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一条真也です。
たった一字に深い意味を秘めている文字は、世界でも漢字だけです。そこには、人のこころを豊かにする言霊が宿っています。その意味を知れば、さらに、こころは豊かになるでしょう。今回の「こころの一字」は、「礼」です。

f:id:shins2m:20210605135546j:plain礼を求めて』(三五館)

 

「礼」は儒教の真髄ともいえる思想です。
それは、後世、儒教が「礼教」と称されたことからもわかります。そもそも礼(禮)という字は、「示」(神)と「豊」(酒を入れた器)から成るように、酒器を神に供える宗教的な儀式を意味します。古代には、神のような神秘力のあるものに対する禁忌の観念があったので、きちんと定まった手続きや儀礼が必要とされました。これが、礼の起源であると言われます。

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ところが、他にも「礼」には意味があります。「示」は「心」であり、「豊」はそのままで「ゆたか」だというのです。ということは「礼」とは「心ゆたか」であり、「ハートフル」ということになります。「ハートフル」は流行したわたしの造語ですが、なんと「礼」という意味だったのです! もともと宗教用語であったと言ってもよい「礼」の観念が変質し、拡大していくのは、春秋・戦国時代からです。礼の宗教性は希薄となり、もっぱら人間が社会で生きていくうえで守るべき規範、つまり社会的な儀礼として、礼は重んじられるようになります。

 

 

論語』にも礼への言及は多く、このことからも孔子の時代には、礼は儒家を中心によく学ばれていたことがわかります。そして、もともとの礼である「集団の礼」や「社会的な礼」とともに、徳の一つとして「個人的な礼」も実践されるようになります。孔子の門人たちにとって、礼を修得しなければ教養人として自立したことにはならないとされ、冠婚葬祭などのそれぞれの状況における立ち居ふるまいも重要視されるようになったのです。

f:id:shins2m:20160104113503j:plainサンレーの一同礼! 

 

いずれにしろ、孔子にはじまる儒家は礼の思想にもとづく秩序ある社会の実現をめざしていました。互いに礼をするということが少なくなってくることは、社会学的に考えても大問題であると述べたのは安岡正篤です。人間はなぜ礼をするのか。それには良い答があると述べます。

吾によって汝を礼す。
汝によって吾を礼す。

これは互いがお辞儀をする説明として、最も簡にして要を得た言葉です。自分というものを通じて相手を、人を礼する。その人を通じて自分を礼する。互いに相礼する。つまり、人間たる敬意を表し合うのです。安岡は「本当の人間尊重は礼をすることだ。お互いに礼をする、すべてはそこから始まるのでなければならない。お互いに狎れ、お互いに侮り、お互いに軽んじて、何が人間尊重であるか」と喝破しました。

 

 

「経営の神様」といわれた松下幸之助も、何より礼を重んじました。彼は、世界中すべての国民民族が、言葉は違うがみな同じように礼を言い、挨拶をすることを不思議に思いながらも、それを人間としての自然の姿、人間的行為であるとしました。すなわち礼とは「人の道」であるとしたのです。そもそも無限といってよいほどの生命の中から人間として誕生したこと、そして万物の存在のおかげで自分が生きていることを思うところから、おのずと感謝の気持ち、「礼」の身持ちを持たなければならないと人間は感じたのではないかと松下は推測します。

f:id:shins2m:20210606093608j:plain礼道の「かたち」』(PHP研究所) 

 

ところが、最近になってその人間的行為である「礼」が、なにやら実際には行なわれなくなってきました。挨拶もしなければ、感謝もしない。価値観の多様化のせいでしょうか。しかし、礼は価値観がどんなに変わろうが、人の道、「人間の証明」です。それにもかかわらず、お礼は言いたくない、挨拶はしたくないという者がいます。礼とは、そのような好みの問題ではありません。自分が人間であることを表明するか、猿であるかを表明する、きわめて重要な行為なのです。 

f:id:shins2m:20210606093643j:plain人間尊重の「かたち」』(PHP研究所)

 

ましてや経営や組織で1つの目的に向かって共同作業をするとすれば、当然、その経営、組織の中で互いに礼を尽くさなければなりません。挨拶ができないとか、感謝の意を表わすことができないというのであれば、その社員は猿に等しいと言えます。経営者も社員に対して礼の心を持たなければなりません。自身が範を示さず、社員に礼を求めるばかりでは指導者としての資格はありません。要するに経営者も社員も「人間」であるかぎり、互いに人間的行為、すなわち礼を尽くさなければならないということです。

f:id:shins2m:20210606093533j:plain台湾・台北市の「孔子廟」で 

 

さらに、お客様に対する礼は、人間としての最高の礼を示さなければなりません。お客様の存在によって経営は成り立ち、社員は生活できることを考えれば、経営者も社員もお客様に対して「最高、最善の礼」を尽くすことは当然です。松下幸之助は「生産者は、いい物を安く作るのが人類への礼というものだろう」とまで言っています。松下のすぐ近くで長く仕えたPHP研究所社長の江口克彦氏は、なぜ松下が経営において成功したのかについて、この「礼」を自らも徹底し、社員にも強く求めたことが重要な成功理由の1つであるとしています。

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台湾・台北市の「孔子廟」で 

 

わたしが社長を務める株式会社サンレーにおいても「礼」をすべての基本とし、大ミッションには「人間尊重」を掲げています。もともと冠婚葬祭を業とする会社であるから当然といえば当然ですが、さらに創業者である佐久間進会長が小笠原流礼法の伝統を受け継ぐ「実践礼道・小笠原流」の宗家であり、挨拶・お辞儀・電話の応対・お茶出し・お見送りにいたるまで、社員へのマナー教育は徹底に徹底を重ねています。

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わたしは、「天下布礼」の幟を立てています。かつて織田信長は、武力によって天下を制圧するという「天下布武」の旗を掲げました。しかし、わたしたちは「天下布礼」です。武力で天下を制圧するのではなく、「人間尊重」思想で世の中を良くしたいのです。また、わたしが大学で教壇に立つのも、講演活動を行うのも、本を書くのも、すべては「天下布礼」の活動の一環であると考えています。

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世界孔子協会の孔健会長と

 

太陽の光が万物に降り注ぐごとく、この世のすべての人々を尊重すること、それが「礼」の究極の精神です。天下、つまり社会に広く人間尊重思想を広めることがサンレーの使命です。わたしたちは、この世で最も大切な仕事をさせていただいていると思っています。これからも冠婚葬祭業という「礼業」を通じて、良い人間関係づくりのお手伝いをしていきたいものです。

  

 

考えてみれば、人間のコミュニケーションの中で、礼儀正しさほど、人と交換しやすいものはありません。それを他人に差し出せば、必ず返ってくるのです。そして相手の気持ちを良くするのです。また、相手に自分は重要な人間なのだという気持ちを起こさせます。失礼に扱われることほど人間のプライドをひどく傷つけるものはなく、相手に接するとき礼を失すれば、相手の攻撃心と敵意を引き起こすことになります。逆に、礼儀正しく接すれば、攻撃心や敵意など生まれるはずもありません。礼法とは最強の護身術なのです。なお、「礼」については、『孔子とドラッカー 新装版』(三五館)に詳しく書きました。

 

 

2021年6月6日 一条真也