沖縄・金沢・冠婚葬祭

一条真也です。
16日の夜は満月で、「フラワームーン」。17日の朝、松柏園ホテルの神殿で恒例の月次祭が行われました。

神事の最初は一同礼!


月次祭のようす


ソーシャルディスタンス!


拝礼をする佐久間会長

玉串を受け取りました


わたしも拝礼しました

 

皇産霊神社の瀬津神職によって神事が執り行われましたが、祭主であるサンレーグループ佐久間進会長に続いて、わたしが玉串奉奠を行いました。一同、会社の発展と社員の健康・幸福、それに新型コロナウイルスの感染拡大が終息することを祈念しました。わたしと一緒に参加者たちも二礼二拍手一礼しました。儀式によって「かたち」を合わせると、「こころ」が1つになる気がします。

最初は、もちろん一同礼!

最初は佐久間会長の訓話です

 

神事の後は、恒例の「天道塾」です。最初に佐久間会長が登壇し、訓話をしました。まずは昨日の沖縄返還50年の話題に触れ、1972年に沖縄が日本に返還された翌月には那覇市サンレー沖縄の発会式を行った思い出を振り返りました。沖縄という独特の文化が根づく土地で受け入れられるか不安もあったそうですが、「守礼之邦」と「小笠原流礼法」の「礼」つながりでサンレーの企業文化とマッチしたそうです。今では、小笠原流礼法は沖縄が最も盛んな土地であるとか。


佐久間会長訓話のようす

 

それから、佐久間会長は小倉の旦過市場の火災の話をしました。じつは、あの土地の多くはわが社の所有地でしたが、北九州市に頼まれて売却した経緯などを説明し、知らなかった参加者たちは驚いていました。また、6月11日に新装オープンする「日王の湯」の話題に移り、オープンイベントとしてマルシェ(市場)を開き、32店舗が集結するので、ぜひ家族で足を運んでほしいとお願いしました。日王の湯がある田川郡福智町は自然の豊かな場所ですが、佐久間会長は「自然の恵みをどう活かすかが今後の観光のカギになる」と力説しました。

グリーンの小倉織マスク姿で登壇

 

続いて、わたしが、グリーンの小倉織マスク姿で登壇しました。まず、「昨夜は、フラワームーンでした。たくさんの花が咲き乱れる5月の満月にふさわしい美しいネーミングです。5月はわたしの誕生日月でもあり、10日に59歳になりました。来年は還暦を迎えます」と述べてから、以下の話をしました。昨日5月15日、沖縄が日本に復帰して50年を迎えました。その日に開催された記念式典では、天皇陛下がオンライン参加され、お言葉を寄せられました。天皇陛下は初めて沖縄の課題に言及されましたが、「ぬちどぅたから」(命の宝)という方言を使われたことも併せて、わたしは感銘を受けました。

小倉織マスクを外しました

 

岸田総理大臣は沖縄の記念式典出席などのために14日から沖縄県を訪問。14日は糸満市国立沖縄戦没者墓苑に献花しました。その他、復元中の首里城などを視察しました。同じ14日、「基地のない沖縄」を目指す平和行進が行われました。平和行進は2021年、2020年は新型コロナウイルスの影響で中止となりましたが、今年は日程を半日に短縮し、事前登録した人だけで開催され、全国各地からおよそ1000人が参加しました。復帰50年を迎えても、今なお基地問題の深刻さはそのままです。



13日、ブログ「シン・ウルトラマン」で紹介した話題の空想特撮映画が公開されました。わたしは公開初日に金沢のシネコンで鑑賞しましたが、同作に登場するザラブ星人メフィラス星人、そしてゼットンの物語を書いたのは、名脚本家として知られる金城哲夫です。1938年に沖縄県島尻郡南風原町に生まれた彼は、「ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」など第1期ウルトラシリーズを企画し、文芸部長としてシリーズの基礎を作り上げた1人です。彼が手掛けた物語には、壮絶な戦争体験をはじめ沖縄人の想いが溢れています。


「シン・ウルトラマン」について話しました

 

沖縄には今でも米軍基地が存在しますが、ウルトラマン自体が米軍のような存在であったと考えられています。そもそも、ウルトラマンはなぜ、自分の星でもない地球のために戦ってくれたのか? その謎を突き詰めると、どうしても地球=日本、ウルトラマンアメリカという構図が見えてきます。もっとも地球にも怪獣(映画では禍威獣)を退治するための科学特捜隊すなわち科特隊(映画では禍特対)が存在しますが、これはまさに自衛隊のような組織であると言えるでしょう。TVドラマ「ウルトラマン」最終回の脚本はメインライターの金城哲夫でした。



ウルトラマン」の最終話が放映されたのは1967年4月7日。折しも小笠原諸島の日本復帰に向けての交渉がなされているときであり、当時の日本政府は沖縄返還も持ち掛けていた」と書かれています。ちなみに、「ウルトラマン」の後継番組は「ウルトラセブン」でした。日本の特撮ドラマシリーズの最高傑作とされている番組です。俗説では、ウルトラセブンとは「アメリカ第七艦隊」の意味だと言われました。本当はウルトラ警備隊の「七番目の隊員」という意味ですが、脚本家の市川森一が「ウルトラセブンは第七艦隊」と広めてしまったようです。のちに、市川はNHKのテレビ番組「私が愛したウルトラセブン」のシナリオを書きましたが、劇中で金城哲夫に「ウルトラセブンは第七艦隊に見える」と言わせています。



映画「シン・ウルトラマン」の主題歌は、米津玄師の「M八七」です。このタイトルに違和感をおぼえた人は多いはず。なぜなら、ウルトラマンといえば、M78星雲にある「光の国」から地球に来た宇宙人という設定だからです。当初はウルトラマンの故郷は「M87星雲」という設定であったものの、台本の誤植により「M78星雲」と表記されてしまい、現在までそのままになっているという経緯があるようです。その意味では、米津は初期設定に戻したことになりますが、じつは、沖縄の人々の間で「M78」は「南の那覇」の意味だという説があるとか。確かに、「光の国」のモデルが陽光降り注ぐ那覇だというのはイメージに合います。そこには、沖縄の人々の平和への祈りも込めれていたのかもしれません。


沖縄のグリーフについて

 

第二次世界大戦を通して、沖縄の人々は日本で最も激しい地上戦を戦い抜きました。激戦であった沖縄戦において、日米両国、無数の人々が敵味方として殺し合い、そして集団自決するという悲しい事実もあったことを忘れてはなりません。森山良子の名曲「さとうきび畑」の中では「ざわわ、ざわわ」という風の音が66回も繰り返されますが、まさに慰霊と鎮魂の歌です。石垣島をはじめ、沖縄の人々は亡くなると海のかなたの理想郷である「ニライカナイ」へ旅立つという信仰があります。2019年の6月、石垣紫雲閣の竣工式で主催者あいさつをしたわたしは、最後に「さとうきび ざわわざわわと風に揺れ 青い空には紫の雲」という短歌を披露しました。


熱心に聴く人びと

 

わが社は沖縄県でも多くのセレモニーホールを運営していますが、わたしは、「セレモニーホール」とは「基地」の反対としての究極の平和施設ではないかと思っています。なぜなら、「死は最大の平等」であり、亡くなった方々は平和な魂の世界へと旅立たれるからです。沖縄の方々は、誰よりも先祖を大切にし、熱心に故人の供養をされます。日本でも最高の「礼」を実現していると思います。今年は、終戦70周年の年。先の戦争では、沖縄の方々は筆舌に尽くせぬ大変なご苦労をされました。わたしたちは、心を込めて、沖縄の方々の御霊をお送りするお手伝いをさせていただきたいと願っています。戦後70年となる2015年4月4日、豊崎紫雲閣の竣工式を開催。そこで、わたしは主催者挨拶の最後に「紫の雲ぞ来たれり豊見城(とみぐすく)守礼之邦の礼を守らん」という歌を心をこめて詠みました。


「本土復帰」ではなく「沖縄復帰」を!

 

そう、沖縄は「守礼之邦」と呼ばれます。もともとは琉球宗主国であった明への忠誠を表す言葉だったようですが、わたしは「礼」を「人間尊重」という意味でとらえています。沖縄の方々は、高齢者を大切にし、先祖を大切にし、熱心に故人の供養をされます。その上、隣人も大切にします。それだけではありません。沖縄には、「いちゃりばちょーでい」という言葉がありますが、「一度会ったら兄弟」という意味です。沖縄では、あらゆる縁が生かされるのです。まさに「袖すり合うも多生の縁」は沖縄にあり! 「守礼之邦」は大いなる「有縁社会」です。すべての日本人が幸せに暮らすためのヒントが沖縄にはたくさんあります。今こそ、沖縄の「本土復帰」ではなく、日本の「沖縄復帰」を願っています。


「M78」の意味とは?

 

さて、沖縄復帰50年の前日となる5月14日、わたしは金沢にいました。この日、石川県金沢市大額1丁目421番地にわが社の新施設である「大額紫雲閣」が完成し、10時から竣工清祓神事が行われたのです。サンレーとしては、金沢市内で9番目、石川県内で16番目、全国で91番目(いずれも完成分)のセレモニーホール(コミュニティホール)となります。大額紫雲閣の竣工神事は、地元を代表する神社である林郷八幡神社の加藤正俊宮司にお願いしました。

大額紫雲閣について

 

主催者挨拶では、わたしは、「現在わが社には、90のセレモニーホール=コミュニティホールがありますが、新たにこの金沢市大額の地に大額紫雲閣が加わります。歴史的に石川県は信仰心が篤い人が多く、現在でも東本願寺の金沢別院をこころの拠り所にされている人々が多い地域でもあります。大額周辺の『金沢市南部丘陵歴史夢街道』に、四十万(しじま)という地名がありますが、この地名の由来は、百済からの距離が四十万里だったからという説があります。かつて、百済から阿弥陀如来像がこの地に迎えられたという伝承によるものだそうです。この土地の豊かな歴史と文化を感じます」と述べました。

紫の雲いとあはれなり

 

それから、「大額の『額』はぬかずくこと、すなわち『礼拝』するという意味です。清少納言の『枕草子』には『あはれなるもの』として『うちおこなひたる 暁の額(ぬか)など いみじう あはれなり』という一文があります。『勤行をしている夜明け前の礼拝などは、たいそう しみじみとして 心打たれるものよ』という意味ですが、サンレーが紫雲閣を展開する地名として『大額(おおぬか)』はまことに相応しいものと感じられます。新施設で最高の心のサービスを提供させていただき、この地の方々が心ゆたかな人生を送り、人生を卒業されるお手伝いをさせていただきたいと願っています」と述べ、最後に「大いなる ぬかづきの地に のぼりたる紫の雲 いとあはれなり」という道歌を披露しました。

 

 

最後に、わが国における儒教研究の第一人者である大阪大学名誉教授の加地伸行先生との対談本『論語と冠婚葬祭』(現代書林)が5月20日に発売されます。わたしは長い間、「礼とは何か?」「なぜ、冠婚葬祭は必要か?」について考え続けてきましたが、加地先生との対談でついにその答えを得ることができました。本書は、冠婚葬祭互助会業界の同志たちをはじめ、冠婚葬祭に関わるすべての人々にとっての理論武装の書となるように思います。また、渋沢栄一の『論語と算盤』の副読本として読んでいただくのも良いかもしれません。『論語と冠婚葬祭』というタイトルはわたしが考えたのですが、加地先生から「素晴らしい!」と褒めていただきました。

 

 

加地先生は『論語』とともに儒教の重要教典である『孝経』を訳されたことで有名です。日本人の葬儀には儒教の影響が大きいことは明らかですが、その根底には「孝」の思想があります。あらゆる人には祖先および子孫というものがありますが、祖先とは過去であり、子孫とは未来です。その過去と未来をつなぐ中間に現在があり、現在は現実の親子によって表わされます。すなわち、親は将来の祖先であり、子は将来の子孫の出発点です。だから子の親に対する関係は、子孫の祖先に対する関係でもあります。

「孝」があれば、人は死なない!

 

死の観念と結びついた「孝」は、死を逆転して「生命の連続」という観念を生み出しました。亡くなった先祖の供養をすること、つまり祖先祭祀とは、祖先の存在を確認することです。また、祖先があるということは、祖先から自分に至るまで確実に生命が続いてきたということになります。さらには、自分という個体は死によってやむをえず消滅するけれども、もし子孫があれば、自分の生命は生き残っていくことになります。だとすると、現在生きているわたしたちは、自らの生命の糸をたぐっていくと、はるかな過去にも、はるかな未来にも、祖先も子孫も含め、皆と一緒に共に生きていることになります。

 

 

加地先生との対談では、『論語』と並んで儒教の最重要聖典とされている『礼記』の話題も出ました。『礼記』の「昏義篇」には、「婚礼は敬しく慎んで重々しくまちがいなく進められていってそして夫婦が相親しむのである。それは婚礼がすべての礼の根本になる要素を持っているからである。そしてまたこのようにていねいに行うことによって、男女が互にけじめを守って接するべきものであること、またこれが夫婦の間の義をたてることになることを教えている」(下見隆雄訳)と書かれていますが、これは非常に重要な記述です。


婚礼はすべての礼の根本!

 

続けて、『礼記』には、そもそも男女の間にけじめがあってこそ夫婦の正しい結びつきは生じ、「夫婦の義があってはじめて父子の間にも肉親の愛がめばえるのであり、父子が正しい愛で結ばれていればこそ君臣の関係もこの感情をおし及ぼして正しく成りたつのである。こういうわけで、婚礼こそはすべての礼の本になるものといえるわけである。礼というものは冠礼から始まり、婚礼を本として、喪祭を重んじてその終りを慎むのである。朝聘の礼を尊んで君臣の義を正しく保ち、射郷の礼をほどよく行なうことによって人々の気持をとけあわせなごませるのである。こういうわけで、婚礼こそはすべての礼の最も重要なる根本と云えるわけである」と述べられています。


熱心に聴く人びと

 

わたしは、これを読んで不思議に思いました。というのも、一般に、儒教では「葬礼」を重視することが知られています。しかしながら、『礼記』では「葬礼」ではなく「婚礼」が礼の最も重要なる根本であると述べています。これは、一体どういうことかと不思議に思ったのです。この問題について、わたしは以下のように考えました。葬儀を行うためには家族の存在が必要です。葬儀の当事者は死んでいるわけですから、自分では葬儀を行うことはできません。その家族をつくるためには夫婦が子どもを授からなければならず、そのためにはまず結婚しなければならないわけです。「卵が先か鶏が先か」ではありませんが、家族を形成するにはまず結婚しなければ始まりません。

「最高の平和」を実現しよう!

 

欧米の影響でいくら個人主義が叫ばれようとも、東アジアの人々の基本は家族主義なのです。そして、冠婚葬祭という文化を支えているものこそ家族主義です。考えてみれば、結婚式や葬儀といった冠婚葬祭を行わなければ家族や親族といった「一族」が一同に会しません。そうなれば、ただでさえ進んでいる個人主義がさらに加速し、血縁というものは完全に崩壊するでしょう。現代日本において、「葬儀を行うためには、まずは結婚する」という認識が広まることを願ってやみません。それは日本人の生存戦略にほかならないのです。そして、結婚は最高の平和です。最後に、わたしは「ロシアがウクライナに侵攻し、中国が台湾を狙い、世界大戦の危機が囁かれている今こそ、一組でも多くの夫婦が誕生するお手伝いをし、『最高の平和』を実現しようではありませんか!」と述べました。


上級グリーフケア士によるスピーチ

 

その後、上級グリーフケア士である北九州の市原課長、金沢の大谷総支配人、上級グリーフケア士を目指す沖縄の島袋支配人からコメントが述べられました。市原課長は、「120時間以上の研修を受けて、上級グリーフケア士の資格をいただきました。この資格に恥じないように精進し、お客様のケアに努めていきたいです」と述べました。大谷総支配人は、「深い悲嘆の前では言葉など無力ではないかと考えていたところ、『のこされた あなたへ』という本を読んで大変なショックを受けました。グリーフケアについて、社長が『人間愛の発露であり、幸福へのサポートであり、平和への祈りである』と言われましたが、自分もそうだと思います。グリーフケアの考えが普及すれば、世界から戦争がなくなると思います」と述べました。


3人のスピーチの後、総括しました

 

島袋支配人は、「沖縄は復帰50周年を迎えましたが、沖縄の人々は深いグリーフを抱えながら生きてきました。先日、海洋散骨に立ち合わせていただきましたが、涙を流す方、笑顔で別れの言葉を言う方・・・・・・まさにグリーフケアだと思いました」と述べました。3人とも素晴らしいコメントでした。最後にわたしが総括し、「最もグリーフケアを学んでほしいのは、ウラジミール・プーチン習近平です。グリーフケアは世界を平和にし、人の心を平安にします。ぜひ、グリーフケアの普及に努めましょう!」と言って降壇しました。

最後は、もちろん一同礼!

 

2022年5月17日 一条真也