天上へのまなざし

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一条真也です。
わたしは、これまで多くの言葉を世に送り出してきました。この際もう一度おさらいして、その意味を定義したいと思います。今回は、「天上へのまなざし」という言葉を取り上げることにします。


サンレーグループでは、「月」を基軸としたさまざまなコンセプトやプランを提案してきました。なぜ、「月面聖塔」や「月への送魂」といった構想(ムーン・ハートピア・プロジェクト)を抱くに至ったのかという質問をよく受けます。そこには、「まなざし」の問題があります。現代の墓について考えますと、すべては遺体や遺骨を地中に埋めたことに問題が集約されます。エコロジーの視点から見ても、人間の遺体や遺骨が土に還ることは正しいと思います。しかし問題は、生き残った人間の方にあるのです。死者が地下に埋められたことによって、生者が、人間は死んだら地下へ行くというイメージ、つまり「地下へのまなざし」を持ってしまったのです。


万人に天上へのまなざしを与える「月への送魂

 

「地下へのまなざし」は当然、「地獄」を連想させます。いくら宗教家が霊魂だけは天上へ昇るのだと口で言ったとしても、目に見えるわけではありません。実際に遺体を暗くて冷たい地中に埋めるインパクトの方が強くて、そんな言葉は打ち消されてしまうのです。その証拠に、魂の帰天を信じる熱心なキリスト教徒でさえ、屍体がよみがえって生者の血を吸うという吸血鬼伝説に脅えていました。


死後の世界のイメージが地獄と結びつくと、死の恐怖が生まれます。死の恐怖など抱かないためにも、私たちは、死後に地獄などではなく、天国に行かなければならないのです。「人間は死ぬと、まずは地獄へ行く」などと説いている宗教団体など、はっきり言って脅迫産業以外の何ものでもありません。「地獄へ堕ちたくなければ、浄財を出せ」と信者を脅して、金を巻き上げるのです。


わたしたちは天国へ行くために「地下へのまなざし」を捨て、「天上へのまなざし」を持たなければなりません。そして、月がその鍵となることは明らかです。同じ月を見ることによって、同じまなざしを持つ。まなざしという視線のベクトルは、こころざし=志という心のベクトルにつながります。ともに月を見上げ、天上へのまなざしを持つことによって、人々の心の向きも1つになるのです。なお、この「天上へのまなざし」という言葉は、『ロマンティック・デス〜月と死のセレモニー』(国書刊行会)において初めて登場しました。


ロマンティック・デス』(国書刊行会

 

2021年10月9日 一条真也