「オペレーション・ミンスミート ―ナチを欺いた死体―」

一条真也です。
天皇誕生日の23日、イギリスの戦争ドラマ映画「オペレーション・ミンスミート ―ナチを欺いた死体―」を観ました。わたしはヒトラーナチスに深い関心を抱いており、それらが登場する映画はなるべく観ることにしています。といっても数がハンパではなく多い上に玉石混交なのですが。この作品は実話を基にしたそうですが、そのエピソードをわたしは知りませんでした。しかし、それは、わたしにとって、あまりにも重要なエピソードでした。この映画が描いたのは対ナチ戦ではなく、死者の尊厳です!


ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「第2次世界大戦下にイギリス諜報部が行った作戦を題材にしたサスペンス。偽の機密文書を持たせた死体を地中海に放つという、イギリス諜報部の対ナチスかく乱作戦の行く末が描かれる。メガホンを取るのは『女神の見えざる手』などのジョン・マッデン。『スーパーノヴァ』などのコリン・ファース、ドラマシリーズ「リッパー・ストリート」などのマシュー・マクファディン、『アグネスと幸せのパズル』などのケリー・マクドナルドのほか、ペネロープ・ウィルトン、ジョニー・フリンらが出演する」

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ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「1943年。イギリスはナチス掃滅に不可欠なイタリア・シチリア攻略を進めるが、シチリア沿岸は固い防御が敷かれていた。そこでイギリス諜報部のモンタギュー少佐(コリン・ファース)らは、高級将校に見せかけた死体に『イギリス軍がギリシャ上陸を計画している』という偽造文書を持たせて地中海に流し、ヒトラーをだますという計画を立てる。作戦は進められていくが、ヨーロッパ各国のスパイたちを巻き込んだし烈な情報戦へと発展する」


主演のコリン・ファースが気品と風格に満ちていて、素晴らしかったです。彼は、ブログ「英国王のスピーチ」で紹介した名作映画に主演し、ジョージ6世を演じたことで知られています。この作品は第83回アカデミー賞で作品賞、脚本賞、監督賞、主演男優賞の4冠に輝きました。戦時にジョージ6世が国民を演説で鼓舞するため、言語聴覚士のライオネル・ローグとともに吃音の克服に挑むという内容です。「英国王のスピーチ」のジョージ6世もアドルフ・ヒトラーと戦いましたが、「オペレーション・ミンスミート ―ナチを欺いた死体―」でも、ファレルはヒトラーと戦うイギリス諜報部のモンタギュー少佐を演じています。イギリスを代表する俳優である彼ですが、最近ではマシュー・ヴォーン監督の映画「キングスマン」(2015年)でタロン・エジャトンらと共演していますね。同作は全米でヒットを記録し、シリーズ化されました。


「オペレーション・ミンスミート ―ナチを欺いた死体―」は「ミンスミート作戦」という実在の作戦を描いた歴史映画です。Wikipedia「ミンスミート作戦」には、「第二次世界大戦中の1943年にイギリス軍が実行し、非常な成功を収めた諜報作戦(欺瞞作戦)であり、ナチス・ドイツの上層部に連合国軍の反攻予定地はギリシャサルデーニャを計画していると思い込ませ、実際の計画地がシチリアであることを秘匿することに成功した。これはドイツ側に、彼らが全くの『偶然』から、連合国軍側の戦争計画に関する『極秘書類』を入手したと信じ込ませることで成し遂げられた。実は極秘書類はこの作戦のために用意された死体に固定されて、スペインの沿岸に漂着するように故意に投棄されたものであった」と書かれています。

 

 

作戦の概要は、1953年に出版された“The Man Who Never Was”というベン・マッキンタイアーの著書において大部分が明らかにされています。同書を直訳すると『存在しなかった男』となりますが、筑摩書房刊行の『世界ノンフィクション全集』に収録された際には『ある死体の冒険』と訳されました。その後、『ナチを欺いた死体 英国の奇策・ミンスミート作戦の真実』の書名(小林朋則)で2011年に中央公論社から新たに刊行され、さらには2022年に中公文庫入りしています。アマゾンには、「1943年4月のある朝、スペインの漁師ホセは、海面に人間らしきものが浮いているのに気づいた――チャーチルの諜報チームの計略どおり、死体は敵陣に回収される。その『実在しない男』がまとっていた偽情報がヒトラーを惑わせ、やがて大戦の趨勢を変えてゆく。トランクに眠っていた立案者のメモや、時を経て機密解除になった極秘文書により、最も奇想天外ながら最も成功した欺瞞作戦の全容が明らかに」と書かれています。


ヒトラー率いるナチスの世界征服を阻止するために採用された「ミンスミート作戦」は成功し、数万人の命を救ったわけですが、どうしてもハッピーエンドとは思えず、釈然としないものを感じるのは、やはり実在した人間の死体を利用したからです。もちろん、死んだ当人は、そのような欺瞞作戦に自分の死体が使われるなどとは夢にも思っていませんでした。ミンスミートとは「ミンチ肉」「挽き肉」という意味ですが、映画では彼の死体のことを“The Body(ザ・ボデイ)”と呼んでいました。この言い方は唯物的で、わたしは好きではありません。また、「ウィリアム・マーティン少佐」とされたその死体の正体は一体どういう人物だったのか? 1996年に歴史家のロジャー・モーガンは、マーティン少佐の正体をグリンドウ・マイケルというウェ―ルズのアルコール依存症の放浪者であることを突き止めました。

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全国新聞ネットより

 

放浪者の行き倒れは過去も現在も、世界中の各地で見られます。日本では、そのようにして亡くなった方のことを「行旅死亡人」といいます。路上での死亡者だけでなく、身元不明の死亡者も含みます。最近、「現金3400万円を残して孤独死した身元不明の女性、一体誰なのか」というネット記事を見つけました。「『行旅死亡人』のミステリーを追う」との小見出しがついた記事には、「2020年4月、ある高齢女性が、兵庫県尼崎市のアパートでひっそりと独りで亡くなった。女性の身元が分かる遺品はなかったが、自宅の金庫には現金約3400万円が残されていた。この所持金の額は、身元不明の死者を指す『行旅死亡人』の中でも10年間で断然トップ。いったいこの女性はどんな人物だったのか。限られた手掛かりを頼りにミステリーを追いかけた」とあります。結果、この女性が誰であるかわかったのですが、何か物悲しくなるような内容でした。それでも、誰であるかがわかって良かったです。


わたしは、基本的に身元不明の人間というのは存在しないと思っています。どんな人にも身元があり、生きていく中で多くの人々との縁があったはずです。2010年に放送されて大きな反響を呼んだNHKスペシャル「無縁社会~“無縁死”3万2千人の衝撃~」では、「身元不明の自殺と見られる死者」や「行き倒れ死」という新たな死が急増していることが報告されました。しかし、どんな死にも、亡くなった当人の人生という物語が付随しています。ブログ「おみおくりの作法」で紹介したイギリス版「おくりびと」と呼ぶべき映画では、ロンドンの民生係であるジョン・メイが、ひとりきりで亡くなった人を弔う様子が描かれます。仕事の枠を越え、死者に対しても敬意を持って真摯に向き合う、それがジョン・メイの作法です。たったひとりで死んでしまったとしても、誰もが誰かと関わった経緯があります。それを彼は探っていくのでした。


おみおくりの作法」の主人公ジョン・メイは身元不明の死者に対しても手厚く弔ってあげますが、葬儀こそは「人間の尊厳」と最も深く関わっています。「オペレーション・ミンスミート ―ナチを欺いた死体―」に葬儀のシーンは登場しません。欺瞞作戦に使われる男の死体は、作戦が実行される当日まで、ひたすら冷蔵され続けます。そのうち彼の姉と名乗る女性が現れ、「弟の遺体を返してほしい。そして、すぐに葬儀を行いたい」と訴えますが、当然ながらイギリス諜報部はそれを撥ねつけます。これは「人間の尊厳」を損なう重大な罪であり、いくら戦争状態の中とはいえ許される行為ではありません。実際、作戦に関わった人々の中には悩み苦しむ者もいたようです。現在スペインのウエルバの無縁墓地にあるマーティン少佐の墓には、英連邦戦没者墓地委員会の手によりグリンドウ・マイケルの名がつけ加えられています。作戦の遂行からじつに54年後のことでした。わたしは映画の最後にこの事実を知ったのですが、かろうじて守られた死者の尊厳を思うと、どうしようもなく泣けてきました。


最初は、この映画をヒトラーナチスへの関心から観たわけですが、ヒトラーナチスも一切登場しませんでした。イギリス首相のウインストン・チャーチルは、ほんの少しですが登場します。わたしは、ブログ「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」で紹介した2017年のイギリス・アメリカの戦争映画を思い出しました。第2次世界大戦下のヨーロッパを舞台に、苦渋の選択を迫られるウィンストン・チャーチルの英国首相就任からダンケルクの戦いまでの4週間を映し出した作品ですが、名優ゲイリー・オールドマンが驚くべき変貌ぶりでチャーチルを見事に演じました。考えてみれば、「ミンスミート作戦」という奇抜な作戦も、チャーチルの決断があって実行されたわけです。


わたしが敬愛する経営学ピーター・ドラッカーは、「20世紀最高のリーダーはチャーチルだった」と語りました。リーダーたる者は、組織に献身しつつも個たりえなければなりません。そのとき仕事もうまくいくのです。また、自らを仕事の外に置かなければなりません。さもなければ、大義のためとして自らのために仕事をすることになります。自己中心的となり、虚栄のとりことなります。とりわけ、焼きもちを焼くようになるのです。チャーチルの強みは、最後まで後進の政治家を育て後押ししたことにあったと、ドラッカーは評価しました。ロシアや中国の動きがキナ臭く、第3次世界大戦の勃発さえ囁かれている現在、チャーチルのようなリーダーの登場を切に願います。

 

2022年2月24日 一条真也