自分の葬儀

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一条真也です。
わたしは、これまで多くの言葉を世に送り出してきました。この際もう一度おさらいして、その意味を定義したいと思います。今回は、「自分の葬儀」という言葉を取り上げることにします。

f:id:shins2m:20210125161111j:plain葬式は必要!』(双葉新書) 

 

かつて「葬式は、要らない」などと言った人がいましたが、葬儀はもちろん必要です。あらゆる生命体は必ず死にます。もちろん人間も必ず死にます。親しい人や愛する人が亡くなることは、誰にとっても悲しいことです。しかし、死そのものは決して不幸なことではありません。残された者は、死を現実として受け止め、残された者同士で、新しい人間関係をつくっていかなければなりません。葬儀は故人の人となりを確認すると同時に、そのことに気がつく場になりえます。葬儀は旅立つ側から考えれば、「最高の自己実現」であり、「最大の自己表現」の場ではないでしょうか。


「あの人らしかったね」といわれる自分なりのお別れ

 

「葬儀をしない」という選択は、その意味で自分を表現していないことになります。「死んだときのことを口にするなど縁起でもない」と、忌み嫌う人もいます。果たしてそうでしょうか。わたしは、葬儀を考えることは、いかに今を生きるかを考えることだと思います。ぜひ、みなさんもご自分の葬義をイメージして下さい。そこで、友人や会社の上司や同僚が弔辞を読む場面を想像して下さい。そして、その弔辞の内容を具体的に想像して下さい。そこには、あなたがどのように生きてきたかが克明に述べられているはずです。

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西日本新聞」2011年10月1日朝刊

 

葬儀に参列してくれる人々の顔ぶれも想像して下さい。そして、みんなが「惜しい人を亡くした」と心から悲しんでくれて、配偶者からは「最高の連れ合いだった。あの世でも夫婦になりたい」といわれ、子どもたちからは「心から尊敬していました」といわれる。どうですか、自分の葬儀の場面というのは、「このような人生を歩みたい」というイメージを凝縮して視覚化したものなのです。そんな理想の葬式を実現するためには、残りの人生において、あなたはそのように生きざるをえなくなるのです。これこそが「死を見つめることによって生が輝く」ということではないでしょうか。ぜひ、みなさんも今から自分の葬義をイメージしてみて下さい。きっと、死ぬことの「おそれ」が消えていき、現在の「生」が生き生きと輝くことでしょう。

 

2022年1月11日 一条真也