石原慎太郎、逝く!!

一条真也です。
2月になったばかりの日に衝撃的なニュースが入ってきました。わたしが敬愛する作家で元東京都知事石原慎太郎氏が亡くなられたのです。89歳でした。巨星堕つ!!

f:id:shins2m:20220201153113j:plainヤフーニュースより

 

「【速報】石原慎太郎都知事が死去 近年は脳梗塞膵臓がん患う」というFNNプライムオンラインの記事の冒頭には、「石原さんは1932年神戸市生まれ。一橋大学在学中に、夏の海辺を舞台に享楽的な生活を送る若者たちの姿を描いた小説『太陽の季節』で芥川賞を受賞しました」と書かれています。『太陽の季節』は、戦後の日本人の若者風俗に大きな影響を与えたばかりか、芥川賞そのもののブランド・イメージを確立しました。

 

 

大ベストセラーとなった『太陽の季節』が映画化された際には、弟の石原裕次郎さんを俳優としてデビューさせ、大スター誕生のきっかけを作りました。慎太郎&裕次郎の石原兄弟は「日本で最も有名な兄弟」となりました。その後も、石原氏は作家として数々の小説を執筆し、三島由紀夫とも深い親交があったほか、裕次郎さんを題材にした『弟』は、ミリオンセラーになりました。

 

 

また、同記事には、「政治家としては、1968年に参議院議員に初当選。1972年には衆議院議員に転じました。福田赳夫内閣で環境庁長官を務め、竹下内閣では運輸大臣を務め、1995年に議員を辞職しました。その後の1999年には東京都知事選に出馬。166万票を集めて当選し、記者会見での『都庁で会おうぜ』という発言が話題を呼びました。4期13年あまりの都知事在任中は、東京都の財政健全化や排ガス規制などの環境対策に力を入れたほか東京マラソンを国際的なイベントに育てました」と書かれています。素晴らしい業績です。



続いて、同記事には「一方で、自主憲法制定や核武装の持論、中国への批判的な発言などが波紋を呼び、尖閣諸島をめぐっては、都知事在任中に東京都による購入計画を発表。その後の国有化を促す結果になりました。石原さんは2012年、都知事を辞職して再び国政に返り咲きましたが、2年ほどで引退し、その後作家として活動を続けていました。長男の伸晃氏は前衆議院議員、三男の宏高氏は現衆議院議員で、次男の良純氏は、俳優・タレントとして活躍しています。石原さんは近年は脳梗塞膵臓がんを患うなど体調を崩していましたが、今日までに亡くなっていたことがわかりました」と書かれています。


死に時にもその人の個性が表れるものですが、2022年2月に入ってすぐ石原氏が亡くなれたことは、氏のメッセージのように思えます。すなわち、4日から開催される北京五輪の直前に命の灯を消されたということです。中国の覇権主義への警戒を訴え続けた石原氏の死去について、中国共産党機関紙・人民日報系の環球時報(電子版)は、石原氏を「日本の右翼政治家」とした上で、2012年春に石原氏が都による尖閣諸島の購入計画を示し、寄付金を募るなどした結果、日本政府が国有化を決定し、日中関係の悪化を招いたと強調しました。


一方、台湾外交部は石原慎太郎さんの訃報を受けて「石原慎太郎氏は重要な友人だった」「石原氏は長年にわたり台湾を支持し、生前、日本と台湾の友好関係に尽力された。深い敬意を示したい」とのコメントを発表しました。そして、まことに奇遇でありますが、1日には、日本の衆議院が、新疆ウイグル自治区チベット自治区など、中国での人権状況に懸念を示す決議を、本会議で賛成多数で採択しました。石原氏が亡くなられた当日に、このような重要な決議が採択されるというのも運命的なものを感じます。

 

 

わたしは作家・石原慎太郎の熱心な愛読者でした。著書はほとんど読んでいます。また政治家・石原慎太郎を心から応援しており、日本の総理大臣になってほしいと思っていました。わたしの媒酌人で、東急エージェンシー元社長であった前野徹氏が石原氏と大変親しく、『最後の首相―-石原慎太郎が日本を救う日』(扶桑社)という本を書かれたほどです。わたしも東急エージェンシーの社員時代に石原氏とは何度もお会いし、言葉を交わしたこともあります。わたしが直立不動で緊張しながら、「わたしは石原先生を尊敬しております」と申し上げたところ、「そうかい」と照れ臭そうに笑われました。とてもチャーミングな笑顔でした。わたしの父も若い頃から石原氏とは親交があり、前野氏がプロデュースした「石原都知事を囲む経営者の会」のメンバーでした。

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「サンデー新聞」2022年2月5日号

 

サンデー新聞」に連載中の「ハートフル・ブックス」第165回で、わたしが取り上げたのは、ブログ『死者との対話』で紹介した石原氏の短篇小説集でした。同紙は2月5日発行予定で本日校了でした。わたしは、石原氏の死生観が綴られた「いずれにせよ人間は必ず死ぬと言うことを誰もが知っているがそれを信じきって生き続けている者などいはしまい。私もその一人だが、一応有り難い摂理によって死線を超えることが出来たのにその延長に在る、今なお、一応幸せに楽しく過ごしてきた人生の帰結について自分自身の折り合いのつかぬ体たらくを晒しているのは何と言うことだろうか」という文章を紹介し、最後に「今から8年前、著者は脳梗塞で入院しました。早期発見だったので命は助かりましたが、そのときに生まれて初めてワープロで書いたのが本書に収められた作品群だそうです。著者の愛読者の1人として、ご健康とご健筆を心よりお祈りいたします」と書きました。自分でも驚いています。

 

 

また、不思議なことに、石原氏の訃報に接したとき、わたしは小倉の歯科医院の待合室で『三島由紀夫 石原慎太郎 全対話』(中公文庫)を読んでいました。前日の夜に入れた虫歯の詰め物が取れたために歯科医院を訪れたのですが、そのときちょうど待合室で読んでいたのが同書だったのです。それにしても、なんという偶然!

 

 

さらに、これも本当に偶然ですが、石原氏と曽野綾子氏の「死」をめぐる対談本を取り上げたブログ『死という最後の未来』を翌2日0時にUPするべく予約投稿していました。三度も偶然が重なるということは、これはもう、完全にシンクロニシティだと思います。石原氏の口癖は「人から愛されて死にたいね」でしたが、まさにその通りの人生を歩まれました。文壇のスーパースターであり、政界のスーパースターでした。こんな凄い日本人は、もう出現しないと思います。わたしは、これまで読んできた氏の多くの著書から得た学びを忘れずに、生きていきます。最後に、故人のご冥福を心よりお祈りいたします。合掌。



2022年2月1日 一条真也