一条真也です。
5日の夜、金沢に入りました。
6日の朝、金沢紫雲閣 でサンレー北陸の本部会議を行いました。その後、待望の「夜叉ヶ池」に向かいました。
ブログ「夜叉ヶ池」で紹介した日本映画は、1979年に公開された篠田正浩監督作品「夜叉ヶ池」です。泉鏡花が夜叉ヶ池の竜神伝説を元に書いた戯曲の映画化で、歌舞伎役者の坂東玉三郎が初めて出演した映画でもあります。権利の問題から今までビデオ化もされず、テレビ放映もほとんど叶わなかった幻の作品です。このたびアメリカの会社が版権を取得したことによって、じつに42年ぶりにブルーレイ化され、WOWOWで放映もされました。中学生のときにこの映画を初めて観て以来、わたしにとっての夜叉ヶ池は怪奇と幻想の聖地となり、「いつか訪れてみたい」と思っていました。
夜叉ヶ池は岐阜県と福井県の県境にありますが、昔から伝説があります。鏡花はこの伝説をもとに戯曲「夜叉ヶ池」を書いたのですが、Wipkipedia「夜叉ヶ池」の「夜叉ヶ池の伝説」には、「安八郡の伝説」として、「817年(弘仁8年)、この年の美濃国平野庄(現岐阜県安八郡神戸町)は大旱魃に見舞われ、あらゆる作物は枯れる寸前であった。ある日、郡司の安八太夫安次は、草むらの中に小さな蛇を見つけ、ため息まじりで、『もしそなたが雨を降らせるのなら、私の大切な娘を与えよう』と語った。するとその夜、安次の夢枕に昼間の小蛇が現れ、『私は揖斐川上流に住む龍神だ。その願いをかなえよう。』と語った。すると、たちまちのうちに雨雲がかかって大雨が降り、作物は生き返り村は救われた。翌日、約束どおり娘をもらう為、小蛇(龍神)は若者の姿に変えて安次の前に現れた。安次には3人の娘がいたのだが、安次が娘たちに事情を話すと、一番心がやさしい次女(三女の説もある)が、『村人を救っていただいたからには、喜んでいきます。』と答えた。驚いた安次は、『何か必要な物はないのか。』と問うと、娘は、『今、織りかけの麻布がありますから、これを嫁入り道具にいたします。』と答えた」と紹介されています。
続けて、「こうして娘は龍神の元へ嫁ぐことになり、麻布で身をまとい、若者(龍神)と共に揖斐川の上流へ向かっていった。数日後、心配した安次は、娘に会う為に揖斐川上流へ向かった。やがて、揖斐川上流のさらに山奥の池に龍神が住むという話を聞き、その池にたどり着いた。安次は池に向かい、『我が娘よ、今一度父に姿を見せておくれ。』と叫んだ。すると、静かだった池の水面が波立ち、巨大な龍が現れた。龍は、『父上、これがあなたの娘の姿です。もうこの姿になったには人の前に現れる事はできません。』と告げ、池の中に消えていった。安次は龍となった娘を祀るために、池のほとりと自宅に、龍神を祀る祠を建てた。この娘の名を“夜叉”といい、池の名を娘の名より“夜叉ヶ池”と名づけたという(娘の名は不明で、後から池の名から“夜叉”とおくられたとの説もある)」と紹介されています。
泉鏡花の戯曲『夜叉ケ池』では村を越前国大野郡鹿見村(ただし実際の鹿見村は南条郡で、現在は南条郡南越前町)とし、娘が雨乞いの生贄にされるという大枠は同じであるものの、かなり脚色されています。白雪(生贄の娘)は龍神と化し洪水を起こしますが、越の大徳泰澄により池に封印されます。なお、戯曲の本筋はそれから1200年が過ぎた大正時代(執筆当時)の物語です。鏡花といえば江戸文化の継承者としてのイメージが強いですが、『夜叉ケ池』はゲルハルト・ハウプトマンの『沈鐘』をヒントに書いたそうです。現在、岩波文庫から『夜叉ケ池・天守物語』として発行されていますが、解説を澁澤龍彦が書いています。泉鏡花も、澁澤龍彦も、わたしが敬愛してやまない幻想文学の巨匠です。いつの日か、わたしは、サンレー北陸の東孝則専務をはじめとする北陸本部会議の参加メンバーと一緒に、夜叉ヶ池を訪れてみたいと願っていましたが、この日、ついに願いが叶うのです!
車に乗って、夜叉ヶ池に出発!
だんだん晴れてきました
南条SAで昼食の「おろしそば」を食す
アクリル板越しに、いただきます!
夜叉ヶ池登山道の看板を発見!
途中で橋がありました
夜叉ヶ池の麓に到着
夜叉龍神社の鳥居
夜叉龍神社の鳥居の前で
「夜叉ヶ池」の石碑
「夜叉ヶ池」の石碑の前と
「夜叉ヶ池」の案内板
夜叉ヶ池は標高1099メートル。毎年6月上旬に山開き。登山者の事故はコロナ禍の今年は2ケタですが、例年は3ケタだそうです。麓の「夜叉龍神社」では、登山者の安全を祈願する神事があるとか。10月初旬に紅葉シーズンで登山者が増え、中旬から下旬にかけて冠雪します。
登山用ブルゾンに着替える
登山に関する注意書き
クマ出没情報あり!
夜叉ヶ池への道
では、行ってきます!
夜叉ヶ池への道
夜叉ヶ池への道
さあ、生きて帰れるか?
夜叉ヶ池への道は険しく、かなり厳しい勾配でした。滝からの水音が涼しげで道も陽の光が当たって明るかったです。この道を泉鏡花も歩いたのかと思うと、なんだか幽玄な気分になってきました。
ひたすら前に進む
ときどき振り返る
赤いキノコを発見! 食べられるかな?
あー、疲れた!
夜叉ヶ滝
小川には木の橋が・・・
紫色の花が咲いていました
マイナスイオンが放出!
もう、これ以上は無理だ!
ここで青木部長に交代!
夜叉ヶ池までの道程5分の1ほどで「夜叉ヶ滝」に着きます。赤いキノコや紫色の花を発見しました。夜叉ヶ滝から5分ほど歩くと、道がこれまでとは比べものにならないほど険しくなり、「池まで2000m」の表示がありました。ここで、わたしは迷わずギブアップ。スーツに革靴という登山者らしからぬスタイルで来たこともあり、勇気をもって引き返すことにしました。この後は、登山が得意なサンレー北陸の紫雲閣事業部の青木博部長にお願いして、夜叉ヶ池の写真を撮ってきてもらうことにしました。
夜叉ヶ池まで1000m
夜叉ヶ池まで500m
仕事も登山も達者な青木部長は、1人でどんどん先に進みました。途中、「夜叉ヶ池まで1000m」の標示があり、かなり厳しい山道が続きます。「池まで500m」の標示がある場所まで来ると、すれ違う登山者の人たちが「厳しいですよ」と皆一同に言ったそうです。また、パトロールの人からは指導を受けたとか。
池まで200m
もうすぐ夜叉ヶ池!
池まで100m
あと一息だ!
夜叉ヶ池に到着!
夜叉ヶ池に到着!
これが夜叉ヶ池だ!!
霧が立って幻想的な夜叉ヶ池
さらに道は険しくなってきましたが、気力も体力も充実した青木部長は果敢に前進し、ついに夜叉ヶ池に到着しました。「池まであと100m」の地点からは動画を撮影し、わたしのスマホにLINEで送ってくれました。それを観たわたしは、自分が現地に到着したかのようなバーチャル体験をすることができました。また、幻想的な池の様子も1分ほど撮影して送ってくれました。青木部長、ありがとう、お疲れ様でした!
命からがら下山しました
根回り14mのカツラの木
樹齢400年、樹高32mのカツラの木の前で
空気のうまいことと言ったら!
忘れえぬ思い出になりました
さらば、夜叉ヶ池!
この絶景を見よ!
青木部長にすべてを託したわたしは、必死の思いで下山しました。麓に下りると、まずは神社の鳥居に向かって柏手を打ち、神様に無事を感謝しました。近くに、見上げるカツラの巨木がありました。帰りにはダムがあり、そこでも写真を撮影。この日は本当に晴天で、素晴らしく空気がうまく、忘れえぬ思い出となりました。ぜひ、また来てみたいです。そのときは完全登山スタイルで夜叉ヶ池まで行き着きたいです。夜叉ヶ池の龍神よ、わが到着を待たれよ!
2021年10月6日 一条真也拝