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一条真也です。
たった一字に深い意味を秘めている文字は、世界でも漢字だけです。そこには、人のこころを豊かにする言霊が宿っています。その意味を知れば、さらに、こころは豊かになるでしょう。今回の「こころの一字」は、「善」です。

 

 

異色の哲学者である中村天風は、「善」とは偏りのない愛情であると喝破しました。「世の人々にも愛情はあるのだけれども、それは偏った愛情である。すなわち、家族とか身内とか自分の気に入ったものだけ可愛がって、気に入らないものは可愛がらない。それは本当の愛情ではない。太陽の光線は、美人の顔も照らせば、犬の糞も照らしている。普遍的な愛情こそ善である」と述べたのです。

 

 

孟子は、人間誰しも、あわれみの心を持っていると述べました。幼い子どもがヨチヨチと井戸に近づいて行くのを見かけたとする。誰でもハッとして、井戸に落ちたらかわいそうだと思う。救ってやろうと思う。それは別に、子どもを救った縁でその親と近づきになりたいと思ったためではない。村人や友人にほめてもらうためでもない。また、救わなければ非難されることが怖いためでもない。してみると、かわいそうだと思う心は、人間誰しも備えているものだ。さらに、悪を恥じ憎む心、譲りあいの心、善悪を判断する心も、人間なら誰にも備わっているものだ、と。

 

 

かわいそうだと思う心は「仁」の芽生えである。悪を恥じ憎む心は「義」の芽生えである。譲りあいの心は「礼」の芽生えである。善悪を判断する心は「智」の芽生えである。人間は生まれながら手足を4本持っているように、この4つの芽生えを備えているのだ。これが、あまりにも有名な性善説の根拠となった「四端の説」です。孟子は「人間の本性は善きものだ」という揺るぎない信念を持っていました。

 

 

人間の本性は善であるのか、悪であるのか。これに関しては古来、2つの陣営に分かれています。東洋においては、孔子孟子儒家が説く性善説と、管仲韓非子の法家が説く性悪説が古典的な対立を示しています。西洋においても、ソクラテスやルソーが基本的に性善説の立場に立ちましたが、ユダヤ教キリスト教イスラム教も断固たる性悪説であり、フロイト性悪説を強化しました。そして、共産主義をふくめてすべての近代的独裁主義は、性悪説に基づきます。毛沢東が、文化大革命孔子孟子の本を焼かせた事実からもわかるように、性悪説を奉ずる独裁者にとって、性善説は人民をまどわす危険思想であったのです。

 

 

独裁主義国家の相次ぐ崩壊や凋落を見ても、性悪説に立つマネジメントが間違っていることは明らかです。マネジメントとは何よりも、人間を信じる営みであるはず。しかし、お人好しの善人だけでは組織は滅びます。一人でも「悪党」というのは、悪人はみな団結性を持っているからです。彼らに立ち向かうためには、悪に染まらず、悪を知る。そしてその上手をいく知恵を出すことが求められるのです。なお、「善」については『龍馬とカエサル』(三五館)に詳しく書きました。

 

 

2021年12月5日 一条真也