「死刑にいたる病」

一条真也です。
6日の夜、この日に公開されたばかりの日本映画「死刑にいたる病」をレイトショーで観ました。わたしの好きな女優である中山美穂が出演しているということで楽しみにしていましたが、非常に気持ちの悪い映画でした。ミポリンには、こんなグロくて不快な映画に出てほしくなかった!


ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「『ホーンテッド・キャンパス』の原作などで知られる櫛木理宇のサスペンス小説を映画化。世間を騒然とさせた連続殺人事件の犯人から、1件の冤罪の証明を依頼された大学生が事件を再調査する。監督を『孤狼の血』シリーズなどの白石和彌、脚本を『そこのみにて光輝く』などの高田亮が担う。連続殺人鬼を『彼女がその名を知らない鳥たち』で白石監督と組んだ阿部サダヲ、事件の真相を追う大学生を『望み』などの岡田健史が演じる」

 

ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「理想とはかけ離れた大学生活で悶々とした日々を過ごす筧井雅也(岡田健史)のもとに、ある日1通の手紙が届く。それは大勢の若者を殺害し、そのうち9件の事件で死刑判決を受けている凶悪犯・榛村大和(阿部サダヲ)からのもので、『罪は認めるが最後の事件は冤罪だ。犯人はほかにいることを証明してほしい』と記されていた。かつて筧井の地元でパン屋を営んでいた旧知の榛村の願いに応えるべく、筧井は事件の真相を独自に調べ始める」


予告編から、この映画が連続殺人鬼が主人公であることは知っていましたが、それにしても冒頭から犯人の未成年者の被害者に対する惨たらしいシーンが続き、目を背けたくなりました。ホラー映画やサスペンス映画の残虐シーンには完全に免疫のあるわたしでさえそうなのですから、その手のシーンが苦手な人は精神的に辛いと思います。主役のサイコキラーを演じた阿部サダヲは目がクリクリしていて腹話術の人形のような顔をしていますが、この映画では目が真っ黒になって不気味さMAXの表情でした。エプロンをしたパン屋さんの格好で犯行に及ぶ姿は、いま話題のジョニー・デップ(!)が殺人理髪師を演じた「スウィーニー・トッド」(2008年)を連想しました。


冒頭の残虐シーンを我慢して観ていると、収監されている凶悪犯・榛村大和(阿部サダヲ)と犯人から手紙を送られた青年のやりとりになります。その青年というのが、犯人のパン屋に中学生の頃に通っていて、今は三流大学の学生である筧井雅也(岡田健史)です。この雅也がコミュ障というか陰キャそのもので、観ていてイライラします。「罪は認めるが最後の事件は冤罪だ。犯人はほかにいることを証明してほしい」という榛村の依頼を受けて、雅也は真犯人の洗い出しを行いますが、次第に明らかになる真相には驚きがありません。ラストも衝撃的ではなく、ミステリーとしては消化不良感が残りました。


雅也が拘置所を訪れて犯人と面会するシーンには、緊張感がありましたね。レビューの中には、「羊たちの沈黙」(1981年)を連想したという内容もありましたが、正直言って、ミステリー&サスペンス映画の歴史に残るキャラクターであるレクター博士と榛村大和を比較するのには無理があります。むしろ、榛村はブログ「スマホを落としただけなのに」ブログ「スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼」に登場する殺人鬼のイメージに近いです。また、面会場面での心理戦は非常に緊迫感に満ちており、ブログ「三度目の殺人」ブログ「ファーストラヴ」で紹介した日本映画の面会シーンを思い出しました。


さて、この映画を観た最大の理由はお気に入りの女優である中山美穂が出演しているからです。彼女は1982年、小金井市立緑中学校1年生の時に原宿でスカウトされ、芸能界入りしました。最初は広告、ポスター等のモデル活動のほか、TDKカセット「ADスプレンダー」や明治製菓のCMに出演。ビジュアルでは昭和の歴代アイドルの中でもトップクラスの評価でした。1985年、TBS系ドラマ「毎度おさわがせします」のツッパリ少女・のどか役で女優デビュー。同ドラマ終了後、所属事務所をバーニング傘下のビッグアップルに移籍。1985年、シングル「C」でアイドル歌手としてもデビュー。同年、ヒロイン役で初出演した映画「ビーバップ・ハイスクール」が劇場公開されて大ヒット。また年末には、新人アイドルが豊作だった中で、その頂点に達する第27回「日本レコード大賞」最優秀新人賞 を受賞するなど活躍が続きました。


1987年に放送され高視聴率を獲得した主演ドラマ「ママはアイドル」の役柄・中山美穂の愛称ミポリンが、実際の中山の愛称としても定着。同年ブロマイド売上枚数が女性部門でトップになります。1988年にNHK紅白歌合戦に初出場し、以後1994年まで7年連続で出場。1989年、フジテレビ月9枠のドラマ「君の瞳に恋してる!」に主演。男性だけではなく女性からも憧れを誘う存在となって、以後、その月9枠の常連となり、主演が7作品と、女性では最多を記録しています(男性を含めると木村拓哉に次ぐ第2位)。また、主演と主題歌を担当した作品も4作で、最多だそうです。これは凄い!


そんなスーパーアイドルだったミポリンですが、映画「死刑にいたる病」では、ちょっと心配もしていました。というのも、この作品の完成披露試写会に出たときのミポリンのお顔があまり調子が良さそうではなかったからです。若い頃は絶世の美女として鳴らしたミポリンだけに、いくつになっても「美」を放棄することはできないと思われます。そのメンテナンスにもかなりの手間とお金をかけているのでしょうが、それが失敗したとは言いませんが、中には「アイドルの頃の面影がまったくない!」とか「お顔の担当を替えた方がいいのでは?」などの心ない声も聞こえました。わたし自身、彼女の最近の姿を見て「?!」と思ってしまう場面もあり、陰ながら心配しておりました。


しかし、「死刑にいたる病」でのミポリンは年齢相応の美しさを見せてくれていました。幼少期より複雑な環境に育ち、結婚後は夫に遠慮ばかりしている女性の役でした。雅也の母でもありますが、彼女の過去が暴かれていくさまはスリリングでした。わたしは昔からミポリンのファンなのですが、「ただ泣きたくなるの」や「世界中の誰よりきっと」を歌った歌手・中山美穂もいいですけど、女優・中山美穂が大好きでした。といっても、デビューしたばかりの頃の「ビー・バップ・ハイスクール」ではなく、「Love Letter」(1995年)、「東京日和」(1997年)、「サヨナライツカ」(2009年)といった彼女の主演作品がお気に入りでした。この3作は、とにかく泣けました。3作ともDVDを持っています。


わたしがミポリンの美しさに魅せられたのは、映画だけではありません。少年時代の特撮ヒーロー・ドラマやアニメは別として、基本的にテレビを観ない人間であるわたしが、大人になってから初めて全作をしっかり観たドラマは、1998年10月8日から12月24日まで毎週木曜日22時からフジテレビ系の「木曜劇場」枠で放送された中山美穂木村拓哉が主演の「眠れる森 A Sleeping Forest」でした。フジの月9の主演数ナンバー1のキムタクとナンバー2のミポリンの夢の共演でした。オープニング曲は竹内まりやの「カムフラージュ」でしたが、映像でミポリンがハンモックで熟睡する顔が大写しにされます。当時のミポリンは28歳の全盛期であり、その寝顔は本当に美しかったです!


「眠れる森」の番宣コピーは「記憶だけは殺せない」でしたが、シナリオの完成度が高いミステリー・ドラマでした。多くのファンの熱望にもかかわらず、このドラマは一度も再放送されていません。その理由には諸説ありますが、ドラマの放送から2年後に起きた「世田谷一家惨殺事件」が「眠れる森」の冒頭に登場する一家惨殺事件を模倣しているのではないかと噂になったからだという説があるそうです。もちろん「世田谷一家惨殺事件」は未解決事件ですので真相はわかりませんが、この噂はメディアでも取り上げられたため、再放送は難しいとされているとか。


その「眠れる森」には、木村拓哉が演じる謎のロン毛男が登場し、重要な役割を果たします。「死刑にいたる病」にも岩田剛典が演じる謎のロン毛男が登場します。キムタクが演じた青年とガンちゃんが演じた金山の物語における役割はまったく違いますが、長い髪という共通点から、また両作品ともにミポリンが出演していることから、わたしは「死刑にいたる病」を観ながら「眠れる森」を連想しました。「眠れる森」のオープニング映像で、長い髪をなびかせて森を駆けてくるキムタクの美しさは圧巻でした。ガンちゃん演じる金山にはそこまでの美しさはありませんが、謎めいてはいました。考えてみれば、榛村が殺人を重ねた森には多くの死者が眠っていたわけであり、これが本当の「眠れる森」かもしれませんね。


「死刑にいたる病」のメガホンを取ったのは白石和彌監督です。ブログ「凶悪」で紹介した映画や、「孤狼の血」シリーズをはじめ、白石監督の作品にはバイオレンスシーンが多いことで有名ですが、それにしても「死刑にいたる病」の残虐シーンはあまりにも度を超えていたように思います。この映画の拷問&殺害シーンはほとんどスナッフ・ビデオであり、日本映画の歴史に残る残虐さではないでしょうか。また、その被害者たちが、いずれも17~18歳までの真面目な高校生というのが、観ていて不愉快でした。こんな酷いことが出来るのは、もはや人ではありません。それは鬼です。映画のラスト近くで、犯人の榛村が「こっち側に来たら、もう戻れないよ」という言葉を口にしますが、あっち側は「人」の世界で、こっち側は「鬼」の世界なのだと思います。だから、「殺人」という言葉があるのではないでしょうか。


そして、死刑にいたる病に冒された殺人鬼には、やはり死刑が与えられるべきです。死刑とは殺人鬼という鬼を滅する「鬼滅」の儀式なのです。拙著『「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)で詳しく述べたように、社会現象にまでなった「鬼滅の刃」とはグリーフケアの物語ですが、愛する家族を残虐きわまりない鬼の所業で殺された遺族にとって、殺人鬼が死刑になることこそがグリーフケアになりうるのではないでしょうか。この世に死刑反対論者が多いことはよく知っていますが、そういう人たちにこそ、この「死刑にいたる病」を観ていただきたいです。それから、自分がしたことを棚にあげて殺人犯の推理をする榛村の姿には嫌悪を感じるとともに、最近、世間を騒がせている暴露系YouTuberのことを連想しました。



韓国のアイドルグループに会わせるという詐欺を働いた彼は、多くの芸能人の暴露動画を配信し続けていますが、自分の罪を棚にあげて他人の罪を糾弾する行為に矛盾を感じます。また、「死なばもろとも」と覚悟を決めたという割には警察に逮捕されることを異常に怖れる姿が哀れです。罪を犯した者が逮捕されるのは当然であり、連続殺人鬼が死刑になるのも当然です。最後に、榛村が被害者を拉致する手法や死体を処理する方法はあまりにも杜撰であり、現実にあれだけの連続殺人を成し遂げるのは絶対に不可能です。犯罪のディテールにリアリティがないところも不満でした。この暗くて、胸糞悪い「死刑にいたる病」という映画を観た感想は以上です。ちなみに、くだんの暴露系YouTuberが一番好きな芸能人はミポリンだとか。(笑)

 

2022年5月7日 一条真也