心のエッセンシャルワーク

一条真也です。
18日の小倉は、梅雨のしとしと雨。この日の早朝から、松柏園ホテルの神殿で恒例の月次祭が行われました。

f:id:shins2m:20210518080733j:plain月次祭のようす

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コロナ完全対応で執り行われました

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玉串を受け取りました

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神事の終わりは一同礼!

皇産霊神社の瀬津神職が神事を執り行われましたが、祭主であるサンレーグループ佐久間進会長に続いて、わたしが玉串奉奠を行いました。一同、会社の発展と社員の健康・幸福、それに新型コロナウイルスの感染拡大が終息することを祈念しました。わたしと一緒に参加者たちも二礼二拍手一礼しました。儀式によって「かたち」を合わせると、「こころ」が1つになる気がします。

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天道塾の開始前のようす

f:id:shins2m:20210518083546j:plain最初は、もちろん一同礼!

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佐久間会長の訓話

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養生について語りました

 

神事の後は、恒例の「天道塾」です。最初に佐久間会長が登壇し、ポストコロナ時代における温浴事業の可能性、健康に主眼を置いた茶道の普及、そして生命を正しく生かす行為としての「養生」について大いに語りました。養生といえば、『養生訓』の貝原益軒が有名ですが、益軒は豊の国、すなわち福岡県の人です。会長は、自身と益軒の縁についても語りました。また、小倉出身の作家である松本清張との縁にも言及し、清張がその晩年に情熱を傾けた邪馬台国研究の話などをしました。参加者も先月は体調不良で休んだ会長の元気な姿を見て、安心した様子でした。

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沖縄の康弘社長が那覇から発表

 

続いて、サンレー沖縄の佐久間康弘社長が那覇からオンラインで発表。『未来の年表』の著者である河合雅司氏の説を紹介し、新型コロナウイルスの感染防止のための接触の回避で「恋愛」という行為が衰退し、「結婚」が減少し、結果として「少子化」が加速していくなど、ただでさえ人口減に悩む現代日本にとって深刻な問題が語られました。また、社会の無縁化や儀式の簡略化などはコロナ以前からの現象であり、「すべてをコロナのせいにはできない」ことが強調されました。悲観的なデータを前に、「何とかしなければ」という想いが強くなりました。

f:id:shins2m:20210518094526j:plain新緑色の小倉織マスクで登壇

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小倉織マスクを外しました

最後は、わたしが登壇して講話をしました。今日は五月の新緑のネクタイに合わせた色の小倉織マスク姿です。わたしはまず、「福岡県も緊急事態宣言に入っていますが、コロナの猛威は衰えを見せません。東京でタクシーの運転手さんに『東京五輪は開催されますかね?』と訊くと、『すでに中止は決まってるみたいですよ。タクシー仲間はみんなそう言っています』とのことでした。一方、互助会の経営者仲間に同じ質問をすると、『そりゃあ、開催されるでしょう』と言う人が多い。彼らは政治家と親しい人も多く、どちらが本当なのか悩みます。ちなみに、わたしは東京五輪は中止すべきだと訴えています」と述べました。

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『ブルシット・ジョブ』を紹介しました 

 

続けて、アメリカの文化人類学者デヴィッド・グレーバーの著書『ブルシット・ジョブ』の話をしました。424ページの大冊ですが、仕事の「価値」を再考させてくれる名著です。帯の背には「生産する経済からケアする経済へ」と書かれていますが、まさにわたしの考えていることを的確に言い表していると思いました。帯には、「なぜ、やりがいを感じずに働くひとが多いのか。なぜ、ムダで無意味な仕事が増えているのか。なぜ、社会のためになる職業ほど給与が低いのか」「労働とは『生産』というより『ケア』だ。そして『経済』とは私たちが互いにケアし、生存を支えあうための方法だ。グレーバーが遺した願いを胸に、仕事で傷つき傷つけることのない経済につくり直そう」と書かれています。ブルシット・ジョブとは、被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用の形態です。とはいえ、その雇用条件の一環として、本人は、そうではないと取り繕わなければならないように感じています。

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ブルシット・ジョブとは何か?

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熱心に聴く人びと

 

「ブルシット・ジョブの主要5類型」は、以下の通り。
1.取り巻き(flunkies)
だれかを偉そうにみせたり、偉そうな気分を味わわせたりするためだけに存在している仕事
2.脅し屋(goons)
雇用主のために他人を脅したり欺いたりする要素をもち、そのことに意味が感じられない仕事
3.尻ぬぐい(duct papers)
組織のなかの存在してはならない欠陥を取り繕うためだけに存在している仕事
4.書類穴埋め人(box tickers)
組織が実際にはやっていないことを、やっていると主張するために存在している仕事
5.タスクマスター(taskmasters)
他人に仕事を割り当てるためだけに存在し、ブルシット・ジョブをつくりだす仕事

f:id:shins2m:20210518094639j:plain他者に寄与する仕事とは? 

 

グレーバーは、「わたしたちの社会では、はっきりと他者に寄与する仕事であればあるほど、対価はより少なくなるという原則が存在するようである。くり返せば、客観的な尺度をみつけることは困難である。しかし、なんとなく感じとるためのかんたんな方法はある。ある職種の人間すべてがすっかり消えてしまったらいったいどうなるだろうか、と、問うてみることである。かりに看護師やゴミ収集人、あるいは整備工であれば、もしも、かれらが煙のごとく消えてしまったなら、だれがなんといおうが、その結果はただちに壊滅的なものとしてあらわれるであろう。教師や港湾労働者のいない世の中はただちにトラブルだらけになるだろうし、SF作家やスカ・ミュージシャンのいない世界がつまらないものになるのはあきらかだ」と述べています。非常に説得力がありますね。

f:id:shins2m:20210518094809j:plain自分の仕事は社会にとって必要か? 

 

また、グレーバーは「ただ、プライベート・エクイティ〔特定の企業の株を取得し、その企業の経営に深く関与して、人員削減などによって企業価値を高めた後、売却をすることで収益を得る〕CEOやロビイスト、広報調査員、保険数理士、テレマーケター、裁判所の廷吏、リーガル・コンサルタントが同じように消え去ったとして、わたしたちの人間性がどのような影響をこうむるのかは、わたしにはあまりはっきりしない(いちじるしく改善するのではないかと疑っている人間は数多い)。にもかかわらず、もてはやされる一握りの例外(医師)を除いて、その原則はおどろくほど当てはまっている」と述べるのでした。

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世の中に意味のある影響を与える仕事とは? 

 

看護師、バス運転手、歯科医、道路清掃員、農家、音楽教師、修理工、庭師、消防士、舞台美術、配管工、ジャーナリスト、保安検査員、ミュージシャン、仕立て屋、子どもの登下校の交通指導員といった人々のうち、「あなたの仕事は世の中に意味のある影響を与えていますか」という質問に対し「いいえ」にチェックする者は、およそゼロです。グレーバー自身が調査したところでは、ショップ店員、レストラン従業員、下級サービス提供者もまた、自身がブルシット・ジョブをしていると考える者はまれでした。サービス労働者の多くは自分たちの仕事を嫌悪しているそうですが、そういった人々ですら、自分のしていることは世の中に意味あるなにがしかの影響を与えていると自覚している」と述べています。

f:id:shins2m:20210518094628j:plainケアリング労働について
 

グレーバーは、「労働とは、槌で叩いたり、掘削したり、滑車を巻き上げたり、刈り取ったりする以上に、ひとの世話をする、ひとの欲求や必要に配慮する、上司の望むことや考えていることを説明する、確認する、予想することである。植物、動物、機械などなどを配慮し、監視し、保守する作業についてはいうまでもない」と述べます。これらの仕事を「ケアリング労働」といいます。ケアリング労働は、一般的に他者にむけられた労働とみなされており、そこにはつねにある種の解釈労働や共感、理解がふくまれています。それは仕事などではなく、たんなる生活、まっとうな生活にすぎないということも、ある程度は可能です。

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「サービス」から「ケア」へ 

 

人間は元来、共感する存在であり他者とコミュニケーションし合うものであるがゆえに、わたしたちは、たえずたがいの立場を想像してそこに身を置き、他者がなにを考え、なにを感じているか、理解しようと努めなければならなりません。たいてい、こうしたことは、少なくともいくぶんかは他者に対するケアをふくんでいます。ところが、共感や想像的同一化が総じて一方の側に偏しているようなとき、それは多分に仕事となります。トイレの清掃を例に挙げると、トイレというものは清掃を必要としています。だとすれば、その仕事にあたる人は、その仕事が他者に利する行為だと自覚することによってもたらされる自尊心をもっています。他方で、他人から尊敬と敬意の払われる仕事をする人たちがいます。その仕事に就いた人間は、高い収入を得て、大きな利益を受け取っています。しかし内心では、みずからの職業や仕事がまったく無益なものだと自覚しながら労働しているのかもしれません。

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エッセンシャルワークについて

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熱心に聴く人びと

 

「ブルシット・ジョブ」の反対に「エッセンシャルワーク」という言葉があります。医療・介護などに従事する仕事を指しますが、わたしは冠婚葬祭業も含まれると考えています。しかも、冠婚葬祭業は他者に与える精神的満足も、自らが得る精神的満足も大きいものであり、いわば「ハートフル・エッセンシャル・ワーク」とでも呼ぶべきものだと思います。厚生労働省が、今年度から「心のサポーター(ここサポ)」の養成を開始します。これは、うつ病などの精神疾患や心の不調に悩む人を支える存在で、精神疾患への偏見や差別を解消し、地域で安心して暮らせる社会の実現につなげる狙いです。近年は業務上のストレスなどで、うつ病と診断される人も増えています。

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「心のサポーター」と「グリーフケア士」
 

新型コロナウイルスの感染拡大に伴う生活苦や孤独などから、心の不調に陥る人が増える懸念も出ている。わが社では、この「心のサポーター」も積極的に取得していきたいと思います。地域社会における心のケアを目指すということなら、人と人とをつなぐ互助会との相性も良いように思います。それにしても、いよいよ心のケアの時代が到来したと実感します。わたしが座長を務める全互協のグリーフケア・プロジェクトチームでは、いよいよ6月から「グリーフケア資格認定制度」を開始しますが、全国の冠婚葬祭互助会の社員を中心に「グリーフケア士」の養成を目指します。これは、死別をはじめとしたさまざまな悲嘆に寄り添い、うつ病や心の不調を予防するプロフェッショナルであり、同じく今年度から始動する「心のサポーター」との関係性は高いと思います。

f:id:shins2m:20210518095815j:plain心のエッセンシャルワークへ!
 

全国で「ここサポ」が100万人も養成するなら、各地の互助会との連動も視野に入れるべきでしょう。わたしとしては、「グリーフケア士」が、プロの「ここサポ」と位置付けられるようになればと願っています。そして、グリーフケア士を含む冠婚葬祭業こそは心のエッセンシャルワーク、そう、「ハートフル・エッセンシャルワーク」と呼ばれる日も近いでしょう。そして、それは「ケア・ワーク」そのものでもあるのです。

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最後は、もちろん一同礼! 

 

2021年5月18日 一条真也