『四大聖人』

一条真也です。
3日、九州国際大学客員教授として、「孔子研究」の講義を行います。2年ぶりのリアル講義で、楽しみです。
わたしは、これまで多くのブックレットを刊行してきました。わたしのブックレットは一条真也ではなく、本名の佐久間庸和として出しています。いつの間にか44冊になっていました。それらの一覧は現在、一条真也オフィシャル・サイト「ハートフルムーン」の中にある「佐久間庸和著書」で見ることができます。整理の意味をかねて、これまでのブックレットを振り返っていきたいと思います。 

『四大聖人』(2009年7月刊行)

 

今回は、『四大聖人』をご紹介します。2009年7月に刊行したブックレットです。「四大聖人」とは、ブッダ孔子ソクラテス、イエスの4人の偉大な人類の教師たちです。このブックレットの目次構成は、以下の通りです。

「月下四聖図」について
四大聖人とは何か
孔子は聖人か哲学者か
人類の教師たち
四大聖人の考案者は誰か
ソクラテスと日本
エスを外した妖怪博士
新渡戸稲造の『武士道』
内村鑑三の『代表的日本人』
岡倉天心の『東洋の理想』
四聖を通しての日本理解
四大聖人のプロフィール
ブッダのことば
孔子のことば
ソクラテスのことば
エスのことば


4人の偉大な人類の教師たちを解説

 

このブックレットの冒頭には、「月下四聖図」が紹介されています。満月の下で、ブッダ孔子ソクラテス・イエスの「四大聖人」が並び立っています以前、日本画の大家・中村不折が「三聖図」として、釈迦・孔子・キリストを描いたことがありますが、ソクラテスを加えた「四大聖人」が一堂に会した絵は、世界でも初めてではないかと思われます。「信長の野望」「三国志」などで有名な長野剛画伯に描いていただきました。


世界をつくった八大聖人』(PHP新書)

 

わたしは、ずっとこの「四大聖人」のセレクトは誰がしたのかが気になっていました。そして、「四大聖人」なるものを考案したのは日本人に違いないとにらんでいました。なぜなら、西洋思想を基礎づけるソクラテスとイエスの2人のみならず、東洋からブッダ孔子の2人を選んでいる点、しかも仏教と儒教創始者を選んでいるところに日本人の匂いを強く感じたからです。人選のバランス感覚が、実に日本人らしいと思ったのです。そのあたりは、2008年に上梓した拙著『世界をつくった八大聖人』(PHP新書)に詳しく書きました。



「四大聖人」は「四聖」とも呼ばれますが、この人選には、洋の東西から2名づつ選ばれており、じつにバランス感覚の良さを感じます。おそらく、「ええとこどり」の心学思想に根ざした日本人が選んだ人選ではないかと推察します。この4人のメンバーは明治時代に選ばれていたようですが、一時、「妖怪博士」と呼ばれた井上円了などによってイエスが外されていた時期がありました。イエスの「四聖」復帰に大きな貢献を果たしたと見られるのが、キリスト教(クエーカー教)徒であった新渡戸稲造でした。

 

 

新渡戸は、1899(明治32)年に、かの名高い『武士道』(を英文で著わしますが、そこには孔子ソクラテスと並んで、イエス・キリストが登場しています(なぜか、ブッダだけは出てきませんが、マホメット老子は登場します)。この本で、新渡戸は「キリスト教の優越は、生きとし生ける人間各自に向って創造者に対する直接の責任を要求する点に、最もよく現われていることを知る。しかるにもかかわらず奉仕の教義に関する限り---自己の個性をさえ犠牲にして己れよりも高き目的に仕えること、すなわちキリストの教えの中最大であり彼の使命の神聖なる基調をなしたる奉仕の教義---これに関する限りにおいて、武士道は永遠の真理に基づいたのである。」(矢内原忠雄訳)と述べています。新渡戸は、「奉仕」という共通思想においてイエス・キリストの教えと武士道の精神が結びつくことを高らかに宣言したのです。

 

 

新渡戸の『武士道』によって、イエスの存在感は明治の日本で不動のものとなりました。そこには、同時代における日本人を代表するキリスト教徒としての内村鑑三の存在を忘れることはできないでしょう。内村は、1908(明治41)年に『代表的日本人』を、新渡戸の『武士道』と同じく英文で著わしています。キリスト教徒の内村が書くのですからキリシタン大名でも出てくるかというと、まったく出てきません。西郷隆盛上杉鷹山二宮尊徳中江藤樹日蓮の5人が日本人の代表として取り上げられています。いずれも儒教あるいは仏教を心の拠り所として生きた人々ばかりですね。ところが、この『代表的日本人』にはキリストをはじめ、釈迦、孔子ソクラテスの「四聖」すべてが登場するのです。それこそ、「近江聖人」と呼ばれた中江藤樹の章など、4人全員の名が出てきます。その他にも、日蓮の章でマホメット日蓮を比較したり、モーセの名をあげてユダヤ教神道の類似点を指摘してみたり、とにかく『代表的日本人』という本は比較思想の観点に満ちており、知的好奇心を刺激する本となっています。

 

 

新渡戸稲造内村鑑三と並んで、日本人の文化・思想を英語で西欧社会に紹介した人物がもう1人います。岡倉天心です。あまりにも有名な『茶の本』の著者としても名高い彼は、1903(明治36)年に『東洋の理想』を著しました。そこで、欧米の植民地主義が進行してゆく中で、アジアの伝統的精神文明の自覚を強く訴えました。アジアの課題とはアジア的様式を守り、再建することが重要です。そのためにはまず、こうした様式をしっかりと認識し、その自覚を高めなければなりません。過去の影こそが未来を約束するものとなり、どんな木も、もともとその種に含まれた力以上に大きくなることはできないからです。



生きることは常に自分自身に立ち戻ることだとし、天心は「どれほど多くの福音書がこの真理を説いていることか!『汝自身を知れ』とは、古代ギリシャデルフォイの神託が告げた最大の神秘だった。『すべては汝自身の内にある』と孔子は静かに語った。そして、同じ教えを説く話で一層胸をうつのは、次のようなインドの物語である。ある時、こんなことがあったと仏教徒は言う。師が弟子たちをまわりに集めると、突然、彼らの前に恐ろしい姿、偉大な神であるシヴァ神の姿が立ちあらわれ、弟子たちはことごとく目がくらんでしまった。その中で、ただひとり、一切の修行を積んだヴァジラパーニだけが目をくらまされることなく、師に向かってこう言った。『ガンジスの砂の数にも負けないほど無数の星や神々をたずね回ってきましたが、どこにも、こんなに輝かしい姿を見出すことができなかったのはなぜなのでしょう。この人は誰なのですか』すると仏陀は言った。『お前自身だよ』これを聞いてヴァジラパーニは即座に悟りに達したのだとい」と述べます。



この岡倉天心の言葉は、見事な「四聖」思想のエッセンスとなっています。イエスソクラテスの名前そのものは出てきませんが、言うまでもなく「福音書」とはイエスの言葉を記したものであり、「汝自身を知れ」とは「無知の知」を説いたソクラテスの代名詞として知られます。新渡戸稲造内村鑑三岡倉天心といった人々の著書にいずれも「四聖」のメンバーたちが登場することは興味深いと思います。おそらく日本人の精神構造が決して特殊ではなく普遍性をもっており、国際社会においても立派にやっていけることをアピールする目的もあったのでしょう。



ゆえに、岡倉天心は、イエスソクラテスといった西洋文化を代表する2人や、ブッダ孔子という東洋文明を代表する2人の名を持ち出して、インターナショナルな日本を打ち出したかったのかもしれません。しかし、それだけではありません。民族宗教である神道のみならず仏教も儒教も受け入れてきた日本人の心には、もともとあらゆる思想や宗教を平等に扱うという素地があったのです。そのことを世界に広く示したのが、新渡戸稲造内村鑑三岡倉天心でした。いずれにせよ、彼らの著書は世界中の人々に読まれ、日本においても「四聖」の存在感は次第に大きくなっていったのです。


月下四聖図」(長野剛)

 

2021年12月3日 一条真也