「孝」があれば人は死なない

一条真也です。
8月2日、産経新聞社の WEB「ソナエ」に連載している「一条真也の供養論」の第37回目がアップされました。今回のタイトルは、「孝があれば人は死なない」です。 

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「孝があれば人は死なない」

 

7月7日の「七夕」の日、わたしは大阪で、心から尊敬する師と対談させていただく機会に恵まれました。師のお名前は、加地伸行先生といいます。加地先生は1936年、大阪生まれ。京都大学文学部卒業。専攻は中国哲学史。大阪大学名誉教授。わが国における儒教研究の第一人者です。加地先生はまた、『論語』とともに儒教の重要経典である『孝経』を訳されたことでも有名です。日本人の葬儀には儒教の影響が大きいが、その根底には「孝」の思想があります。

 

「孝」とは何か?
あらゆる人には祖先および子孫というものがありますが、祖先とは過去であり、子孫とは未来です。その過去と未来をつなぐ中間に現在があり、現在は現実の親子によって表わされます。すなわち、親は将来の祖先であり、子は将来の子孫の出発点です。ですから、子の親に対する関係は、子孫の祖先に対する関係でもあります。

 

孔子が開いた儒教は、次の3つのことを人間の「つとめ」として打ち出しました。1つ目は、祖先祭祀をすること。仏教でいえば、先祖供養をすることです。2つ目は、家庭において子が親を愛し、かつ敬うこと。3つ目は、子孫一族が続くこと。そして、この3つの「つとめ」を合わせたものこそが「孝」なのです。決して、一般にイメージされがちな「親への絶対服従」という意味ではありません。

 

「孝」があれば、人は死なないということになります。それは、こういうことです。死の観念と結びついた「孝」は、次に死を逆転して「生命の連続」という観念を生み出しました。亡くなった先祖の供養をすること、つまり祖先祭祀とは、祖先の存在を確認することです。また、祖先があるということは、祖先から自分に至るまで確実に生命が続いてきたということになります。

 

さらには、自分という個体は死によってやむをえず消滅しますが、もし子孫があれば、自分の生命は生き残っていくことになるのです。だとすると、現在生きているわたしたちは、自らの生命の糸をたぐっていくと、はるかな過去にも、はるかな未来にも、祖先も子孫も含め、みなと一緒に共に生きていることになります。わたしたちは個体としての生物ではなく1つの生命として、過去も現在も未来も、一緒に生きるわけです。

 

「遺体」とは「死体」という意味ではありません。人間の死んだ体ではなく、文字通り「遺(のこ)した体」というのが、「遺体」の本当の意味です。すなわち遺体とは、自分がこの世に遺していった身体、すなわち「子」なのです。あなたは、あなたの祖先の遺体であり、ご両親の遺体なのです。あなたが、いま生きているということは、祖先やご両親の生命も一緒に生きているのです。

 

 

2021年8月3日 一条真也