「グリーフケアと読書・映画鑑賞」オンライン講義 

一条真也です。10日の夜、客員教授を務める上智大学グリーフケア研究所で講義を行いました。ブログ「『グリーフケアと葬儀』オンライン講義」で紹介した10月27日に続く講義です。通常なら四谷キャンパス内の6号館で行うのですが、この日は松柏園ホテルで講義を行いました。

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開始前のようす

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開始前に島薗先生と談笑

今回のテーマは「グリーフケアと読書・映画鑑賞」でした。島薗進先生、鎌田東二先生との共著である『グリーフケアの時代』(弘文堂)の第3章「グリーフケア・サポートの実践」で、わたしは葬儀とともに、グリーフケアの方法として読書や映画鑑賞に言及しました。その内容に沿って、話を進めていきました。2010年6月、わが社では念願であったグリーフケア・サポートのための自助グループを立ち上げました。愛する人を亡くされた、ご遺族の方々のための会です。月光を慈悲のシンボルととらえ、「月あかりの会」という名前にしました。同会で行っている読書会や映画鑑賞会の実例について話しました。

f:id:shins2m:20211110185120j:plainグリーフケアと読書・映画鑑賞

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グリーフケアというテーマ

 

まずは読書ですが、もともと読書という行為そのものにグリーフケアの機能があります。たとえば、わが子を失う悲しみについて、教育思想家の森信三は「地上における最大最深の悲痛事と言ってよいであろう」と述べています。じつは、彼自身も愛する子供を失った経験があるのですが、その深い悲しみの底から読書によって立ち直ったそうです。本を読めば、この地上には、わが子に先立たれた親がいかに多いかを知ります。自分が1人の子供を亡くしたのであれば、世間には何人もの子供を失った人がいることも知ります。これまでは自分こそこの世における最大の悲劇の主人公だと考えていても、読書によってそれが誤りであったことを悟るのです。

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最近はどんな小説も映画もグリーフケア

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カタルシス」とは?

 

長い人類の歴史の中で死ななかった人間はいません。愛する人を亡くした人間も無数に存在します。その歴然とした事実を教えてくれる本というものがあります。それは宗教書かもしれませんし、童話かもしれません。いずれにせよ、その本を読めば、「おそれ」も「悲しみ」も消えてゆくでしょう。わたしは、そんな本を『死を乗り越える読書ガイド』(現代書林)で紹介しました。さらに、わたしはグリーフケアに絶大な力を発揮する「ハートフル・ファンタジー」について話しました。わたしは、かつて『涙は世界で一番小さな海』(三五館)という本を書きました。そこで、『人魚姫』『マッチ売りの少女』『青い鳥』『銀河鉄道の夜』『星の王子さま』の5つの物語は、じつは1つにつながっていたと述べました。

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最近の小説を紹介

f:id:shins2m:20211110190650j:plain「ハートフル・ファンタジー」とは何か 

 

ファンタジーの世界にアンデルセンは初めて「死」を持ち込みました。メーテルリンクや賢治は「死後」を持ち込みました。そして、サン=テグジュペリは死後の「再会」を持ち込んだのです。一度でも関係をもち、つながった人間同士は、たとえ死が2人を分かつことがあろうとも、必ず再会できるのだという希望が、そして祈りが、5つの物語には込められています。「死」を説明するために、人は「医学」や「哲学」や「宗教」を頼りにしますが、他にも「物語」という方法があるのです。いや、物語こそが死の本質を語れるのかもしれません。

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続いて、映画鑑賞について

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映画とは何か

 

「読書」の次は「映画鑑賞」です。『死を乗り越える映画ガイド』をテキストとしましたが、同書のテーマは、そのものズバリ「映画で死を乗り越える」です。わたしは映画を含む動画撮影技術が生まれた根源には人間の「不死への憧れ」があると思います。映画と写真という2つのメディアを比較してみましょう。写真は、その瞬間を「封印」するという意味において、一般に「時間を封印する芸術」と呼ばれます。一方で、動画は「時間を生け捕りにする芸術」であると言えるでしょう。かけがえのない時間をそのままの姿で「保存」するからです。

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グリーフケアとしての映画の効用

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映画の目的は「死者との再会」?

 

「時間を保存する」ということは「時間を超越する」ことにつながり、さらには「死すべき運命から自由になる」ことに通じます。写真が「死」のメディアなら、映画は「不死」のメディアなのです。だからこそ、映画の誕生以来、無数のタイムトラベル映画が作られてきたのでしょう。そして、時間を超越するタイムトラベルを夢見る背景には、現在はもう存在していない死者に会うという大きな目的があるのではないでしょうか。『唯葬論』(サンガ文庫)でも述べたように、わたしは、すべての人間の文化の根底には「死者との交流」という目的があると考えています。そして、映画そのものが「死者との再会」という人類普遍の願いを実現するメディアでもあると思っています。そう、映画を観れば、わたしは大好きなヴィヴィアン・リーオードリー・ヘップバーングレース・ケリーにだって、三船敏郎高倉健菅原文太にだって会えるのです。

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映画と儀式の関連性(オープニング)

f:id:shins2m:20211110191643j:plain映画と儀式の関連性(エンディング)

古代の宗教儀式は洞窟の中で生まれたという説がありますが、洞窟も映画館も暗闇の世界です。暗闇の世界の中に入っていくためにはオープニング・ロゴという儀式、そして暗闇から出て現実世界に戻るにはエンドロールという儀式が必要とされるのかもしれません。そして、映画館という洞窟の内部において、わたしたちは臨死体験をするように思います。なぜなら、映画館の中で闇を見るのではなく、わたしたち自身が闇の中からスクリーンに映し出される光を見るからです。

f:id:shins2m:20211110191306j:plain映画館という「洞窟」の内部

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映画館で臨死体験する!

 

闇とは「死」の世界であり、光とは「生」の世界です。つまり、闇から光を見るというのは、死者が生者の世界を覗き見るという行為にほかならないのです。映画館に入るたびに、観客は死の世界に足を踏み入れ、臨死体験するわけです。わたし自身、映画館で映画を観るたびに、死ぬのが怖くなくなる感覚を得ますが、それもそのはず。わたしは、映画館を訪れるたびに死者となっているのでした。

f:id:shins2m:20211110191723j:plain世界三大「葬儀」映画

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リメンバー・ミー」について

 

その後は、個別の映画作品について語りました。『死を乗り越える映画ガイド』の章立てをもとに5つのテーマに分け、1「死を想う」では「サウルの息子」を、2「死者を見つめる」では「おみおくりの作法」と「おくりびと」を、3「悲しみを癒す」では「岸辺の旅」を、4「死を語る」では「エンディングノート」を、5「生きる力を得る」では「リメンバー・ミー」を取り上げました。

f:id:shins2m:20211110195626j:plain鬼滅の刃」について大いに語る!

f:id:shins2m:20211110200610j:plain「死」の不安を乗り越える

 

さらに、ブログ「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」ブログ「シン・エヴァンゲリオン劇場版」ブログ「MINAMATA-ミナマター」ブログ「空白」で紹介した新しい作品も紹介しました。「グリーフケア」にしろ、「修活(終活)」にしろ、一番重要なのは、死生観を持つことだと思います。死なない人はいませんし、死は万人に訪れるものですから、死の不安を乗り越え、死を穏やかに迎えられる死生観を持つことが大事だと思います。一般の方が、そのような死生観を持てるようにするには、読書と映画鑑賞が最適だと思います。本にしろ、映画にしろ、何もインプットせずに、自分1人の考えで死のことをあれこれ考えても、必ず悪い方向に行ってしまいます。

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講義後の質問を聴く

f:id:shins2m:20211110201945j:plain質問に答えさせていただきました

 

死の不安を乗り越えるには、読書で死と向き合った過去の先人たちの言葉に触れたり、映画鑑賞で死に往く人の人生をシミュレーションすることが良いと思います。この日は、そんなことを話しました。講義後は島薗所長のコメントをお聴きし、受講生の方の質問を受けました。オンラインで受講生のみなさんに直接会えないのは残念でしたが、グリーフケアの研究と実践はわが天命だと思っています。これからも全身全霊で、この道を歩んで行く覚悟です。

 

2021年11月10日 一条真也