石原慎太郎、海へ散骨

一条真也です。
今朝、セレモニーの志賀社長からLINEが届きました。ブログ「石原慎太郎、逝く!!」に書いたように今年2月1日に亡くなられた故石原慎太郎氏の海洋散骨が行われたというネット記事とニュース動画が添えられていました。志賀社長は、一般社団法人 全国海洋散骨船協会の理事長を務められています。

f:id:shins2m:20220418162403j:plain
ヤフーニュースより

 

共同通信が配信した記事は「故石原慎太郎さん、海へ散骨」「『愛した湘南に』と遺言」の見出しで、「2月に89歳で死去した元東京都知事で作家の石原慎太郎さんの海上散骨式が17日、神奈川県葉山町の名島沖で行われた。慎太郎さんの長男で自民党石原伸晃元幹事長が共同通信の取材に『父の私への遺言で『骨の一部は愛した湘南の海に戻してくれ』と言われたので、散骨式を執り行った』と明らかにした。伸晃さんによると、散骨式は地元のヨットクラブが主催。伸晃さんの他、次男でタレントの良純さん、三男で自民党衆院議員の宏高さん、四男で画家の延啓さんらが出席した。海上には、慎太郎さんをしのんでヨット三十数艇が集まった」と書かれています。


ブログ「海洋散骨in沖縄」に書いたように、わたしは4月12日に沖縄での海洋散骨に立ち合いました。サンレー沖縄の主催で、わたしは船上で主催者挨拶をしたのですが、そこで「今日は素晴らしいお天気で本当に良かったです。今日のセレモニーに参加させていただき、わたしは2つのことを感じました。1つは、海は世界中つながっているということ。今回の海洋散骨には日本全国から申し込みいただいていますが、海はどこでもつながっています。どの海を眺めても、そこに懐かしい故人様の顔が浮かんでくるはずということです」と言いました。

f:id:shins2m:20220418162613j:plain
沖縄の海洋散骨での主催者挨拶のようす

 

それから、「もう1つは、故人様はとても幸せな方だなと感じています。海洋散骨を希望される方は非常に多いですが、なかなかその想いを果たせることは稀です。あの石原裕次郎さんでさえ、兄の慎太郎さんの懸命の尽力にも関わらず、願いを叶えることはできませんでした。愛する家族である皆様が海に還りたいという自分の夢を現実にしてくれたということで、故人様はどれほど喜んでおられるでしょうか。皆様と故人様がいつかまた会う日まで、故人様の安寧と皆様のご健勝を祈念いたしましてご挨拶に代えさせて頂きます」とも言いました。

 

 

拙著『葬式は必要!』(双葉新書)の第4章「自分らしい葬式をあげるために」には「石原裕次郎の散骨」という項があります。日本で散骨が注目されたのは1991年のことです。石原慎太郎氏が「弟・裕次郎の遺灰を好きな海に」と希望しましたが、墓地埋葬法で許されないと知って断念し、海上での追悼会に切り換えました。同じ年には「葬送の自由をすすめる会」が結成され、神奈川県三崎港から12カイリ離れた相模灘海上で行いました。2時間ヨットに乗って十二カイリに到着すると、参列者たちは花輪に遺灰を入れた袋をつないで、それぞれが別れの言葉をかけて、船べりから静に海へと流しました。花の葬列を見送りながら清酒とワインも流し、1分間の黙祷を行って式を終えました。そして下船時に、遺灰を流した地点と日時を記した「自然葬証明書」が手渡されました。

f:id:shins2m:20220418162902j:plain
船上から故人の冥福を祈って合掌

 

海洋散骨は海洋葬とも呼ばれます。自分や遺族の意志で、火葬した後の遺灰を外洋にまく自然葬の1つです。散骨に立ち会う方法が主流ですが、事情によりすべてを委託することもでき、ハワイやオーストラリアなど海外での海洋葬が最近は多くなってきました。告別式の代わりにというのではなく、たいていは一周忌などに家族や親しい知人らと海洋葬が行われます。「あの世」へと渡るあらゆる旅行手段を仲介し、「魂のターミナル」をめざすサンレーでは、世界各国の海洋葬会社とも業務提携しているのです。 

f:id:shins2m:20220418162951j:plain海は世界中つながっている!

 

2009年4月、わたしはオーストラリアのレディ・エリオット島での海洋葬に参列しました。レディ・エリオット島では、まさにグレートバリアリーフの美しく雄大な海に遺灰が流されました。そこで、遺族の方がつぶやいた「これで、世界中どこの海からでも供養ができる」という言葉が非常に印象的でした。そうか、海は世界中つながっているんだ! そもそも、「死」の本質が「重力からの解放」ですので、特定の場所を超越する月面葬や海洋葬は「葬」という営みに最もふさわしいのではないかと思います。つながっている海に世界中の死者の遺灰が撒かれることは「死は最大の平等である」のテーゼに合致します。

 

 

生前の石原慎太郎氏に献本し、おそらくは読んでいただけたであろう拙著『ロマンティック・デス〜月を見よ、死を想え』(幻冬舎文庫)にも書いたように、わたしは月を「あの世」に見立てる月面葬を提唱する者ですが、その理由のひとつは月が世界中どこからでも見上げることができるからです。そして、地球上にあっても、海もどこからでも見ることができることに気づきました。月面葬も、海洋葬も、「脱・場所」という意味では同じセレモニーです。

 

 

つながっている海に世界中の死者の遺灰がまかれることは「死は最大の平等である」のテーゼにも合致します。わたしは、拙著『涙は世界で一番小さな海』(三五館)の内容を思い浮かべました。ドイツ語の「メルヘン」の語源は「小さな海」という意味があるそうです。大海原から取り出された一滴でありながら、それ自体が小さな海を内包しているのです。神秘哲学者のルドルフ・シュタイナーは著書『メルヘン論』で、「メルヘンには普遍性がある」と述べました。ユングはすべての人類の心の底には、共通の「集合的無意識」が存在すると主張しました。

 

 

拙著『世界をつくった八大聖人』(PHP新書)にも書いたように、人類の歴史は四大文明からはじまりました。すなわち、メソポタミア文明エジプト文明インダス文明黄河文明です。この四つの巨大文明は、いずれも大河から生まれました。大事なことは、河というものは必ず海に流れ込むということです。さらに大事なことは、地球上の海は最終的にすべてつながっているということです。チグリス・ユーフラテス河も、ナイル河も、インダス河も、黄河も、いずれは大海に流れ出ます。人類も、宗教や民族や国家によって、その心を分断されていても、いつかは河の流れとなって大海で合流するのではないでしょうか。人類には、心の大西洋や、心の太平洋があるのではないでしょうか。そして、その大西洋や太平洋の水も究極はつながっているように、人類の心もその奥底でつながっているのではないでしょうか。それがユングのいう「集合的無意識」の本質ではないかと考えます。

 

永遠葬

永遠葬

Amazon

 

最後に、拙著『永遠葬』(現代書林)にも書きましたが、わが社では、海洋葬を推進しています。大きく分けて3種類があります。①個人散骨 家族や親族だけて行うもので、チャーター散骨ともいいます。②合同散骨 予算を押さえ、乗り合わせで行います。③代行散骨 事情により立ち会えない場合、遺族に変わって行います。さらに、わが社では、日本人の「海」「山」「星」「月」という他界観に対応した「海洋葬」「樹木葬」「天空葬」「月面葬」の四大葬送イノベーションを提唱。海は永遠であり、山は永遠であり、星は永遠であり、月は永遠です。すなわち、四大葬送イノベーションとは四大「永遠葬」でもあります。生前こよなく愛した葉山の海に還られた故石原慎太郎氏の御冥福を心よりお祈りいたします。合掌。

 

2022年4月18日 一条真也