「エヴァンゲリオン」とグリーフケア

一条真也です。
大型連休中の5月3日、産経新聞社の WEB「ソナエ」に連載している「一条真也の供養論」の第34回目がアップされます。今回のタイトルは、「『エヴァンゲリオン』とグリーフケア」です。

f:id:shins2m:20210428165712j:plain「『エヴァンゲリオン』とグリーフケア」 

 

冒頭、「(注)作品のストーリーに触れている部分があります」との注意書きの後、「最近、不思議なことがある」と続きます。不思議なことというのは、何の映画を観ても、テーマがグリーフケアであることに気づくのです。この現象の理由としては3つの可能性が考えられます。1つは、わたしの思い込み。2つめは、神話をはじめ、小説にしろ、マンガにしろ、映画にしろ、物語というのは基本的にグリーフケアの構造を持っているということ。3つめは、実際にグリーフケアをテーマとした作品が増えているということ。わたしとしては、3つとも当たっているような気がしています。

 

少し前に話題のアニメ映画「シン・エヴァンゲリオン劇場版」を観ました。「エヴァンゲリオン」は、1990年代に社会現象を巻き起こしたアニメシリーズです。2007年からは「新劇場版」シリーズとして再始動しており、「シン・エヴァンゲリオン劇場版」は同4部作の最終作となるアニメーションです。汎用型ヒト型決戦兵器 人造人間エヴァンゲリオンに搭乗した碇シンジ綾波レイ式波・アスカ・ラングレー真希波・マリ・イラストリアスたちが謎の敵「使徒」と戦う姿が描かれます。総監督は、「シン・ゴジラ」なども手掛けてきた庵野秀明です。

 

四半世紀にもわたる壮大な物語は、「シン・エヴァンゲリオン劇場版」で幕を閉じました。鑑賞後、わたしは「エヴァ」とはまさにグリーフケアの物語であることを知りました。碇ゲンドウは最愛の妻であるユイを失います。ユイとの再会を願う彼は、とんでもない方法でその実現を計画し、その企みは息子であるシンジを巻き込みます。この映画において、シンジはある愛すべき存在を失います。ゲンドウは、最愛の人を失うという自分が味わったこの世で最大の苦しみを息子にも味わわせようとしたのでした。最後に、ゲンドウとシンジが対峙したとき、ゲンドウはシンジに「おまえも、死者の想いを受け止められるようになったとは大人になったな」という言葉を口にします。

 

また、「シン・エヴァンゲリオン劇場版」には、何度も「儀式」という言葉が登場しました。シンジの上司であるミサトも口にしましたが、なんといってもゲンドウの口から何度も「儀式」という単語が語られました。そう、「エヴァ」とは儀式の物語でもあるのです。何の儀式かというと、死者の葬送儀礼、すなわち葬儀です。最期のセレモニーである葬儀は人類の存続に関わってきました。故人の魂を送ることはもちろんですが、残された人々の魂にもエネルギーを与えます。もし葬儀を正しく行わなければ、配偶者や子供、家族の死によって遺族の心には大きな穴が開き、おそらくは自死の連鎖が起きたことでしょう。葬儀という営みをやめれば、人が人でなくなります。葬儀というカタチは人類の滅亡を防ぐ知恵なのです。


2021年5月3日 一条真也