おせち料理

一条真也です。
昨日の元旦は昼過ぎに実家に寄って、両親に会いました。ブログ「正月」の最後に写真を掲載しましたが、今年は2人の孫娘も一緒でした。実家では、お屠蘇を飲みました。帰宅後、お雑煮とおせち料理を食べました。今年は、4つのおせちをいただきました。

f:id:shins2m:20220101232345j:plain実家を訪れた長女と次女

f:id:shins2m:20211231151907j:plain松柏園ホテルの四段おせち

f:id:shins2m:20211231152505j:plainマリエールオークパイン延岡の三段おせち

f:id:shins2m:20211231152808j:plainマリエールオークパイン那覇の二段おせち

f:id:shins2m:20211231152110j:plain金沢・八寿栄の二段おせち

 

北九州市小倉・松柏園ホテルの四段おせち、マリエールオークパイン延岡の三段おせち、マリエールオークパイン那覇および石川県金沢市・八寿栄のニ段おせちです。沖縄にはもともと「おせち料理」の習慣はありませんでしたが、わが社が文化イノベーションとして提案させていただいています。味見などのチェックをかねて、各地のわが社の店から取り寄せました。

 

さらには、ブログ「武士の献立」で紹介した映画からもわかるように金沢は和食のメッカですが、マリエールオークパイン金沢のおせちも大変好評です。ここ数年来、和食が熱い注目を浴びています。ブログ「和食の世界遺産登録」で紹介したように松柏園ホテルマリエールオークパイン金沢は、それぞれ世界遺産登録の祝福メッセージ広告を新聞に掲載しました。


「朝日」「毎日」「読売」「西日本」新聞2013年12月6日朝刊


北國新聞」2013年12月6日朝刊

 

外食産業やコンビニ産業の発達により、今では一年中何でも揃っています。現代の日本は、非常に季節感をおぼえにくい社会となりました。でも、おせち料理を食べると、「ああ、正月だなあ」という実感が湧きます。正月とは、もともと農耕の神様である「年神さま」を各家庭に迎えて祝うもの。床の間に正月用のおめでたい掛け軸をかけ、年神さまへのおせち料理を重箱につめ、それを家族で食べるのが日本人の慣習でした。



「おせち」のルーツは、平安時代にまでさかのぼります。宮中で行われていた「御節供(おせちく)」から始まったそうです。「御節供」は、5月5日の「端午の節句」や7月7日の「七夕」などの五節句に、神前に供える料理の総称でした。やがて、節句の一番初めの正月料理を「おせち」と呼ぶようになったのです。江戸時代後期には、広く庶民が食べるようになりました。それがきっかけで、おせち料理は全国に広がっていきました。



おせち料理は、「めでたさ」を重ねるという縁起をかついで、重箱に詰めて食卓に並べられます。中でも、黒豆、数の子、田作りの3種は「三つ肴(さかな)」と言われるおせちの代表格です。それらの料理には、それぞれ意味があり、願いが込められています。黒豆は、一年中「まめ(まじめ)」に働き「まめ(健康的)」に暮らせるように。数の子はたくさんの卵から子孫繁栄を、田作りは小イワシを田の肥料にしていたことから五穀豊穣の願いが込められています。

 

他に、なますは紅白の縁起もの、ごぼうは「田夫」とかけて働き者になるように、エビは腰が曲がるまで丈夫にという長寿を、昆布巻きは「よろこぶ」の言葉にかけ、きんとんは「金団」と書き財産や富を得るものとされています。おせち料理には、わたしたちの先祖から代々受け継がれてきた「願い」や「祈り」が込められています。まさに、究極のスピリチュアル・フードですね。今年も、おせちを食べながら、「ああ、日本人で良かった」と思っています。


和を求めて』(三五館)

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お雑煮も美味しいね!

 

2021年1月2日 一条真也