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一条真也です。
たった一字に深い意味を秘めている文字は、世界でも漢字だけです。そこには、人のこころを豊かにする言霊が宿っています。その意味を知れば、さらに、こころは豊かになるでしょう。今回の「こころの一字」は、「志」です。

 

最悪のコロナ対策をはじめ、最近の日本のリーダーには失望しています。政権・利権・金権の「三権」に固執しているとしか思えません。結局、リーダーにとって最も大切なものは「志」であると思います。志とは心がめざす方向、つまり心のベクトルです。行き先のわからない船や飛行機には誰も乗らないように、心の行き先が定まっていないような者には、誰も共感しませんし、ましてや絶対について行こうとはしません。

 

志に生きる者を志士と呼びます。幕末の志士たちはみな、青雲の志を抱いていました。吉田松陰は、人生において最も基本となる大切なものは、志を立てることだと日頃から門下生たちに説いていました。そして、志の何たるかについて、「志というものは、国家国民のことを憂いて、一点の私心もないものである。その志に誤りがないことを自ら確信すれば、天地、祖先に対して少しもおそれることはない。天下後世に対しても恥じるところはない」と説きました。

 

また、志を持ったら、その志すところを身をもって行動に現わさなければなりません。その実践者こそ志士であるとする松陰は、志士の在りよう、覚悟というものを「志士とは、高い理想を持ち、いかなる場面に出遭おうとも、その節操を変えない人物をいう。節操を守る人物は、困窮に陥ることはもとより覚悟の前で、いつ死んでもよいとの覚悟もできているものである」と述べました。

 

最近の経営書などを読むと、志の重要性について言及しているものが多くなってきたように思います。志の条件についてもさまざまな示唆があります。例えば、「長期の視野に立つこと」であるとか、「社会に貢献すること」であるとか、「幼少の頃の夢を思い起こすこと」であるとか、「内部からの願い」であるとかです。どれも完全な間違いではありませんが、いずれも志の核心はついていないと思います。また、「夢」と「志」を混同しているものが多いのが気になります。


日経電子版「すべては世のため人のため 夢から志へ

 

わたしは、志というのは何よりも「無私」であってこそ、その呼び名に値するのであると強調したいです。松陰の言葉に「志なき者は、虫(無志)である」というのがありますが、これをもじれば、「志ある者は、無私である」と言えるでしょう。平たく言えば、「自分が幸せになりたい」というのは夢であり、「世の多くの人々を幸せにしたい」というのが志です。夢は私、志は公に通じているのです。自分ではなく、世の多くの人々。「幸せになりたい」ではなく「幸せにしたい」、この違いが重要なのです。

 

企業もしかり。もっとこの商品を買ってほしいとか、もっと売上げを伸ばしたいとか、株式を上場したいなどというのは、すべて私的利益に向いた夢にすぎません。そこに公的利益はありません。社員の給料を上げたいとか、待遇を良くしたいというのは、一見、志のようではありますが、やはり身内の幸福を願う夢であると言えるでしょう。真の志は、あくまで世のため人のために立てるものなのです。

 

 

ただ、志を抱いた企業が必ず成功するかというと、短期的スパンで見れば、難しいかもしれません。かつて、ダイエーとセゾンという企業集団があり、それぞれが日本人のライフスタイルをトータルにプロデュースする総合生活産業をめざしていました。ありとあらゆる業種に進出し続け、大きな話題を提供しましたが、結果はご存知の通りです。現在では、両者ともバブル時代の象徴とされています。

 

 

しかし、わたしはダイエーとセゾンのすべてが間違っていたとは決して思いません。「日本の物価を二分の一にする」と宣言して流通革命を推進した中内功氏。常に経済と文化のリンクを意識し、社会の中における美しい企業のあり方を追求した堤清二氏。彼らの心の中には「日本人を豊かにする」という強い想いがあったはずですし、それはやはり志と呼ぶべきものではないだろうか。志なくして、両氏ともあれだけの大事業を短期間に成し遂げることは絶対に不可能であったし、逆にその志が大きくなりすぎた企業集団から乖離したときに凋落ははじまったのではないでしょうか。ダイエーとセゾンは確実に日本人の生活を変えましたし、二人とも日本の経営史に名を残す巨人であることは間違いありません。栄枯盛衰が世の法則ですが、最終的な評価は歴史が下すのです。 

 

わたしにも経営者としての志があります。冠婚葬祭業を営む者として、上昇する一方の日本人の離婚件数と自殺者数を減らしたいと思っています。人類史上最も離婚が少なかったという古代ローマ式結婚式の提案や、自殺者を事前に防ぐためのグリーフケア・サポートなど、具体的なプロジェクトも推進してきました。さらには、必ず死ぬべき人が亡くなっても「不幸があった」などと言わない社会にすべく、夜空に浮かぶ月をあの世に見立てて、死を詩に変えるという志を立てています。

 

月といえば、中国には「風吹月不動」という言葉があります。台風などが来ると、強風に吹き飛ばされた雲が次々に空を走り去っていきます。一方、それはまるで月が猛烈な勢いで空を飛んでいるようにも見えます。しかし実際には、いかに強風が吹き荒れようとも、月は動じないで、天体としての運行を淡々と行っているという意味です。

 

わたしの志、心のベクトルはまさに月に向かっています。どんなに強風に吹かれても動じない月のように、いかなる試練が訪れようとも決して志を曲げるつもりはありません。「風吹月不動」の精神で、わが志を果たしたいと思います。なお、「志」については、『孔子とドラッカー 新装版』(三五館)に詳しく書きました。

 

 

2021年8月21日 一条真也