白鵬の引退に思う

一条真也です。
28日の夕方、名古屋から小倉に戻ってきました。この日の朝、大相撲の第69代横綱白鵬(36)が現役引退の意向を日本相撲協会に伝えたことを知りました。

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ヤフーニュースより

 

同協会の諮問機関である横綱審議委員会(横審)の定例会合が27日に開かれ、会合後の会見で矢野弘典委員長(産業雇用安定センター会長)が「白鵬が引退するという届けを、親方を通じて今日、あったということを理事長から聞きました」と明らかにしました。

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ヤフーニュースより

 

矢野委員長は「横綱在任中の実績は45回の優勝を始め歴史に残るものがあった。今までの横綱の実績と比べて、本当に見事な成績を収めた」と実績を評価する一方で、「反面、粗暴な取り口、審判に対する態度、あるいは土俵外での振る舞いなどに目に余ることも多く、横審はそれらを都度、反省を求めてきた」と語りました。また、「やっぱり横綱という者はもっともっと大きな責任があるということ。自分1人が強くなるじゃなしに、相撲界を引っ張っていかないといけない。模範になる存在でないといけない。時々、苦言を申し上げてきたのですが、それはみんなの共通した思い」と不満を露わにしています。


わたしは、白鵬ほど横綱にふさわしくない力士はいないと思います。言いたいことは山ほどありますが、最も憤慨したのが、2018年の九州場所11日目での行為です。結びの一番で初黒星を喫した後、土俵下で右手を挙げて勝負審判に立ち合い不成立をアピールし続け、勝負後の礼をしないという前代未聞の振る舞いをしたことです。長い大相撲の歴史でも、横綱の品格が最も損なわれた瞬間でした。相撲の原則は「礼に始まり礼に終わる」であり、礼をしないで横綱が土俵を下りるなど言語道断!

f:id:shins2m:20210928224546j:plainサンデー毎日」2018年1月21号

 

白鵬は、『相撲よ!』という著書で、「横綱が土俵入りをすることが、なぜ神事となるのか」という問いに対し、「横綱が力士としての最上位であるからだ」と即答し、さらに「そもそも『横綱』とは、横綱だけが腰に締めることを許される綱の名称である。その綱は、神棚などに飾る『注連縄』のことである。さらにその綱には、御幣が下がっている。これはつまり、横綱は『現人神』であることを意味しているのである。横綱というのはそれだけ神聖な存在なのである」と述べています。



この「現人神」という言葉は、「この世に人間の姿で現れた神」を意味し、戦前までは「天皇」を指しました。この言葉を使うからには、白鵬は「横綱」を神であるととらえているのでしょう。わたしは、ここに「礼をしない横綱」の秘密があると思いました。なぜなら、神であれば人間である対戦相手に礼をする必要などないからです。



一方で、引退した元貴乃花親方はつねづね「土俵には神様がおられる」と述べていました。横綱という存在を神であるとはとらえていないのです。「横綱≠神」と考える貴乃花親方、「横綱=神」と考える白鵬・・・・・・この両者の横綱観にこそ、2人の大横綱の考え方の違いが最も明確に表れているのではないでしょうか。



歴代最長の14年以上にわたって横綱に君臨した白鵬の優勝回数は「平成の大横綱」と呼ばれた貴乃花(22度)の2倍余です。しかしながら、横綱の品格において両者は「月とスッポン」だったと思うのは、わたしだけではありますまい。最後に、引退後に白鵬は年寄「間垣」の襲名を目指しているそうですが、日本で親方になるよりも故郷モンゴルに帰って事業をやる方がいいと思います。同じモンゴル出身の先輩横綱だった朝青龍のように・・・・・・。


2021年9月28日 一条真也