引き受ける覚悟

一条真也です。
メンタリストDaiGo氏が、8月7日のYouTube配信で、「ホームレスの命はどうでもいい」「僕は生活保護の人たちにお金を払うために税金を納めてるんじゃない」などと発言したことが、社会的弱者に対する差別だとして、ネット上で大きな批判を集めています。

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ヤフーニュースより

 

aiGo氏は、ワインを片手に行った12日深夜のYouTube配信では「あくまで僕1人の感想」と強調し、「謝罪っていうのは別に・・・」と話しました。しかし、翌13日の配信では一転して、「一生懸命、社会復帰を目指して生活保護受けながら頑張っている人、支援する人がいる」「さすがにあの言い方はちょっとよくなかった」と謝罪。そのときの動画内で、今後はホームレスや生活困窮者への支援を行うNPO法人「抱樸(ほうぼく)」(北九州市)の奥田知志理事長のもとで学ぶ意向を示しました。奥田理事長も、「抱樸としてもそれを引き受けようと考えています」と明かしています。さらに奥田理事長は、交流のある脳科学者の茂木健一郎氏を通じてDaiGoと連絡を取った経緯なども説明しました。

 

奥田理事長は16日、同NPO法人の公式サイトに掲載した文章で、DaiGo氏の発言をめぐる騒動に言及。「今回のDaiGo氏の発言は、命の尊厳そのものに対する否定であり、到底容認できるものではありません。また、この発言がさらなる偏見や差別、社会的排除、ついにはヘイトスピーチ憎悪犯罪につながる恐れさえあるものだと危惧しています」と述べ、DaiGo氏を引き受けることについて「危惧する声も聞かれます」と明かしています。奥田氏は「本当の『学び』は知識を得ると言う事では全くなく自分のしてしまったこと、あり方を一旦否定することから始まると考えます。それを棚上げにして『学ぶ』ことは出来ません」とした上で、「DaiGo氏は、一旦ひとりになり、自分を見つめて欲しいと思います。そして今回傷つけた人々の痛みを全身で感じてもらいたいと思います。『学び』とはそういう事だと考えています。ですから、抱樸としては安易に『学び』の場所を提供し事柄を済ませることはしません。徹底的に自己批判していただき、厳しく自らと向かい合ってもらうための対話を重ねたいと考えています」と述べています。

f:id:shins2m:20130908140739j:plain茂木健一郎氏(左)・奥田知志氏(右)と

 

わたしはDaiGo氏とは面識はありませんが、茂木健一郎氏には何度かお会いしていますし、奥田理事長とは親しくお付き合いさせていただいています。わたしは奥田理事長のことを「隣人愛の実践者」と呼んでおり、お会いするといつも福祉のこと、困窮者支援のこと、グリーフケアのこと、宗教のことなど、さまざまな問題について時間を忘れて語り合います。これまでにブログ「隣人対談」ブログ「無縁社会シンポジウム」ブログ「茂木健一郎&奥田知志講演会」ブログ「包摂社会シンポジウム」ブログ「最期の絆シンポジウム」ブログ「支え合いの街づくり」ブログ「荒生田塾講演」などで紹介したとおり、奥田理事長とは数多くの対談やシンポジウムでご一緒させていただきました。活動の場は違っても、ともに有縁社会あるいはハートフル・ソサエティの創造を目指している点では同じであり、同志であると思っています。

f:id:shins2m:20190404145043j:plainサンレー本社で奥田知志氏と

 

今回のDaiGo氏の発言内容については言語道断ですし、東京五輪関連であれだけ「差別」とか「いじめ」が問題視されてきた中で、今頃そういうことを言って大炎上するのは「この人、頭が悪いな」と正直思いました。また、巷で言われているように、炎上したのは彼の確信犯的行為なのだとしたら、「この人、頭がおかしいな」と思います。差別発言やヘイト発言を利用した炎上商法など、絶対に認めてはなりません。そんなDaiGo氏に敢えて声を掛け、救いの手を差し伸べるというのは、なかなか出来ることではありません。奥田理事長がキリスト教会の牧師であるということも大いに関係があると思いますが、おそらく「引き受ける覚悟」があるのでしょう。引き受けるというのはDaiGo氏を引き受けるという意味もありますが、「ホームレスに関する問題は自分が引き受ける!」という覚悟があるのではないでしょうか?

f:id:shins2m:20210817155209j:plainヤフーニュースより

 

今回の奥田理事長の行動は、ご本人も承知のように、リスクもあります。DaiGo氏が奥田理事長のもとで学ぶ意向を示したのは13日に配信した謝罪動画内ですが、その翌日となる14日、生活困窮者を支援する4団体は「人の命に優劣をつけ、価値のない命は抹殺してもかまわない、という『優生思想』そのもの」「命をつなぐ制度から人々を遠ざけ、生活困窮者を間接的に死に追いやる効果を持つ」などの抗議声明を発表しました。DaiGo氏の謝罪内容についても、「他者の生きる権利について自分が判定できると考える傲岸さは変わりません」「権利としての生活保護制度があることについて、根本的な理解を欠いている」などと指摘しています。奥田理事長はたしか生活困窮者を支援する団体の全国組織の代表もされていたと記憶していますが、今回のDaiGo氏への救済行為に対して疑問を抱く仲間の方々も多いのではないかと思います。

 

 

奥田理事長には「千万人と雖も吾往かん」という気概があるのでしょう。そして、「俺がやらねば誰がやる!」という使命感と「なにがなんでも、世間のホームレスに対する偏見をなくす!」という志を感じます。その使命感と志が、敢えて火中の栗を拾う行動に出るのでしょう。わたしも、2010年に宗教学者島田裕巳氏が『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)を書いたとき、仏教界も葬祭業界も誰も反論しないので、自ら『葬式は必要!』(双葉新書)を書きました。そのとき、「火中の栗を拾わなくてもいいのに」という人が何人かいました。しかし、わたしが反論書を書いたことによって「葬儀はどうあるべきか」という議論が活発になり、島田氏とはNHKの番組で討論もしましたし、後には『葬式に迷う日本人』(三五館)という対談本も出すことができ、「火中の栗を拾って、本当に良かった」と思っています。奥田理事長のように、わたしも「冠婚葬祭やグリーフケアの問題なら、俺が引き受けてやる!」という気持ちを抱いているつもりです。そして、わたしたちのあいだに共通しているのは「人間尊重」という根本理念ではないかと考えます。

 

 

aiGo氏に関しては、わたしはブログ『知識を操る超読書術』で取り上げた著書を読んだことがあります。速読よりも熟読を、新刊よりも古典を推奨する点は共感が持てたのですが、読書という行為を「金持ちになる」「成功する」「人を操る」ためのリソースのようにとらえている点に違和感をおぼえました。交流があるという実業家の堀江貴文氏はDaiGo氏の読書家の一面について、「悠々自適に家で“知の巨人”になろうとしている人というイメージ」と語っています。最近は北九州市の球団経営に名乗りを上げて話題になった堀江氏ですが、かつて「人の心はお金で買える」と発言したことで世を騒がせました。DaiGo氏も同じように考えているのかどうかは知りませんが、お金には非常に縁があるようで、運営するオンラインサロンの利益などで月収9億円の収入があるとか。でも、メンタリストという職業の根底にひそむものに疑問を感じることがあります。「人の心を操るテクニック」を商売のネタとするのは非常に不遜なことであり、かつ危険なことであると思うのです。

 

 

わたしが取り組んでいるグリーフケアも「人の心」に深く関わる営みですが、「操る」などという言葉は論外で、「癒す」という上から目線の言葉も禁句にしています。グリーフケアとは、人の心に「寄り添う」ことであると、わが社のグリーフケア士たちにもいつも伝えています。DaiGo氏も若いわりには大量の本を読んできたのでしょうが、今回の一件を反省するならば、ぜひ今後は「金持ちになる」「成功する」「人を操る」ための読書ではなくて、人を「幸せにする」、あるいは社会を「良くする」、そして自分が「幸せになる」ための読書をしていただきたいと思います。読書とは、心をゆたかにするための行為なのですから。別に宣伝ではありませんが、わたしの最新刊の『心ゆたかな読書』(現代書林)ではそんな本をたくさん紹介していますし、奥田理事長が書かれた『もう、ひとりにさせない』(いのちのことば社)という名著も登場します。よろしければ奥田理事長に拙著を預けますので、もしDaiGo氏が興味を持たれたら、ぜひお読み下さい。

 

 

2021年8月17日 一条真也