ケア業への進化を!

一条真也です。
17日の午後、東京から小倉に戻りました。
北九州空港に到着したら、雪が舞っていました。18日の朝も気温1度で大変寒かったです。この日、松柏園ホテルの神殿で恒例の月次祭が行われました。

f:id:shins2m:20220218080519j:plain神事の最初は一同礼!

f:id:shins2m:20220218103214j:plain玉串を受け取りました

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拝礼しました

f:id:shins2m:20220218082206j:plain神事の最後は一同礼!

 

皇産霊神社の瀬津神職によって神事が執り行われましたが、祭主であるサンレーグループ佐久間進会長に続いて、わたしが玉串奉奠を行いました。一同、会社の発展と社員の健康・幸福、それに新型コロナウイルスの感染拡大が終息することを祈念しました。わたしと一緒に参加者たちも二礼二拍手一礼しました。儀式によって「かたち」を合わせると、「こころ」が1つになる気がします。

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天道塾のようす

f:id:shins2m:20220218083637j:plain最初は、もちろん一同礼!

f:id:shins2m:20220218084410j:plain佐久間会長の訓話

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訓話する佐久間会長

 

神事の後は、恒例の「天道塾」です。最初に佐久間会長が登壇し、今月1日に亡くなられた石原慎太郎氏の思い出を語り、昭和7年生まれだった石原氏と同い年の五木寛之氏や稲盛和夫氏についても、その偉大な人生を称えました。佐久間会長がこれまで会った多くの人物のうち、元巨人軍監督の川上哲治氏やマザー牧場を創業した前田久吉氏などから受けた影響について語りました。ちなみに、佐久間会長が今一番会いたいのはプロ野球大谷翔平選手だとか。

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訓話する佐久間会長

続いて、佐久間会長が自分が誕生した昭和10年に、柳田国男折口信夫によって日本民俗学が生まれたこと、柔道に励んでいた頃に三船久蔵名人や講道館の嘉納履正館長から学びを得たことも話しました。それから互助会について言及し、「互助会あるいは互助社会は、日本人に合っています。日本にはもともと結や講といった互助文化がありました」と述べ、さらには千利休の茶道、貝原益軒の養生訓について自説を展開しました。

f:id:shins2m:20220218091415j:plainイエローの不織布マスク姿で登壇

 

続いて、わたしが、イエローの不織布マスク姿で登壇しました。まず、「今日は寒いですね。オミクロン株によるコロナ感染拡大はピークアウトを迎えたとも言われていますが、まだまだ新規感染者は多いです。陽性になった患者さんの話を聞くと、けっして軽症はないようです。喉の痛みもひどく、鼻も詰まって息苦しいとか。くれぐれもコロナを侮らずに気をつけましょう」と言いました。それから、「今月6日、各地で近年にない積雪でした。北陸も大雪とのことで、サンレー北陸の会員様や社員のみなさんのことを心配しました」とも言いました。

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シンクロニシティについて

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マスクを外しました

わたしは、「今日、佐久間会長もわたしも黄色のネクタイをしています。こういうのを偶然の一致と言いますが、心理学者のユングは『意味のある偶然の一致』を『シンクロニシティ』と呼びました。佐久間会長から石原慎太郎さんのお話が出ましたが、石原さんがお亡くなりになった日に不思議な出来事がいくつも重なりました」と述べ、ブログ「石原慎太郎、逝く!」で紹介したシンクロニシティ現象について報告しました。「わたしはシンクロニシティを頻繁に体験する人間のようで、これまでに数百回は体験していると思います」と言うと、みんな驚いていました。

f:id:shins2m:20220218091531j:plain松柏園スタッフの感激体験とは?

 

それから、今月6日に松柏園ホテルの井口総支配人からLINEが届いた話をしました。そこには、北九州市児童養護施設「天使育児園」の先生と成人式を迎えられた方がお礼に松柏園を来館されたことが書かれていました。、わが社では児童養護施設のお子さんへ七五三や成人式の晴れ着・着付け・写真撮影などを無償でお世話させていただいております。成人式を迎えられたご本人は「とても嬉しかった」と、涙ながらに感謝の言葉を述べて下ったそうです。その際、七五三を迎えたお子さんたちのメッセージも添えた色紙をプレゼントしていただきました。井口総支配人のLINEには最後に「スタッフ一同目頭が熱くなりました。 私どもも感謝でございます」と書かれ、色紙の画像が添付されていました。

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「感謝」と書かれた色紙を掲げました

 

色紙の中央に貼紙で「感謝」とカラフルにデザインされた(その色彩感覚も素晴らしい!)色紙を見て、わたしは涙が出ました。こんな素敵な贈り物が他にあるでしょうか! 七五三の写真について、小1女子の「おとなになるまで大せつにします」とのメッセージが書かれています。その他のお子さんや先生方からのメッセージも読んで、さらに涙が出てきました。「本当に良かった!」と思いました。そして、「冠婚葬祭という本業を通じて世の中を少しでも良くすることができた!」という自信と誇りが湧いてきました。これは社長であるわたしだけでなく、社員のみなさんも同じだと思います。現在、コロナ禍で冠婚葬祭業はかつてない困難の中にあります。冠婚葬祭の現場で働く社員のみなさんも、いろいろと不安を抱えています。

f:id:shins2m:20220218091953j:plainサービス業からケア業へ

 

でも、この色紙を見て、いろんなネガティブな感情が消えました。「人を幸せにすることができる儀式は素晴らしい!」「冠婚葬祭の灯を絶対に消してはならない!」という勇気が湧いてきました。わたしたちは、けっして一方的に児童養護施設のお子さんたちに贈り物をしたのではありません。わたしたちも素晴らしい「こころの贈り物」をいただきました。そして、お互いが「こころの贈り物」を贈り合う行為を「ケア」というのです。相手を支えることで、自分も相手から支えられることを「ケア」というのです。「ありがとう」と言ってくれた相手に対して、こちらも「ありがとう」と言うことが「ケア」なのです。そう、「サービス」は一方向ですが、「ケア」は双方向です。わが社は、サービス業からケア業へと進化したいと願っています。わが社が真のケア業になれる日を信じて、この色紙を大せつにします。

f:id:shins2m:20220218091642j:plainケアとは何か?

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熱心に聴く人びと

 

ポスト・コロナ社会を予見するために、わたしは多くの書を読みました。「SDGs」「ウエルビーイング」「利他」「尊厳」、そして、それらすべてを貫く「ケア」というキーワードが浮かび上がってきました。最近、『ケアとは何か――看護・福祉で大事なこと』村上靖彦著(中公新著)という素晴らしい本を読みました。同書によれば、人間なら誰でも病やケガ、衰弱や死は避けて通れません。自分や親しい人が苦境に立たされたとき、わたしたちは「独りでは生きていけない」ことを痛感します。そうした人間の弱さを前提とした上で、生を肯定し、支える営みがケアなのです。同書では、看護の現象学の第一人者が、当事者やケアワーカーへの聞き取りをもとに、医療行為を超えたところで求められるケアの本質について論じています。

f:id:shins2m:20220218091544j:plain「ケア」は人間存在の根源に通じる

 

英語の熟語「take care of」は、「・・・を世話する」「大事にする」という意味です。ここから、「世話」「配慮」「関心」「気遣い」などの意味が出てきます。「ケア」という日本語がよく使われるようになったのは、最近のことです。倫理学者の川本隆史氏によれば、1978年に刊行された柏木哲夫氏の『死にゆく人々のケア』(医学書院)が先駆的な例であるそうです。もともと、「ケア」は、「health care(医療)」「nursing care(看護)」といった、もっと限定された、専門的な術語として使われてきました。しかし今では、ケアは「幸福」「倫理」「愛」「善」などの概念と密接に関わる言葉となっています。どうやら、人間存在の根源的なものが、「ケア」に通じていると言えそうです。

f:id:shins2m:20220218091559j:plain看護、介護、グリーフワーク・・・

 

アメリカの哲学者であるミルトン・メイヤロフも、著書『ケアの本質』(ゆみる書房)において、「ケア」を非常に広い概念で捉えています『ケアの本質』は大変な名著で、わたしも何度か読み返しています。メイヤロフは、「ケア」とは、「そのもの(人)がそのもの(人)になることを手助けすること」だと定義しています。そして、「他の人々をケアすることをとおして、他の人々に役立つことによって、その人は自身の真の意味を生きているのである」との名言を残しています。看護、介護、グリーフワーク・・・・・それらすべての核となるものこそ「ケア」なのです。わが社は「サービス業からケア業へ」を標榜しています。これまでサービス業の範疇であった仕事の本質がどんどん「ケア」に変貌していきます。

f:id:shins2m:20220218091706j:plain「ケア」と「相互扶助」について

 

わたしは、「ケア」とは「相互扶助」という言葉と深く関わっていると考えています。人間は誰もが1人では生きていません。必ず他人の存在を必要とします。それはそのまま「相互扶助」が不可欠であるということであり、誰もがケアを必要としているということです。約7万年前のネアンデルタール人の骨からは、葬儀の風習とともに身体障害者をサポートした形跡が見られます。儀式を行うことと相互扶助は、人間の本能なのでしょう。これはネアンデルタール人のみならず、わたしたち現生人類の場合も同じです。儀式および相互扶助という本能がなければ、人類はとうの昔に滅亡していたのではないでしょうか。そして、相互扶助とはまず何よりも家族の間で行われるものです。

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相互扶助と家族について

 

イスラエル歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリの世界的ベストセラー『サピエンス全史』上下巻、柴田裕之訳(河出書房新社)で、ハラリは「家族とコミュニティの崩壊」として、「産業革命以前は、ほとんどの人の日常生活は、古来の3つの枠組み、すなわち、核家族、拡大家族、親密な地域コミュニティの中で営まれていた。人々はたいてい、家族で営む農場や工房といった家業に就いていた。さもなければ、近隣の人の家業を手伝っていた。また、家族は福祉制度であり、医療制度であり、教育制度であり、建設業界であり、労働組合であり、年金基金であり、保険会社であり、ラジオ・テレビ・新聞であり、銀行であり、警察でさえあった(柴田裕之訳)」と述べます。

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家族の役割とは何か?

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熱心に聴く人びと

 

続くハラリの言葉は、わたしの心に突き刺さりました。
「誰かが病気になると、家族が看病に当たった。誰かが歳を取れば家族が世話をし、子供たちが年金の役割を果たした。誰かが亡くなると、家族が残された子供の面倒を見た。誰かが家を建てたいと思えば、家族が手伝った。誰かが新たな仕事を始めたいと思えば、家族が必要な資金を用立てた。誰かが身を固めたいと思えば、家族がその相手候補を選んだり、少なくとも厳しく審査したりした。誰かが隣人と揉め事を起こせば、家族が加勢に入った。だが、病状が重すぎて家族の手には負えなくなったとき、あるいは、新たな商売を起こすために大きな投資が必要なとき、さらには、近隣の揉め事が暴力沙汰にまで発展したときには、地域コミュニティが助け舟を出した(同訳)」

f:id:shins2m:20220218095045j:plain情けは人の為ならず!

 

「相互扶助」や「ホスピタリティ」という言葉をそのまま「ケア」に置き換えても意味は通ります。真の奉仕とは、サービスではなく、ケアの中から生まれてくるものだと言えます。ここでいう奉仕とは、自分自身を大切にし、その上で他人のことも大切にしてあげたくなるといったものです。自分が愛や幸福感にあふれていたら、自然にそれを他人にも注ぎかけたくなります。「情けは人の為ならず」と日本でもいいますが、他人のためになることが自分のためにもなっているというのは、世界最大の公然の秘密の1つなのです。アメリカの思想家エマーソンによれば「心から他人を助けようとすれば、自分自身を助けることにもなっているというのは、この人生における見事な補償作用である」というわけです。

f:id:shins2m:20220218095055j:plainケア業への進化をめざそう!

 

与えるのが嬉しくて他人を助ける人にとって、その真の報酬とは喜びにほかなりません。他人に何かを与えて、自分が損をしたような気がする人は、まず自分自身に愛を与えていない人でしょう。真の奉仕とは、助ける人、助けられる人が1つになるといいます。どちらも対等です。相手に助けさせてあげることで、自分も助けています。相手を助けることで、自分自身を助けることになっています。相手に助けさせてあげることで自分を助け、相手を助けることで自分自身を助けるというのは、まさに与えること、受けることの最も理想的な円環構造と言えるでしょう。その輪の中で、どちらが与え、どちらが受け取っているのかわからなくなります。それはもう、1つの流れなのです。最後に「サービス業の時代は終わりつつあります。これからは、ケア業の時代です。わが社はケア業への進化をめざします!」と述べて、わたしは降壇しました。

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最後は、もちろん一同礼!

 

2022年2月18日 一条真也