『52ヘルツのクジラたち』

一条真也です。
3度目の緊急事態宣言が延長され、6月になりました。
125万部の発行部数を誇る「サンデー新聞」の最新号が出ました。同紙に連載中の「ハートフル・ブックス」の第157回分が掲載されています。今回は、『52ヘルツのクジラたち』町田そのこ著(中央公論新社)です。

f:id:shins2m:20210602174933j:plainサンデー新聞」2021年6月5日号

 

今年のゴールデンウィークに読んだ小説です。
2021年本屋大賞を受賞しました。著者は1980年生まれ、福岡県京都郡在住。著書に『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』『ぎょらん』『うつくしが丘の不幸の家』など。本書は、非常に重いテーマを扱っています。それも、児童虐待、ネグレクト、モラハラ、DV、LGBT、介護・・・現代社会の課題となっているさまざまなテーマがいくつも扱われています。「ちょっと詰め込み過ぎでは?」と思えるほどですが、サスペンスフルな物語の中にそれらは無理なく溶け込んでいました。

 

書名にある「52ヘルツのクジラ」とは、他の鯨が聞き取れない高い周波数で鳴く、世界で一頭だけのクジラのことです。たくさんの仲間がいるはずなのに何も届かず、何も届けられません。そのため、世界で一番孤独な存在だと言われているのです。本書は、親から長年にわたって虐待を受け、心に深い傷を負った貴瑚という女性が主人公の長編小説です。貴瑚は、かつて祖母が住んでいた大分の家に引っ越し、そこで、言葉を発することができない少年に出会います。少年もまた、親から虐待されているのでした。

 

この物語には、虐待をはじめ、さまざまな辛い体験のさ中にある人々の「声が届かない悲しみ」「声を聞いてもらえない絶望感」が満ち溢れています。
今も、多くの人々が「叫んでも届かない悩み」「聞いてほしくても言えない悩み」を抱えて、52ヘルツの声を上げながら生きているのです。心に重い石を抱えてひっそりと生きるのは辛いことですが、死なずに生きていれば、その石をどかしてくれ、52ヘルツの声を聞き取ってくれる人が現れる可能性があります。それは、自身も同じ体験をした人です。52ヘルツの声を上げつづけた人こそが、他人の52ヘルツの声をキャッチし、そして、他人の絶望を希望に変えることができるのです。

 

本書では、貴瑚が救った「52」と呼ばれる少年が以前、小倉の馬借に住んでいたことから、貴瑚とその友人の美晴と52は、3人で小倉を訪れます。
小倉駅の周辺のホテルに宿泊しますが、「小倉駅は、駅舎からモノレールの線路が飛び出して真っ直ぐに伸びている変わった作りをしている。その線路に沿うようにして歩き始めた」とあります。そのとき、美晴は、「はじめて来たけどけっこう都会じゃん」「ねえ、52。あんた、こういうところに住んでたの? だったらあんな田舎に移り住んで、不便だったでしょ」と言うのでした。あと、チャチャタウン小倉の観覧車が「幸せのシンボル」として登場するのもサプライズで、その観覧車を眺めながら暮らしているわたしは、嬉しくなりました。

 

 

 2021年6月5日 一条真也