グリーフケア最終講義

一条真也です。東京に来ています。
東日本大震災の発生から11年目となった3月11日、わたしは四谷にある上智大学のキャンパスに向かいました。ここにある6号館で開かれる「実践宗教学研究科シンポジウムに参加するためです。

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上智大学の前で

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上智大学6号館の前で

 

この日のシンポジウムでは、 上智大学グリーフケア研究所島薗進先生、鎌田東二先生、伊藤高章先生が上智大教授を退官されるにあたっての最終講義が行われます。島薗先生はわがグリーフケアの師であり、鎌田先生は魂の義兄弟であり、伊藤先生は全互協グリーフケアPTのメンバーで、グリーフケア資格認定制度の発足と運営にひとかたならぬご尽力をいただいています。お三方とも大変お世話になっている方々ばかりですので、「いざ、四谷!」と長崎から博多を経て駆け付けました。

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シンポジウムのチラシ

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上智大学6号館の館内で

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シンポジウム会場にて

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大量のメモを取りました

 

会場となった上智大学6号館の410号室には、約100名が参集しました。いずれも教員(わたしも客員教授として参加)、あるいはグリーフケア養成講座の修習生のみなさんです。その他、オンラインで約350名が参加、合計450名もの方々がお三方の最終講義を聴講しました。

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伊藤高章先生の最終講義

 

この日のシンポジウムは、13時からの開始でした。トップバッターは伊藤先生で、テーマは「“実践宗教学する”を学ぶ」でした。クリスチャンである伊藤先生は冒頭で「ルカによる福音書」を引用され、ケアに学び、ケアを実践することの意義を説かれました。「実践宗教学する」「スピリチュアルケアする」「三人称的なまなざし」といった刺激的なキーワードを駆使され、「『私』を成り立たせているもの」について考察し、「自己実現としてのスピリチュアルケア」について言及されました。それから伊藤先生は「強者へのケアはある得るか?」という問題提起をされましたが、それを聞いたわたしは「いま、世界中で最もケアが必要なのはプーチンではないか」と思いました。あと、「言葉になりえないものを扱うのが文学であり、芸術である」という指摘も印象的でしたが、何と言っても「吸うスピリチュアリティ」と「吐くスピリチュアリティ」という言葉が心に強く残りました。

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島薗進先生の最終講義

 

次に、島薗先生が「上智大学の9年間に学んだこと――グリーフケア・死生学・実践宗教学」の講義をされました。島薗先生は、東京大学の医学部に入学され、精神学科に進まれましたが、そこが日本における学生運動の発火点となり、島薗青年も巻き込まれていきます。ちょうどベトナム戦争に対する反戦運動が盛んな頃で、ロシアがウクライナ侵攻した現在のように世界が混乱している時期でした。その後、医学から宗教学へ自身の進む道を変更された島薗先生は、天理教中山みき金光教の赤沢文治といった新興宗教の教祖を研究します。若くして、宮田登五来重・桜井徳太郎といった大学者とも共著を出す活躍ぶりでした。その後、研究対象を宗教→死生学→グリーフケアへと変えてこられました。

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「ケア」について目から鱗でした!

 

島薗先生が挙げられた「喪の仕事」と「悲しみの容れ物」、「魂のふるさと」と「悲劇的なもの」というキーワードも非常に興味をそそられましたが、何と言っても、「愛」「仁」「慈悲」「絆」「和」などポジティブな人と人との関わりについての鍵概念は「ケア」と関わりがあるという発言が非常に印象的でした。ということは、「ケア」はイエス孔子ブッダの思想にも通じ、キリスト教儒教や仏教の教えをも貫くことになります。これはもう、人類の普遍思想ではないですか! わたしは「愛」「仁」「慈悲」「絆」「和」などを「ハートフル・キーワード」として捉えていますが、「ハートフル」と「ケア」が同義語のような気がしてきました。まさに、目から鱗です。最後に、「子どもの頃からお墓参りに連れて行ってもらったのが原点で、そこから死生学やグリーフケアへと流れたのかもしれません」という発言が心に残りました。

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鎌田東二先生の最終講義

 

最後は、「バク転神道ソングライター」こと鎌田東二先生による「日本の物語文化とケアの文化――日本三大悲嘆文学と四国遍路を事例として」です。鎌田先生の登壇時間は14時45分からで、まさに東日本大震災の発生時間の頃でした。冒頭、鎌田先生は聴講者一同に黙祷を呼びかけられました。当然ながら東日本大震災犠牲者への追悼の黙祷かと思いましたが、鎌田先生は「ウクライナ、コロナ、東日本大震災をはじめとした自然災害で命を落とされたすべての方々のために」と言われました。わたしは静かな感動をおぼえるとともに、「鎌田先生らしいなあ」と思いました。それから鎌田先生は、島薗先生が言われた「悲しみの容れ物」に言及するとともに鎌田先生自身は「悲しみの共同体」という言葉を大切にしていると言われました。儀礼についても語られ、「リアルからいったん離れて、あえてフィクションの世界に身を投じる」ことが儀礼の本質であると指摘されましたがつねづね儀礼や儀式について考え続けているわたしも、これには膝を打ちました。そう、儀式という営みは物語の世界です。さすが、鎌田先生は日本を代表する宗教哲学者です!

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「日本人と死生観」シンポジウムにも言及

 

それから鎌田先生は「三種学問」を紹介し、「道としての学問」「方法としての学問」「表現としての学問」について話されました。特に「表現としての学問」がお気に入りのようで、「わたしが神道ソングライターとして歌うことも学問だと思う」と言われました。鎌田先生いわく、ニーチェなど詩人に過ぎないが、彼は哲学史に決定的な影響を与えたとか。また、「物語の諸機能・はたらき」について説明し、アリストテレスの「カタルシス」論に言及。つねづね、ムーンサルトレターでこの問題については意見交換していましたので、よく理解できました。さらに、ブログ「日本人と死生観シンポジウム」で紹介した昨年の11月23日に開催されたシンポジウムに言及され、登壇者の1人であった小生の名前も出して下さいました。恐縮です!

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法螺貝を奏上する鎌田先生

 

鎌田先生の最終講義は、日本三大悲嘆文学としての『古事記』と『平家物語』と『苦海浄土』についての解釈が主な内容でしたが、特に印象的だったのは「いのちの賛歌としての『古事記』は日本人の生存戦略の書でもある。すなわち『まつり』と『うた』を発明したのがそれである」というくだりは、わたしのハートをヒットしました。なるほど、「まつり」と「うた」は日本のSDGsに関わっていたのか! ならば、コロナ以前にサブちゃんの「まつり」をカラオケで「うた」いまくっていたわたしはどうなる?(笑)また、鎌田先生は、大国主命(オホナムヂ)が兄たちからいじめられ続け、2度も殺されたことを挙げ、「こんなエピソードが神話として残っている日本は変な国です」と言われました。今年、鎌田先生とわたしは『神道と日本人』という対談本を上梓する予定ですが、ぜひこの「変な国」について大いに語り合いたいです。さらに、「『古事記』の考え方の上にお遍路はできている」という鎌田先生の指摘も刺激的でした。最後に神道ソングライターとしてのサード・アルバム「絶対絶命」の告知後、法螺貝の奏上をもって鎌田先生は最終講義を終えられました。

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質疑応答のようす

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島薗先生と鎌田先生のツーショット

 

その後は、お三方が揃って登壇され、質疑応答の時間となりました。司会者は、上智大学グリーフケア研究所の葛西賢太先生です。葛西先生がお三方の発言を振り返り、それぞれに質問するというスタイルでしたが、伊藤先生の「悲嘆とは失ったものの大きさの裏返しです。悲嘆を抱えないための唯一の方法は、誰も愛さないことです」との発言が心に残りました。このような素晴らしい方の指導を受けた全互協のグリーフケア資格認定制度のファシリテーターたちは本当に幸せだと思いました。島薗先生と鎌田先生が仲良く並んで座っておられる姿も、なんだかしみじみと感銘を受けました。本当に、お二方にはお世話になりました。これからも変わらぬ御指導をよろしくお願いいたします。

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謝辞を述べられる伊藤先生

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謝辞を述べられる鎌田先生

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謝辞を述べられる島薗先生

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最後は、やっぱり法螺貝!

最後は、花束贈呈の時間。伊藤先生、鎌田先生、島薗先生の順番で上智大学グリーフケア研究所の事務局の方やグリーフケア養成講座の修習生の方などがお三方に花束を渡されました。花束を受け取ったお三方が一言ずつスピーチされて終了の予定でしたが、ここで上智大学教授の浅見昇吾先生(実践宗教学研究科委員長)の提案で、最後の最後に鎌田先生が法螺貝をもう一度奏上されることになりました。日本におけるカトリックの殿堂である上智大学で法螺貝の音が鳴り響くのはおそらくこれが最後でしょうが、世界平和とコロナ終息と自然災害の犠牲者への鎮魂の祈りをこめた法螺貝は6号館の410教室に高々と鳴り響いたのであります。じつに素晴らしい最終講義で、大きな学びを得ました。6号館を出たわたしは、その上に月が上っているのを見ました。ブログ「東日本大震災11年」で写真を紹介した石巻の教会や海の上の月を思い出しました。やはり、月はグリーフケアのシンボルです!

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シンポジウム終了後、6号館の前で

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6号館の上には月が・・・

 

その後、ささやかな打ち上げの会を「赤坂維新號」で開かせていただき、島薗先生および鎌田先生と歓談するお時間を頂戴しました。ロシアのウクライナ侵攻問題を中心に両先生と意見交換させていただきました。お二人の平和を願う強い想いには感服いたしました。また、両先生ともに6月5日の長女の結婚披露宴にご参列いただけることになりました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。最後に一言、結婚は最高の平和である

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夜の打ち上げでカンパイ!

f:id:shins2m:20220314210822j:plain次は、6月5日にお会いしましょう!

 

2022年3月12日 一条真也