一条真也です。
沖縄に来ています。ブログ「合同慰霊祭in沖縄」で紹介したセレモニーの後は、三重城港に移動。ここで、わたし自身、じつに4年ぶりとなる海洋散骨に立ち合います。
三重城港で
三重城港で
到着した勇海号の前で
勇海号に乗り込みました
ライフ・セーヴァーを装着
「おくりびと」のみなさん
「おくりびと」に手を振りました
さあ、出発だ!
島袋支配人、市原課長と
今回の船「勇海号」は14時頃に出港しました。出港の際は汽笛が鳴らされ、スタッフが整列して見送ってくれました。船は最初の10分ぐらい揺れましたね。でも、昨日までは悪天候で波も荒かったようですが、今日は晴天で波も穏やかでした。
勇海号の上で
勇海号の上で
セレモニーが開始されました
全員で黙祷しました
献酒の儀のようす
わたしも献酒しました
散骨の儀のようす
散骨場所の位置をGPSで確認、記録します
15時頃、散骨場に到着しました。そこから、海洋葬のスタートです。開式すると、船は左旋回しました。これは、時計の針を戻すという意味で、故人を偲ぶセレモニーです。それから黙祷をし、ここでも禮鐘の儀を3回行いました。それから、日本酒を海に流す「献酒の儀」が行われました。そして、いよいよ「散骨の儀」です。ご遺族によって遺骨が海に流されました。そのとき、号泣された方、海に向かって「ありがとー! また会おうね!」と叫ばれる方など、いろんなお別れの形がありました。改めて、海洋散骨とはグリーフケアのセレモニーであると感じました。
献花の儀のようす
海上を漂う花びら
生花リースを投げ入れました
故人の御冥福をお祈りしました
海面を漂う生花リース
続いて「献花の儀」です。これも、ご遺族全員で色とりどりの花を海に投げ入れました。ご遺族が花を投げ入れられた後、主催者を代表してわたしが生花リースを投げ入れました。生花が海に漂う様子は大変美しかったです。
わたしが挨拶をしました
「世界中の海はつながっている!」と訴えました
それから、主催者挨拶が行われました。
わたしが、マイクを握って挨拶しました。
わたしは、「今日は素晴らしいお天気で本当に良かったです。今日のセレモニーに参加させていただき、わたしは2つのことを感じました。1つは、海は世界中つながっているということ。今回の海洋散骨には日本全国から申し込みいただいていますが、海はどこでもつながっています。どの海を眺めても、そこに懐かしい故人様の顔が浮かんでくるはずということです」と言いました。
故人様は幸せです!
それから、「もう1つは、故人様はとても幸せな方だなと感じています。海洋散骨を希望される方は非常に多いですが、なかなかその想いを果たせることは稀です。あの石原裕次郎さんでさえ、兄の慎太郎さんの懸命の尽力にも関わらず、願いを叶えることはできませんでした。愛する家族である皆様が海に還りたいという自分の夢を現実にしてくれたということで、故人様はどれほど喜んでおられるでしょうか。皆様と故人様がいつかまた会う日まで、故人様の安寧と皆様のご健勝を祈念いたしましてご挨拶に代えさせて頂きます」と言いました。その後、散骨場を去る際、右旋回で永遠の別れを演出しました。
物思いに耽りました
海洋散骨は海洋葬とも呼ばれます。自分や遺族の意志で、火葬した後の遺灰を外洋にまく自然葬の1つです。散骨に立ち会う方法が主流ですが、事情によりすべてを委託することもでき、ハワイやオーストラリアなど海外での海洋葬が最近は多くなってきました。告別式の代わりにというのではなく、たいていは一周忌などに家族や親しい知人らと海洋葬が行われます。「あの世」へと渡るあらゆる旅行手段を仲介し、「魂のターミナル」をめざすサンレーでは、世界各国の海洋葬会社とも業務提携しているのです。
マスクを取って海の気を吸う
パラグライダーが・・・・・・
2009年4月、わたしはオーストラリアのレディ・エリオット島での海洋葬に参列しました。レディ・エリオット島では、まさにグレートバリアリーフの美しく雄大な海に遺灰が流されました。そこで、遺族の方がつぶやいた「これで、世界中どこの海からでも供養ができる」という言葉が非常に印象的でした。そうか、海は世界中つながっているんだ! そもそも、「死」の本質が「重力からの解放」ですので、特定の場所を超越する月面葬や海洋葬は「葬」という営みに最もふさわしいのではないかと思います。つながっている海に世界中の死者の遺灰がまかれることは「死は最大の平等である」のテーゼにも合致します。
『ロマンティック・デス〜月を見よ、死を想え』(幻冬舎文庫)にも書いたように、わたしは月を「あの世」に見立てる月面葬を提唱する者ですが、その理由のひとつは月が世界中どこからでも見上げることができるからです。そして、地球上にあっても、海もどこからでも見ることができることに気づきました。月面葬も、海洋葬も、「脱・場所」という意味では同じセレモニーだったのです!
つながっている海に世界中の死者の遺灰がまかれることは「死は最大の平等である」のテーゼにも合致します。わたしは、拙著『涙は世界で一番小さな海』(三五館)の内容を思い浮かべました。ドイツ語の「メルヘン」の語源は「小さな海」という意味があるそうです。大海原から取り出された一滴でありながら、それ自体が小さな海を内包しているのです。
ルドルフ・シュタイナーは著書『メルヘン論』で、「メルヘンには普遍性がある」と述べました。ユングはすべての人類の心の底には、共通の「集合的無意識」が流れていると主張しましたが、アンデルセン、メーテルリンク、宮沢賢治、サン=テグジュペリらの魂はおそらく人類の集合的無意識とアクセスしていたのだと思います。
人類の歴史は四大文明からはじまりました。すなわち、メソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明、黄河文明です。この四つの巨大文明は、いずれも大河から生まれました。大事なことは、河というものは必ず海に流れ込むということです。さらに大事なことは、地球上の海は最終的にすべてつながっているということです。チグリス・ユーフラテス河も、ナイル河も、インダス河も、黄河も、いずれは大海に流れ出ます。
人類も、宗教や民族や国家によって、その心を分断されていても、いつかは河の流れとなって大海で合流するのではないでしょうか。人類には、心の大西洋や、心の太平洋があるのではないでしょうか。そして、その大西洋や太平洋の水も究極はつながっているように、人類の心もその奥底でつながっているのではないでしょうか。それがユングのいう「集合的無意識」の本質ではないかと考えます。
さらに、「小さな海」という言葉から、わたしはアンデルセンの有名な言葉を思い出しました。それは、「涙は人間がつくる一番小さな海」というものです。これこそは、アンデルセンによる「メルヘンからファンタジーへ」の開始宣言ではないかと思います。というのは、メルヘンはたしかに人類にとっての普遍的なメッセージを秘めています。しかし、それはあくまで太古の神々、あるいは宇宙から与えられたものであり、人間が生み出したものではありません。しかし、涙は人間が流すものです。そして、どんなときに人間は涙を流すのか。それは、悲しいとき、寂しいとき、辛いときです。
船が到着しました
それだけではありません。他人の不幸に共感して同情したとき、感動したとき、そして心の底から幸せを感じたときに涙を流すのではないでしょうか。つまり、人間の心はその働きによって、普遍の「小さな海」である涙を生み出すことができるのです。人間の心の力で、人類をつなぐことのできる「小さな海」を作ることができるのです。そんなことを海洋散骨に立会いながら考えました。
下船した「勇海号」の前で
「大きな海」に還る死者、「一番小さな海」である涙を流す生者・・・・・ふたつの海をながめながら、わたしたちは葬送という行為もまたファンタジーだと思い知ります。海洋散骨においては、海を見るたびに大切な方との別離の悲嘆を感じ、悲しみと一緒に生きている自分に気づくことができ、また一緒に歩んでいくことがグリーフケアの第一歩ではないでしょうか?
2022年4月12日 一条真也拝