『小泉今日子書評集』

小泉今日子書評集

 

 

一条真也です。
小泉今日子書評集』(中央公論新社)をご紹介します。
8月3日に発売された一条本最新刊『心ゆたかな読書』(現代書林)が、おかげさまで好評のようです。アマゾン・レビューも集まってきています。同書を刊行するにあたり、わたしはブックガイドや書評集の類をたくさん読みました。その中でも特に心に残ったのが、80年代の女性アイドルを代表するキョンキョンが書いた本書でした。

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本書の帯

 

本書の帯には、「2005年~2014年『読売新聞』書評欄」「10年間に小泉今日子が読んで書いたおすすめの97冊」と書かれています。

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本書の帯の裏

 

帯の裏には、「その本を読みたくなるような書評を目指して十年間、たくさんの本に出会った。読み返すとその時々の悩みや不安や関心を露呈してしまっているようで少し恥ずかしい。でも、生きることは恥ずかしいことなのだ。私は今日も元気に生きている。――『はじめに』より」と書かれています。


「はじめに」の冒頭を、著者はこう書きだしています。
「本を読むのが好きになったのは、本を読んでいる人には声を掛けにくいのではないかと思ったからだった。忙しかった10代の頃、人と話をするのも億劫だった。だからと言って不貞腐れた態度をとる勇気もなかったし、無理して笑顔を作る根性もなかった。だからテレビ局の楽屋や移動の乗り物の中ではいつも本を開いていた。どうか私に話しかけないで下さい。そんな貼り紙代わりの本だった」

 

 

「どうか私に話しかけないで下さい」という貼り紙代わりの本でしたが、著者は「それでも本を1冊読み終えると心の中の森がむくむくと豊かになるような感覚があった。その森をもっと豊かにしたくなって、知らない言葉や漢字を辞書で調べてノートに書き写すようにした。学校に通っている頃は勉強が大嫌いだったのに退屈な時間はそんなことをして楽しむようになった」と書いています。この文章を読んだとき、わたしは驚きました。というのも、著者が読書を「心の中の森」を育てる営みだと表現していたからです。本書を読んだのはブログ「金沢から小倉へ」で紹介したように今年の6月11日でしたが、ちょうどその前日、『心ゆたかな読書』の表紙デザイン案が編集者から届きました。そこには、まさに読書を「心の中の森」ととらえたイラストが使われており、その偶然に驚いたのです。


「読売新聞」の書評担当者を小泉さんに紹介したのは、故 久世光彦氏でした。テレビドラマの演出家として数々のヒット作を作り出し、作家としてもたくさんの小説を残した久世氏のことを著者は「私の恩師。演技もお行儀も文章を書くことも全部私に教えてくれた人だった」と表現し、「最初の書評が載った日に、久世さんからファックスが届いた。書評読みました。うまくて、いい。感心しました。Kyonがだんだん遠くなるようで、嬉しいけど寂しい。あなたの書評を読むと、その本が読みたくなるというところが、何よりすばらしい。それが書評ということなのです」と書いています。

 

 

この「あなたの書評を読むと、その本が読みたくなる」という久世氏の言葉はまさに書評の神髄であると思いますが、著者は「ロマンティスト久世さんらしいとてもキレイな直筆の文字を噛み締めるように読みながら私は泣いた。それから数年後、先に遠くへ行ってしまったのは久世さんの方だった。ある朝、突然逝ってしまった。久世さんからのファックスはもう届くはずないのに日曜日に書評が載ると電話機をつい確かめてみたくなる。天国にもファックスがあればいいのに」と書いています。

 

 

本書には97冊の本が紹介されていますが、その中に著者が敬愛する女優について書かれた本があります。『沢村貞子という人』山﨑洋子著(新潮社)という本で、著者は「人を愛する決心。愛される覚悟。本当の意味でそれを知っている女性は、今の世の中にどれだけ存在するのだろう。残念なことに私はまだそれを知らない。沢村貞子さんの人生は、他人からしたら波乱万丈である。下町育ち、関東大震災や戦争を体験し、思想犯として1年余りを拘置所で暮らした。女優という職業、結婚、離婚、そして最愛の人との出会い。自分のために家族も仕事も捨てた男の覚悟を、命懸けで守り、愛し抜いた」と書いています。


沢村貞子という人』の書評の最後を、著者は「愛とはなんて強いものなのだろう。そんな風に生き、そんな風に死んでみたいと思った」という一文で締めくくっています。沢村貞子のことは、現在55歳である著者が50歳のときに出演した「徹子の部屋」でも話題に出ていました。このときは、アイドル時代に「ザ・ベストテン」でお世話になった黒柳徹子が書いたエッセイに感動したエピソードや、同番組で『チェルノブイリの少年たち』という本を愛読書として持参したところ、製作サイドに思想性が強いと判断されたためか紹介されず、それを黒柳徹子が慰めてくれたエピソードなどが初披露されました。

 

 

女優の本といえば、岸田今日子著『二つの月の記憶』(講談社)も取り上げられています。同じ「今日子」という名前ゆえか生前の岸田今日子と親しかったという著者は、「私達は別れる時に、いつも『またね』と言って軽く抱きしめ合った。それは二人の儀式のようだった。私は華奢な岸田さんの身体を抱きしめる度に胸が少し切なくなって、壊れるくらいにギュッと抱きしめたかった。最後に会った時もやっぱり『またね』と私達は別れた」と述べ、さらに岸田今日子については「静かな優しさと、少女のような悪戯っぽさを持つ可愛らしい人だった。でも、女優として舞台に立つと一変、狂気や妖艶さを軽々と纏い、圧倒的な存在感を放つ大先輩だった。舞台で共演した事がある私は、そんな鬼気迫る岸田今日子ワールドに引き込まれ何度も息を呑んだ」と書いています。

 

 

女性作家が書いた本も多く、『無銭優雅』山田詠美著(幻冬舎)の書評では、「生きるということを意識し始めたのはいつからだったか考えてみる」と書きだし、当時40代で独身だった著者は「40代、死はそんなに近くはないけれど、ものすごく遠くもない。でも、人はいつか必ず死ぬということを自然に受け入れられる年頃なのかもしれない。私が40歳になったとき、やっと人生の折り返しだね、と誰かに言われた。この世に生まれてヨーイドン! と走り出して、40歳で折り返してみたら、生まれる前の場所、死に向かって走っていることに気付く。折り返す前はどこに向かっているのかわからないから、流れる景色を楽しむ余裕もなく、ただただ走る。折り返して向かう先がわかったら安心して景色を楽しむことができる。その景色が生きるということなのかもしれない」と書いています。

 

 

また、『ラン』森絵都著(理論社)の書評では、「もう二度と会うことが出来ない人達、亡くしてしまった人達に会いたいと願う。薄暗い舞台袖で緊張しながら出番を待つとき、私はいつもあの世の人達との交信を試みる。暗い天井を見上げて『今日も、私はここで生きています。ちゃんと見ていてね』。もちろん返事はないけれど、あの世の人達が微笑んでいる顔が頭の中に次々と浮かんで頼もしい気持ちで舞台に上がる」と書きだし、最後は「私を育ててくれた父親や、演出家や、映画監督はあの世で今でも私の心配をしているだろうか? 死んでまで心配させるのは気の毒だと思いながら、私は今日もあの世との交信を試みる」と結ぶのでした。

 

 

本書を通読して感じたのは、「死」についての著者の感性の豊かさです。40代にして自身の死生観を持っていますが、『心ゆたかな読書』でわたしが取り上げた本も本書に登場しています。たとえば、ブログ『悼む人』で紹介した天童荒太の小説の書評では、「生と死、そして愛という言葉。簡単なようで言葉にするのは難しいテーマだと思う。大袈裟に捉えすぎても、軽んじてもいけない言葉なのだと思うが、著者は丁寧に慎重に言葉を積み重ね、静かにゆっくりと私達を導いてくれる」と書いています。

 

 

また、ブログ『ツナグ』で紹介した辻村深月の小説には、両親が謎の心中自殺を遂げた高校生が登場します。彼は「ツナグ」として、さまざまな人々の死者との再会を仲介します。それぞれの想いが込められた一夜の邂逅は、読者の想像を超えた物語を生んでいくのですが、同書の書評には「誰に会いたいか? 本を閉じてから考えた。父親、恩師、10代で逝った幼なじみ。いろんな人の顔が浮かんだけれど、会いたいとは思わなかった。あの世とこの世に別れてからの方が、ずっと近くに感じているからだ。でも、もしも動物でも可能なら、幼い日を一緒に過ごした白い猫に会わせて欲しい。オプションで人の言葉を喋るようになっていたら、尚嬉しい」と書かれています。

 

 

拙著『死を乗り越える読書ガイド』(現代書林)で取り上げた本も登場。ブログ『スウィート・ヒアアフター』で紹介した吉本ばなな臨死体験小説の書評の冒頭を「22歳の私の日々は目が回るほど忙しく、文字の通り心をなくしていたと思う」と書きだし、最後には「人は生きていながらも生まれ変わることができるような気がする。22歳だった私は心を取り戻し確かに生まれ変わった。人から見たら何も変わらなかったのかもしれないけれど、自分の目に映る世界はガラリと変わったのだ。あの感覚を今はっきりと思い出した。生きているということはそれだけで奇跡のように素晴らしい! のだ」と結んでいます。

f:id:shins2m:20210807220814j:plainNHK・BS4K「我が心の大瀧詠一」より 

 

この他にも、 ブログ『小さいおうち』で紹介した中島京子の小説など、著者とわたしには共通の愛読書が多いことがわかり、著者に対して一気に親しみが湧いてきました。じつは、本書を読む少し前、わたしは小泉今日子さんの魅力を再認識しました。今年の4月24日(土)に、NHKのBS4Kで「我が心の大瀧詠一」という番組が放送されました。J-POPの原点ともいえる伝説のアーティスト・大瀧詠一の代表作「ロング・バケイション」の発表から今年で40周年となることから大瀧ゆかりの豪華アーティストたちが名曲を歌唱する番組でしたが、その中で小泉さんが今は亡き大瀧詠一と名曲「快盗ルビイ」をデュエットするというファンには感涙の企画があったのです。


その番組で小泉さんは髪を後ろに束ね、黒の装いで出演していましたが、とても知的で大人の女性の魅力に溢れていました。当年55歳になるそうですが、他の80年代アイドルたちとは違って格段のオーラを放っていました。わたしは、「ああ、彼女はこれまで多くの本を読みながら、こんなに素敵な年齢を重ねてきたんだなあ」と、しみじみと思いました。この「快盗ルビイ」は和田誠監督による同名映画の主題歌なのですが、歌詞も最高にロマンティックで、大好きな歌です。数多い小泉さんのヒットナンバーの中でも、わたしの一番好きな歌ですね。


映画「快盗ルビイ」も大好きでした。1988年の作品でしたが、当時大学生だったわたしは渋谷の映画館で観た記憶があります。内容は、イラストレーターの和田誠が「麻雀放浪記」に続いて監督したおしゃれなロマンチック・コメディです。小泉今日子真田広之を主演に迎え、オペレッタ調のノリで古き良きハリウッド映画を彷彿させる仕上がりとなっています。ある日、純朴なサラリーマンのマンションにきれいな女の子が引っ越してきました。彼女の名は加藤留美。フリーのスタイリストをしていますが、本当はルビイという名の快盗でした。彼はいつの間にか相棒として犯罪の手伝いをさせられるハメになる物語です。


小泉さんは女優として多くの映画に出演していますが、わたしの心に強烈な印象を残しているのが、黒沢清監督の「トウキョウソナタ」(2008年)です。東京に暮らす、ごく普通の家族がたどる崩壊から再生までの道のりを、家族のきずなをテーマに見つめ直した人間ドラマです。リストラを家族に言えない主人公を香川照之が好演し、小泉さんはその妻を演じています。この映画を作るにあたって主演の小泉さんから黒沢監督に、「顔の皺も隠さず全部そのまま撮ってしまってください」という注文があったそうです。


このエピソードについて、映画評論家の樋口泰人氏は、「つまりそれは、『トウキョウソナタ』というフィクションの中に自分が生きてきたこれまでの人生の跡=皺をはっきりと映し出し、『小泉今日子』という人物の歴史をそこに注入してくれということであるだろう。そして、壊れゆく家庭を穏やかに包み込むこの映画の主人公の主婦の絶望と希望とにそれが見事に重なり合う、そんな映画にして欲しいという彼女からの要請だったのではないかと思う」と述べていますが、同感です。「快盗ルビイ」のキュートな女泥棒から20年後の「トウキョウソナタ」で、小泉さんは謎めいた中年女を見事に演じ切りました。

愛する人を亡くした人へ』(現代書林)

 

わたしは黒沢清監督作品はすべてDVDを持っているのですが、「トウキョウソナタ」を観直しながら、「女優・小泉今日子には、グリーフケア映画が似合うのではないか」と思いました。「トウキョウソナタ」での彼女は、人間の持つ悲嘆や苦悩や影の部分を完璧に表現していたからです。じつは、拙著『愛する人を亡くした人へ』を原案とするグリーフケア映画「愛する人へ」の製作が決定しています。監督は、1990年大阪府生まれの作道雄氏。監督作品に「神様の轍」(2018年)、脚本作品に「いのちのスケッチ」(2019年)、「鬼ガール」(2020年)、「光を追いかけて」(2021年)がある日本映画界の期待のホープです。本書『小泉今日子書評集』で『悼む人』や『ツナグ』や『スウィート・ヒアアフター』を取り上げている小泉さんには、ぜひ、「愛する人へ」に出演していただきたい。プロデューサーの益田祐美子さん、作道監督、よろしくお願いします! まずは、『愛する人を亡くした人へ』をキョンキョンに送らなければ!

 

 

2021年8月16日 一条真也