは思えないような感じですよね」と肩を落としました。


8日、安倍氏奈良市内で参院選の応援演説中に銃撃されたとの一報を聞き、菅氏は予定を変更し急きょ、奈良へ向かったそうです。「胸だと(胸を撃たれたと)聞いたものですから、万が一のことを考えて・・・同じ空気を吸いたいという感じでした」と語り、数秒間の沈黙の後「(安倍氏は)寂しがり屋でもありましたので。そばにいてやりたい、そんな感じでとにかく行ってみようという」と続けました。安倍氏を「宰相としての全てを兼ね備えた政治家」とし、「思いやりがあった」とも話しましたが、この「同じ空気を吸いたい」「寂しがり屋でもありましたので。そばにいてやりたい」という言葉には真心があり、これも多くの人々が感動したようです。昨年の東京五輪の強行開催をはじめ、菅氏に良いイメージを持っていない人は多かったでしょうが、この言葉を聴いて印象が変わったのではないでしょうか? 正直言って、わたしも「冷たい人ではないか」と思っていましたが、その考えを改めました。

 

 

ところで、このような残された人の言葉は、亡くなった人に届いているのでしょうか。数えきれないほどの葬儀に参列し、その後の遺族の不思議な経験談を聴き、心霊関係の本も大量に読んだわたしは、「弔辞や故人へのメッセージは必ず届いている」です。そうでなければ、葬儀など行う意味はありません。生前親交のあった「霊界の宣伝マン」こと丹波哲郎さんは、「葬儀のとき、亡くなった人は遺影のところに立っているか、棺に腰かけて、自分の葬儀の様子を見ている」と言われていました。当然ながら、弔辞は聴こえています。また、医療と心霊科学の第一人者である東京大学名誉教授の矢作直樹さんと対談したとき、「肉体は死んでも、最後まで聴力と臭覚だけは残っている。だから、枕経をあげたり、線香を焚いて、死者を導くのだ」という会話をしました。対談内容は、『命には続きがある』(PHP文庫)に収められています。わたしは、憲政史上最長の政権を続けられた大政治家に敬意を表して、新国立競技場か東京ドームで「国葬」を行うべきだと思います。最後に、故人の御冥福を心よりお祈りいたします。合掌。


心より御冥福をお祈りいたします

 

2022年7月14日 一条真也