8月度総合朝礼

一条真也です。
ついに8月になりました。2日の朝、わが社が誇る儀式の殿堂である小倉紫雲閣の大ホールで、サンレー本社の総合朝礼を行いました。もちろん、ソーシャルディスタンスには最大限の配慮をしています。

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8月度総合朝礼のようす

f:id:shins2m:20210802084517j:plain最初は、もちろん一同礼!

f:id:shins2m:20210802084546j:plain社歌斉唱のようす

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マスク姿で登壇しました

 

全員マスク姿で社歌の斉唱および経営理念の唱和は小声で行いました。それから社長訓示の時間となり、わたしが夏模様の不織布マスク姿で登壇。わたしは、まず、「現在、東京五輪が開催されていますが、ここでは言及しません」と述べ、以下の話をしました。先月7日、わたしは大阪に向かいました。そして、心から尊敬する師と対談させていただきました。その方のお名前は、加地伸行先生といいます。大阪大学名誉教授で、わが国における儒教研究の第一人者です。加地先生は『論語』とともに儒教の重要教典である『孝経』を訳されたことで有名です。日本人の葬儀には儒教の影響が大きいですが、その根底には「孝」の思想があります。

f:id:shins2m:20210802103522j:plain夏模様のマスクを取りました

 

「孝」とは何か。あらゆる人には祖先および子孫というものがありますが、祖先とは過去であり、子孫とは未来です。その過去と未来をつなぐ中間に現在があり、現在は現実の親子によって表わされます。すなわち、親は将来の祖先であり、子は将来の子孫の出発点です。ですから子の親に対する関係は、子孫の祖先に対する関係でもあるのです。孔子の開いた儒教は、そこで次の3つのことを人間の「つとめ」として打ち出しました。1つ目は、祖先祭祀をすること。仏教でいえば、先祖供養をすることですね。2つ目は、家庭において子が親を愛し、かつ敬うこと。3つ目は、子孫一族が続くこと。そして、この三つの「つとめ」を合わせたものこそが「孝」なのです。

f:id:shins2m:20210802103544j:plain「孝」とは何か ?

 

「孝」というと、ほとんどの人は、子の親に対する絶対的服従の道徳といった誤解をしています。それは間違いです。死んでも、なつかしいこの世に再び帰ってくる「招魂再生」の死生観と結びついて生まれた観念が「孝」というものの正体なのです。これによって、古代中国の人々は死への恐怖をやわらげました。なぜなら、「孝」があれば、人は死なないからです。それは、こういうことです。死の観念と結びついた「孝」は、次に死を逆転して「生命の連続」という観念を生み出しました。

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熱心に聴く人びと 

 

亡くなった先祖の供養をすること、つまり祖先祭祀とは、祖先の存在を確認することです。また、祖先があるということは、祖先から自分に至るまで確実に生命が続いてきたということになります。さらには、自分という個体は死によってやむをえず消滅するけれども、もし子孫があれば、自分の生命は生き残っていくことになるのです。

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社長訓示の様子

 

だとすると、現在生きているわたしたちは、自らの生命の糸をたぐっていくと、はるかな過去にも、はるかな未来にも、祖先も子孫も含め、みなと一緒に共に生きていることになります。わたしたちは個体としての生物ではなく一つの生命として、過去も現在も未来も、一緒に生きるわけです。これが儒教のいう「孝」であり、それは「生命の連続」を自覚するということです。ここにおいて、「死」へのまなざしは「生」へのまなざしへと一気に逆転します。

f:id:shins2m:20210802104046j:plain日本人の葬儀の本質とは ?

 

仏式葬儀の中には、儒式葬儀の儀礼が取り込まれています。インドにおける本来の仏教に、果たして今のような葬儀の儀礼があったのかどうかさえ疑問です。加地先生は、「日本仏教はもちろんすぐれた宗教として存在する。私は仏教信者でありつつ、儒教的感覚の中で生きている」と述べています。この言葉は、多くの日本人にも当てはまるものでしょう。そして、日本人の葬儀の本質とは仏教ではなく儒教の儀式であり、そこでは直葬などありえないのです。加地先生との対談では多くの学びを得ました。今後のサンレーの経営をしていく上で、大いに生かさせていただきたいと思います。

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熱心に聴く人びと

 

先月30日には、福岡県飯塚市秋松紫雲閣がオープンしました。 サンレーグループとしては、福岡県内で48番目、全国で90番目(いずれも完成分)のセレモニーホール(コミュニティホール)です。現在、日本人の葬儀といえば「家族葬」の易きに流れています。しかし、故人と縁のあった方々に訃報を伝えず、会葬を拒否し、簡略に済ませることが家族葬なのか。大いに疑問があります。

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道歌を披露しました

 

現在の日本の葬儀は「薄葬」化の流れの中にありますが、そこで死者への供養と残された方々のグリーフケアが果たされるのでしょうか? 直葬はもちろん、家族葬をも乗り越える方策も加地先生の対談から生まれると思います。グリーフケア士も75名が誕生したことですし、「日本の葬儀を真の葬送儀礼にする志を抱いて頑張りましょう!」と述べてから、以下の道歌を披露しました。

 

 葬儀とは命続けるかたちだと

   人の道知る師に教へられ 庸軒

 

f:id:shins2m:20210802103937j:plain「今月の目標」を唱和

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最後は、もちろん一同礼!

 

総合朝礼の終了後は、サンレーの本部会議を行います。昨年はなんとかコロナイヤー1年目を黒字で乗り切りましたが、コロナ2年目となる今年は正念場を迎えています。全社員が全集中の呼吸で全員の力を合わせて最後まで走り抜きたいです。梅雨の最中ではありますが、体調に気を配り、熱中症やコロナ変異種の感染にも万全の注意を払いながら、気を引き締めていきたいです。

 

2021年8月2日 一条真也