一条真也です。
17日、ブログ「令和3年を振り返って」で紹介した天道塾を終えた後、わたしは北九州戸畑区の一枝に向かいました。北九州商工会議所の観光サービス部会による「旧安川邸見学会」に参加するためです。
前庭のカイヅカイブキが見事な旧安川邸の和館
和館の前で
和館の玄関前で
和館の玄関
旧安川邸は、明治期に石炭関連企業を次々と創業し、工業都市北九州市の基礎を築いた企業家である安川敬一郎により、旧戸畑市中原(現在の戸畑区一枝・仙水町)の開発と並行して明治45年に建設され、以後三代にわたって安川家当主及び一族が居住した住宅です。安川財閥は筑豊地域を中心に炭鉱、紡績、製鉄、電機事業などを展開した地方財閥。 その流れをくむ安川電機は世界的な産業ロボットメーカーとして存続しています。
旧安川邸のジオラマ
和館の応接間
応接間の黒電話
応接間の照明
茶室
大座敷へ
大座敷
孫文が書いた「世界平和」の書
孫文の説明板
大座敷にて
床の間
床の間の欄間
歪みガラス
風呂
現在の安川邸は、明治45年に若松から移築された大座敷棟1棟、明治45年竣工の南北の蔵各1棟、昭和2年竣工の洋館棟1棟、昭和13年竣工の洋風本館棟などが残されています。この住宅は北部九州における高級住宅史、日本の近代建築史上極めて重要な住宅建築であることなどから、平成30年8月1日、北九州市指定有形文化財に指定されました。
旧安川邸の洋館
洋館の前で
庭園にて
石造りの蔵
バナナの木
鐵の記憶広場
現在残る洋館は明治末期の初代を取り壊して建設された2代目です。北九州市では、平成28年から株式会社安川電機と共同で「旧安川邸利活用事業」を実施し、建築物等を保全しながら、敷地は夜宮公園の一部とし、市民の憩いの場や市内外の観光客が訪れる新たな賑わい・観光拠点として活用していますが、「洋館」「別館」は活用せずに解体する方針を示しています。
西日本工業倶楽部の門の前で
旧安川邸を見学した後は、隣接する西日本工業倶楽部で昼食会が開かれました。西日本工業倶楽部は、「旧松本家住宅」とも呼ばれます現在の九州工業大学の前身である「明治専門学校」を創設した実業家・松本健次郎が暮らしていた洋館および日本館の各1棟、2棟の蔵から成る建造物です。アール・ヌーボー様式による曲線デザインに、植物模様のステンドグラスが美しい洋館の設計は、明治の建築家・辰野金吾の事務所によるものですまた、洋館の建築監督であった久保田小三郎が日本館を設計しています。こちらは、洋館とは対照的に純和風な香りを漂わせる数奇屋造りの建築です。
西日本工業倶楽部にて
西日本工業倶楽部にて
西日本工業倶楽部のようす
1908年(明治41年)に洋館および日本館の建設が着工され、12年に旧松本家住宅が完成。以降は戦後に進駐軍に接収されるまで、松本家の住宅および迎賓館として利用されました。その後、52年(昭和27年)に西日本工業倶楽部の設立を受け、松本家から同倶楽部に寄贈されたのです。72年には洋館と日本館が、82年に蔵2棟が、それぞれ国の重要文化財に指定されました。
昼食会が開かれました
オードブルはクリスマスの彩り
季節野菜のポタージュが絶品
平目のポワレも美味しかった
メインは鴨のロースト
鴨のローストをいただく
クリームブリュレ&コーヒー
クリームブリュレも美味でした!
現在、北九州の地元経済人によって、この素晴らしい建築遺産の保存に努めていますが、わたしもそのメンバーとなっています。わたしも築90年以上の超ボロ家に住んでいることもあり、こういった古い建造物が大好きなのです。今日は、雰囲気のあるダイニングルームでフランス料理のランチを頂きました。どちらかというとフレンチが苦手なわたしですが、やはりアール・ヌーボーの洋館の中だと美味しく感じますね。この日は、北九州市役所の方々、地元の観光業者の方々とも意見交換もできて、有意義な時間を過ごすことができました。
2021年12月18日 一条真也拝