小倉から別府へ!

一条真也です。
13日の夜は、次回作『アンビショナリー・カンパニー~サンレーグループの大いなる志』(現代書林)の最終校正をしました。また、弟が東日本大震災を予見したという『私が見た未来 完全版』という不思議な漫画本をくれました。それを読了した上で、わたしの感想などをブログに書いていたら、すっかり寝不足になりました。その記事は、明日あたりにUPする予定です。お楽しみに!

f:id:shins2m:20211014094941j:plain
JR小倉駅の前で

f:id:shins2m:20211014100404j:plain
JR小倉駅のホームで

 

14日の朝、わたしは迎えの車に乗って、JR小倉駅に向かいました。そこからソニック11号に乗って別府へ。別府地区のわが社の施設を視察する目的で、翌3日はサンレー大分の営業推進会議を別府で開催するのです。

f:id:shins2m:20211014101631j:plain
ソニック車内のようす

f:id:shins2m:20211014101343j:plain車内で読書しました

 

ソニック11号の車内では、駅ホームの自動販売機で買ったアイスコーヒーを飲みながら、いつものように読書をしました。『パーパス 「意義化」する経済とその先』岩嵜博論・佐々木康裕著(NEWSPICS)という本です。「パーパス(=企業の社会的存在意義)」は2020年代の最重要コンセプトだそうですが、その入門書であり、実践書だとのこと。SDGs、気候変動、ESG投資、サステナビリティジェンダーギャップ、テクノロジーへの反発・・・・・・社会課題の解決が戦略の中心に置かれる時代の、「利益の追求」と「社会を良くする」を両立させる新しいビジネスの形を追求した本です。

f:id:shins2m:20211013230636j:plain
赤線を引きながら読みました

今、なぜこれほどパーパスに注目が集まるのか。それは、社会そのものが「意義化」しているからだといいます。本書は、パーパスへの注目を「点」で捉えるのではなく、世界がなぜ意義化しているのか、未来はどこに向かうのかの流れを「線」で描いています。『アンビショナリー・カンパニー』の内容と共通点も多く、興味深く読みましたが、わたし自身は、「パーパス(目的)」を超えるものが「アンビション(大志)」であると考えています。

f:id:shins2m:20211014103033j:plain車窓から秋の空を眺める

f:id:shins2m:20211014104811j:plain車窓から秋の空を眺める

f:id:shins2m:20211014104159j:plainJR中津駅を通過しました

f:id:shins2m:20211014104254j:plain
新しい看板を発見!

 

読書の合間、車窓の外も眺めました。山々の上に広がる秋の空、またJR中津駅を通過するときはホームからわが社の結婚式場「ヴィラルーチェ」がよく見えました。駅側に向けて新しく設置した看板もよく見えました。ブログ「幸福度1位の宮崎へ」で紹介したように、昨年9月9日にはソニック9号で宮崎県の延岡に向かう途中、中津駅で列車が立ち往生して下車した苦い思い出があります。幸いにも、今日は無事に中津を通過することができました。

f:id:shins2m:20211014112758j:plainJR別府駅に到着しました

f:id:shins2m:20211014112834j:plain
ものすごく陽射しが強い!

f:id:shins2m:20211014113108j:plain別府駅は温泉みたい!

f:id:shins2m:20211014113318j:plainJR別府駅前のようす

 

JR別府駅に到着すると、駅そのものが温泉浴場みたいな感じでした。サンレー大分の祐徳取締役と山下執行役員が迎えに来てくれました。別府駅を出てみると、見慣れない銅像がありました。モデルは「別府観光の父」と呼ばれる油屋熊八だそうですが、なんと、顎マスクをしています。また、両手は万歳で片足を上げ、なんともユニークで味わいのあるポーズを取っています。ブログ「『銅像に学ぶ』開始!」に書いたように、わたしは三度の飯より銅像の真似をすることが好きなので、早速、真似をしました。


サンデー毎日」2017年6月18日号

 

Wikipedia「油屋熊八」によれば、伊予国宇和島城下(現愛媛県宇和島市)の裕福な米問屋の長男として生まれた熊八は、1888年(明治21年)に27歳で宇和島町議に当選。30歳の時に大阪に渡って米相場で富を築き、別名「油屋将軍」として羽振りが良かったが、日清戦争後に相場に失敗して全財産を失いました。熊八は、35歳の時に別府に住む亀井タマエという女性に妻の身を託し渡米。アメリカを放浪の上、現地の教会でキリスト教の洗礼を受けた後、約3年滞在。帰国後、再度相場師となるがうまくいかず、1911年(明治44年)に妻を頼って別府を訪れました。別府では、「旅人を懇ろにせよ」(旅人をもてなすことを忘れてはいけない)という『新約聖書』の言葉を合言葉に、サービス精神の実践として亀の井旅館(現在の別府亀の井ホテル)を開業。続いてバス事業に進出し、1928年(昭和3年)に亀の井自動車(現在の亀の井バス)を設立して、日本初の女性バスガイドによる案内つきの定期観光バスの運行を開始。

f:id:shins2m:20211014151425j:plain油屋熊八像の真似をしました

 

また、別府宣伝協会を立ち上げ、別府お伽倶楽部のお伽船[5]の活動に参加する中で、自らのもてなしの哲学と様々な奇抜なアイデアで別府の宣伝に努め、大正の広重といわれる盟友吉田初三郎とともに別府の名前を全国へと広めました。クリスチャンで酒を飲まず、「旅館は体を休める所であり、飲酒をしたいなら外で飲むか他の旅館に行ってくれ」が熊八の口癖であったため、当時では珍しく酒類の提供を行わず、森永製菓の創業者である森永太一郎が滞在中に酒を注文しようとして断られ、なおも食い下がる太一郎に向かって「あなたは子供のための菓子を作っている会社の社長であるのに、酒が飲めないのかと悔しがるのはおかしい」と言い放ったくらいに徹底していたそうです。しかし、旅館で禁酒はあまりにも気の毒だという意見が多くなったため清酒は2合、ビールは1本を限度に提供を開始しました。ちなみに、この熊八の態度には、わたしは大きな違和感をおぼえます。

f:id:shins2m:20211014151452j:plain真似せずにはいられない!(笑)

 

今でこそ観光地の売出しや開発には公費の支出が当たり前な現代とは違い、別府温泉の宣伝はすべて熊八個人の私財と借財でまかなわれました。そのため熊八没後、亀の井自動車や旅館は借金の返済のため売り払われましたが、その行動力と独創力に敬意を込めて、「別府観光の父」「別府の恩人」として慕われ、別府市民らで「油屋熊八翁を偲ぶ会」が作られています。2007年11月1日にはその偉業を称えて大分みらい信用金庫(本社・別府市)の依頼により、別府駅前にブロンズ像が建てられました。そのブロンズ像は片足で両手を挙げ、熊八がまとう温泉マーク入りのマントには地獄めぐりの小鬼がしがみついています。これは制作した彫刻家・辻畑隆子氏によると、天国から舞い降りた熊八が「やあ!」と呼びかけているイメージとのことです。まことに、素晴らしいポーズですね!

f:id:shins2m:20211014113931j:plain
JR別府駅前の「手湯」

f:id:shins2m:20211014114046j:plain
手を温泉で浸しました

f:id:shins2m:20211014115626j:plain
昼食は、ステーキ・ランチ

f:id:shins2m:20211014150024j:plain
いただきます!

 

別府駅前には「手湯」の施設も作られていました。そこで温泉に手を浸したわたしは、用意された車に乗り込みました。まずは、昼食を食べました。レストラン「そむり」で、150グラムの豊後牛ステーキ・ランチをいただきましたが、大変美味しかったです。昼食後は、サンレー大分の営業推進会議です!

 

2021年10月14日 一条真也