一条真也です。
大型連休中ですが、自宅の書斎で次回作『心ゆたかな読書』のゲラ校正に没頭しています。5月4日は「みどりの日」ですね。わたしの妻の名前は「緑」というのですが、もちろん全国の緑サンのために国が休日を定めたわけではありません。祝日法の第2条によれば、「自然にしたしむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ」ことを趣旨としています。ならば、「みどりの日」には庭に出て、新緑の輝きを満喫したいと思います。
わが家の庭 で
わたしは、もともと庭園ほど贅沢なものはないと思っています。いくら立派なハードであろうが、庭園には絶対かないません。庭ほど、人の心を豊かにするものはないのです。西洋における庭園は、『旧約聖書』に出てくるエデンの園を再現する試みでした。人気のイングリッシュガーデンでも幾何学的なフランス式庭園でもみんなそうです。
そのエデンの園をもっとも忠実に再現しようとしたのがイスラムの庭園文化でした。『コーラン』において、アラーの神はまさしく、楽園を庭園として規定しました。そしてイスラムの人々は、来世にそれを熱望するだけでなく、現世においてもそのイメージを実現しなければならないと考えたのです。そのあたりは、拙著『リゾートの思想』(河出書房新社)や『リゾートの博物誌』(日本コンサルタントグループ)に詳しく書きました。
中国では道教の思想による神仙庭園が発達し、日本では仏教の庭園文化が花開きました。寺院の境内に極楽浄土の荘厳を試み、寺院の環境から生じる雰囲気によって信仰心を強めようとしたのです。ここに寺院庭園の1つの形式として浄土式庭園が生まれます。庭園とは、天国や極楽、つまりハートピアの雛形だったのです。
オリュンポスの神々が見守る
馬と獅子に陽光が降り注ぐ
池にも緑が・・・
以前、わたしはリゾート・プランナーをやっていたことがあります。この世に楽園をつくろうと思って、数多くのリゾート計画に携わりました。その多くはバブル崩壊などで立ち消えになりましたが、現代人の病んだ心を癒す幸福の空間としてのリゾートは必要だと今でも思います。わたしにとっての楽園とは、わが家の庭なのかもしれません。
昨秋、猪に荒らされた直後の庭
その後、なんとか整地しました
わたしは、毎日をバタバタと忙しく過ごしています。なかなか、庭の手入れを手伝う時間がありません。せめて、「みどりの日」ぐらいは、罪滅ぼしに芝生の草むしりでもしたいと毎年、庭に出ていました。しかし、昨年の11月に猪にわが家の芝生は荒らされてしまいました。結果的には、それによって『「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)を書く機会を得たわけですが、やはり今は亡き愛犬ハリーとの思い出が詰まった芝生がなつかしいです。来年春には新たに芝生を張り替えたいと思っています。来年の「みどりの日」には芝刈りがしたいです!
ハリーとの思い出が詰まった庭
2021年5月4日 一条真也拝