日航機墜落事故の日

一条真也です。
8月12日になりました。1985年の日航ジャンボ機墜落事故から36年目になります。振り返れば、あの事故は40回目の「終戦の日」の3日前のことでした。1985年8月12日、日航機123便が群馬県御巣鷹山に墜落、一瞬にして520人の生命が奪われたのです。単独の航空機事故としては史上最悪の惨事でした。

f:id:shins2m:20210812100557j:plain2021年8月12日の各紙朝刊より

 

遺体の確認現場では、カルテの表記や検案書の書式も統一されました。頭部が一部分でも残っていれば「完全遺体」であり、頭部を失ったものは「離断遺体」、さらにその離断遺体が複数の人間の混合と認められる場合には、レントゲン撮影を行った上で「分離遺体」として扱われたそうです。まさに現場は、「この世の地獄」そのものでした。


御巣鷹山日航機123便の真実

 

当時、群馬・高崎署の元刑事官である飯塚訓氏が遺体の身元確認の責任者を務められました。ブログ「『墜落遺体』『墜落現場』」で紹介した飯塚氏の著書を読むと、その惨状の様子とともに、極限状態において、自衛隊員、警察官、医師、看護師、葬儀社社員、ボランティアスタッフたちの「こころ」が1つに統合されていった経緯がよくわかります。わたしは、何度も読み返しました。

 

看護師たちは、想像を絶するすさまじい遺体を前にして「これが人間であったのか」と思いながらも、黙々と清拭、縫合、包帯巻きといった作業を徹夜でやりました。そして、腕1本、足1本、さらには指1本しかない遺体を元にして包帯で人型を作りました。その中身のほとんどは新聞紙や綿でした。それでも、絶望の底にある遺族たちは、その人型に抱きすがりました。亡き娘の人型を抱きしめたまま一夜を過ごした遺族もおられたそうです。その人型が柩に入れられ、そのまま荼毘に付されました。



どうしても遺体を回収し、「普通の葬儀をあげてあげたかった」という遺族の方々の想いが伝わってくるエピソードです。 人間にとって、葬儀とはどうしても必要なものなのです。そのことは、「沈まぬ太陽」や「クライマーズ・ハイ」といった、日航ジャンボ機墜落事故をテーマにした映画を観たときも痛感しました。

  

 

わたしは、ブログ『沈まぬ太陽』で紹介した山崎豊子氏の小説をはじめ、くだんの『墜落遺体』『墜落現場 遺された人たち』、さらには日航機墜落事故の遺族の文集である『茜雲〜日航御巣鷹山墜落事故遺族の30年』(本の泉社)も含めて多くの資料を読みました。拙著『葬式は必要!』(双葉新書)に感想を書きましたが、葬儀とは「人間尊重」の実践であるという思いを改めて強くしました。

 

 

さらに、ヒトは葬儀をされることによって初めて「人間」になるのではないでしょうか。ヒトは生物です。人間は社会的な存在です。葬儀に自分のゆかりのある人々が参列してくれて、その人たちから送ってもらう。それで初めて、故人は「人間」としてこの世から旅立っていけるのではないでしょうか。葬儀とは、人生の送別会でもあるのです。

 

唯葬論 なぜ人間は死者を想うのか (サンガ文庫)

唯葬論 なぜ人間は死者を想うのか (サンガ文庫)

 

 

1人の人間が亡くなることは大事件です。宇宙的事件だと言ってもいいでしょう。東日本大震災の直後に北野武氏が「2万人の人間が死んだんじゃない。1人の人間が死ぬという大事件が2万回起こったんだ」という名言を残されていますが、まさにその通りだと思います。それなのに、現代日本では通夜も告別式も行わずに遺体を火葬場に直行させて焼却する「直葬」が流行し、さらには遺体を焼却後、遺灰を持ち帰らずに捨ててしまう「0葬」も登場。あいかわらず葬儀不要論も語られています。そういった風潮に対して、わたしは『唯葬論』(サンガ文庫)を書きました。絶対に、死者を忘れてはなりません。いつか、520名の犠牲者が昇天した“霊山”であり、4名の奇跡の生存者を守った“聖山”でもある御巣鷹山に登ってみたいです。

 

ちょうど3年前、わたしは『般若心経 自由訳』(現代書林)を上梓しました。自由訳してみて、わたしは日本で最も有名なお経である『般若心経』がグリーフケアの書であることを発見しました。このお経は、死の「おそれ」も死別の「かなしみ」も軽くする大いなる言霊を秘めています。葬儀後の「愛する人を亡くした」方々をはじめ、1人でも多くの方々に同書をお読みいただき、「永遠」の秘密を知っていただきたいと願っています。最後に、御巣鷹山で亡くなられた方々の御冥福を心よりお祈りいたします。合掌。

 

 

2021年8月12日 一条真也