一条真也です。
たった一字に深い意味を秘めている文字は、世界でも漢字だけです。そこには、人のこころを豊かにする言霊が宿っています。その意味を知れば、さらに、こころは豊かになるでしょう。今回の「こころの一字」は、「美」です。

 

 

中村天風は、「美」とは調和であると言いました。どんなに名人が描いた絵でも、彼が感心しないときは、調和がとれていない絵である。逆にどんな下手な人が描いた絵でも、調和がとれているものであったならば、これは本当の美術であるというのです。



自然界は調和のとれた世界です。自然と接すると感動するのはそのせいでしょうが、さらに、わたしはは自然に接すると懐かしい気持ちになってしまいます。なぜでしょうか。自然界は、ある力に満ちています。ソロモンの栄華よりも偉大な、百合の花を咲かせる力です。それはつまり、わたしたちが言葉を発し、叫び、泣き、笑い、感動するエネルギーの根源でもあります。



美しい花を見て、「ああ、きれいだなあ」と感じるとき、わたしたちの原感情はおそらく「かなしい」のではないでしょうか。あまりにきれいなものや美しい光景に接すると、わたしたちは感動のあまり泣けてきます。涙が出てくるというのは、基本的には「かなしい」のです。「かなしい」というのは「愛しい」と同じです。あまりに愛すると、かなしくなります。つまり切なくなるのです。そして、この「かなしい」は「なつかしい」でもあります。

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「理想郷の図式」

 

かなしい、愛しい、切ない、なつかしい・・・・・・これらの原感情は、わたしたち人間にとって原初の情動です。わたしは、人間がこの世に生まれる前にいたハートピア・ゼア、つまり、あの世の理想郷である天国の記憶が瞬間的によみがえったとき、人間の原感情が発動するのだと思っています。そして、これらの原感情が意識化されたものが「美意識」なのではないでしょうか。天国は自然界よりもさらに調和のとれた世界であると言ってもいいでしょう。

 

 

安岡正篤は、こう述べました。何億年か何十億年か経って、ようやく造化は心というものを発展させてきた。人間はその造化が開いた心を主体とする存在である。だから肉体がいくら立派になっても、それは動物並である。肉体と共に心が磨かれ発達して、初めて人間となる。芸術もその人間の心ができていないと、真の美とは言えないといいます。

 

 

松下幸之助は、経営者というものは広い意味で芸術家であると述べました。経営そのものが一種の芸術である、と。画家が一枚の白紙に絵を描き、平面的に価値を創造するごとく、経営者は立体というか、四方八方に広がる広い芸術をめざしている。だから経営とは、総合的な生きた芸術であるというのです。価値の創造とは、美の表現ととらえることもできます。経営者はつねにそういう視点からマネジメントを考えなければなりません。なお、「美」については、『龍馬とカエサル』(三五館)に詳しく書きました。

 

 

2021年12月16日 一条真也