一条真也です。
たった一字に深い意味を秘めている文字は、世界でも漢字だけです。そこには、人のこころを豊かにする言霊が宿っています。その意味を知れば、さらに、こころは豊かになるでしょう。これから、「こころの一字」の数々をお届けします。最初にご紹介する文字は、「仁」です。

 

ハートフル・ソサエティ

ハートフル・ソサエティ

 

 

 現代は、言うまでもなく高度情報社会です。世界最高の経営学ピーター・ドラッカーは、早くから社会の「情報化」を唱え、後のIT革命を予言していました。ITとは、インフォメーション・テクノロジーの略です。ITで重要なのは、I(情報)であって、T(技術)ではありません。その情報にしても、技術、つまりコンピューターから出てくるものは、過去のものにすぎません。ドラッカーは、IT革命の本当の主役はまだ現れていないと言いました。本当の主役、本当の情報とは何か。情報の「情」とは、心の働きにほかなりません。本来の情報とは、心の働きを相手に伝えることなのです。わたしは『ハートフル・ソサエティ』(三五館)で述べたように、次なる社会とは、心の社会であると考えます。それは、ポスト情報社会などではなく、新しい、かつ真の情報社会なのです。

 

 

そして、情報の「情」、心の働きを代表するものこそ、「思いやり」であると思います。「思いやり」こそは、人間として生きるうえで一番大切なものだと多くの人々が語っています。たとえばダライ・ラマ14世は「消えることのない幸せと喜びは、すべて思いやりから生まれます」と述べ、あのマザー・テレサは「私にとって、神と思いやりはひとつであり、同じものです。思いやりは分け与えるよろこびです」と語りました。仏教の「慈悲」、キリスト教の「隣人愛」まで含めて、すべての人類を幸福にするための思想における最大公約数とは、おそらく「思いやり」という一語に集約されるでしょう。

 

論語 (岩波文庫)

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そして、儒教において、それは「仁」と表現されました。よく知られているように、仁は儒教における最高の徳目です。孔子孟子は、リーダーにとって最も必要なものは仁であると繰り返し強調しました。 孔子は『論語』の中でさまざまな仁を唱えましたが、現在における仁の一般的な解釈は、次のようなものです。まず、『論語』に「樊遅、仁を問う。子曰く、人を愛す」とあるように、「仁とは何か」という弟子の質問に対して、孔子は「人を愛することだ」と答えています。

 

世界一わかりやすい「論語」の授業 (PHP文庫)
 

 

また、「生涯それだけを実行すればよい、一言があるだろうか」と弟子が尋ねたとき、孔子は「其れ恕か。己の欲せざる所は人に施すこと勿れ」と答えました。「恕」とは、まさに「思いやり」のこと。あるいは、曾参が「夫子の道は忠恕のみ」と述べた「忠恕」もこれと同じです。恕や忠恕は、仁に通じるのです。このように、孔子が唱えた仁の重要な側面として、愛とか思いやり、あるいは真心からの思いやりと表現できるものがあり、これは愛の仁=仁愛などと呼ばれています。一方、勇気を持つことや一身を犠牲にしてでも物事が成就することを求める仁もあります。自己を規制して規範を守る仁です。これは徳の仁=仁徳などと呼ばれています。つまり、孔子の唱えた仁の思想とは、主に「仁愛」と「仁徳」であったのです。

 

新装版 論語の活学 (安岡正篤人間学講話)

新装版 論語の活学 (安岡正篤人間学講話)

  • 作者:安岡正篤
  • 発売日: 2015/04/23
  • メディア: 単行本
 

 

そして、儒教とは「仁の道」「仁の教」であると言うことができます。仁は天地の・自然の生成化育の人間に現われた徳のことです。しかし、仁という言葉を誤解している人は多いのです。かつて医師会の某会長が「世の中が変わって、医は仁術などという時代ではない」と語りましたが、陽明学者の安岡正篤などは「全くその意味が解っていない」と嘆きました。「医は仁術」というのは、患者を憐れんで無料で診療してやるということではなく、患者の命を救う術ということです。いくら無料診療をしてやっても、患者を殺してしまったのでは何にもなりません。これでは「不仁」と言われても仕方ないのです。



また、「仁政」という言葉があります。仁政とは、人を生かす政=まつりごとです。景気を良くしたり、所得を多くしたり、あるいは公共の施設を充実させたり、国民が限りなく生成発展し、進歩向上してゆくように導く政治、これを仁政と呼ぶのです。江戸時代中期の傑僧として知られる白隠禅師は、甲州の武田家を絶賛していました。白隠禅師によると、甲州が強固になったのは「武力」ではなく「仁政」にありました。「仁」という字は人偏と二から成っています。これは、人は一人だけでは生きてゆけず、もう一人の他人があってはじめて人の世界は成り立つという意味です。例えば、親子、兄弟、師弟、友人同士など、すべては人と人との相互依存関係です。同様に、企業にも経営者と従業員の関係があります。また、取引先や株主といったステークホルダーとの関係がある。国も同じで、一国だけでなく、他の国があってはじめて世界が成り立つのです。



何事も1つだけでは成り立たず、2つあってはじめて成り立つのです。その2つがうまく調和し、共栄共存したときに生まれるものこそ「仁」です。よって仁政とは、為政者と民の関係が良好であることです。自らの国司という立場と武将、足軽、民との関係をきっちり作り上げていった武田信玄の根底には、仁がありました。信玄は、仁という言葉をいつも口にしていたといいます。白隠禅師はまた「乱りに他国へ兵を動かすのは、強盗武士の常にするところである」と述べています。この基準によれば、他社のシマを平気で荒らして強引な営業戦略をとる企業なども強盗武士と言えるでしょう。 



慈悲や愛にも通じる仁は、優しく、母のような徳です。高潔な義と、厳格な正義を、特に男性的であるとするならば、慈愛は女性的な性質である優しさと諭す力を備えています。リーダーというものは、仁を重んじながらも、公正さと義で物事を計ることも大切です。むやみに慈愛に心を奪われてしまってはなりません。伊達政宗は、そのことをよく引用される警句をもって「義に過ぐれば固くなる。仁に過ぐれば弱くなる」と的確に表現しています。
なお、「仁」については、『孔子とドラッカー 新装版』(三五館)に詳しく書きました。

 

 

2021年5月25日 一条真也