『隣人の時代』  

一条真也です。
52冊目の「一条真也による一条本」は、『隣人の時代』(三五館)です。「有縁社会のつくり方」というサブタイトルがついています。刊行日は、2011年3月18日。あの「東日本大震災」の発生から1週間目の日でした。


隣人の時代』(2011年3月18日刊行)

 

表紙カバーには、朝の港町の写真が使われています。ブログ『無縁社会』で紹介した本は、夕暮れの大都会の写真を表紙にしています。しかし本書は、朝日を浴びる地方都市の写真を表紙に使いました。日本人なら、誰でもこの写真を見て、懐かしさと温かさを感じると思います。この街は北海道の小樽だそうです。前方に海が見えます。しかし、本書が刊行されたとき、海といえば、津波を連想したのが哀しいです。「津波で壊滅した岩手県陸前高田市宮城県南三陸町や荒浜の街並みは、どんな光景だったのか。そこには、どんな人たちが生活していたのか」と思うと、とても胸が痛みました。 

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本書の帯

 

帯には、「なんだ、答えはすぐそばにあった!」と大書され、「日本一“隣人祭り”を開催する 冠婚葬祭互助会社長が提案する解決策」とのコピーが記されています。「すぐそば」というのは、すぐ近くの隣人という意味もあります。また、「お世辞・お節介・お手伝い」といった日常の人間関係の智恵も示しています。

 

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本書の帯の裏 

 

帯の裏には、「わたしたちは『無縁社会』にどう向き合えばよいのか。さらにいうなら、どうすれば『無縁社会』を乗り越えられるのか。わたしは、その最大の方策の1つは、『隣人祭り』であると思います。『隣人祭り』とは、地域の隣人たちが食べ物や飲み物を持ち寄って集い、食事をしながら語り合うことです。都会に暮らす隣人ったいが年に数回、顔を合わせます。だれもが気軽に開催し参加できる活動なのです」と書かれています。

 

本書の「目次」は、以下のようになっています。
はじめに
――「無縁社会」の先にあるもの

人間にとっての「幸福」の正体
時代のキーワード「無縁化」
冠婚葬祭互助会の誕生
 ――50年前、何があったのか?
セレモニーホールの登場
 ――仏教者から葬儀の主導権を奪った?
互助会と隣人祭り
「隣人の時代」がはじまる
第1章 
「となりびと」の復権

無縁社会の波紋
フランスの隣人祭りはなぜ成功したのか?
互助会が「隣人祭り」を日本流にアレンジ
「こころ」と「こころ」がつながるとき
 ――タイガーマスク運動と隣人サーカス祭り
心ない言葉――ボランティアと「株式会社」
冠婚葬祭業界のインフラ整備
「いま」「ここに」居合わせる奇跡
さあ、隣人の出番!
「コミュニティ」を定義する
神社の統合と、コミュニティの解体
日本人にインプットされたデータ
祭りの基本構造
「隣人」と「祭り」をむすぶ
イノベーションされた都市のマツリ
 ――受け継がれるDNA
祈りと感謝のかたち
 ――人間は一人では生きていけない
第2章 
わたしを憶えておいてください
5人の女性の物語――『赤い鯨と白い蛇』
「自分のことを忘れないでくれ、そう言われたの」
死者がもう一度死ぬとき
「となりびと」は「おくりびと
 ――「秋深き隣は何をする人ぞ」
靖国と「死者の遇し方」
死者の霊が帰る場所
全人類のお墓
なぜすべての墓は滅びていくのか?
隣人祭り」と「隣人祀り」
あなたのお葬式をイメージしてください
迫りくる「単身急増社会」
単身世帯を包みこむコミュニティとは何か
ハマちゃんとスーさんの「無縁」
寅さんの世界の「人間距離」
網野善彦の「無縁」論
ユートピアとしての「無縁」
第3章 
生きることは、つながること
「今どき社員旅行」のワケ
サラリーマンが会社を辞めたくなる理由
 ――人間関係は難しい
「相互扶助」は人間の本能である
コマドリの巣の中で
「結」と「講」の遺産
 ――日本のボランティアの源流
ひきこもり群は増殖する
迷惑とは何か?
葬儀と隣人祭りの共通点
さとしわかるか
SFの世界を生きる
史上もっとも感動的な著者と読者の交流
生きることは、つながること
隣人関係における心温まるエピソード
第4章 
「となりびと」と仲良くなる方法
大きな礼と、小さな礼
絶対に消えず、もっとも普遍性のある「知識」  
道徳+芸術=礼儀作法
負の状況下における礼儀作法の効用
最強の護身術
わたしが愛用する魔法
世間様」というコミュニティ
江戸っ子のよい癖
大切な、世辞の心得
言葉のパワーの使い方
あなたの隣人とはだれか?
隣人愛の実践者
 ――社会運動家賀川豊彦
忘れられた巨人
赤ん坊たちの葬式――もらい子殺し
マザー・テレサの「死を待つ人々の家」
大やけどを負った少女の最期
太陽はよく光る!
IT革命の本当の主役 
 ――ドラッカーの予言
まずはじめに感謝してしまえ
「夢の団地」の孤独な死
孤独死ゼロ」を合言葉に
死に方は生き方
当たり前の再発見
孤独死予備軍の「ないないづくし」
隣人祭りを開催しよう!
 ――きっかけは「お祝い」
あなたが生まれてきたことは正しい
 ――誕生日の意味
世界最小の文芸作品
孔子孟子と、お節介
第5章 
有縁社会のつくり方
「独居老人」のと「一人親」の結合
 ――難問解決の方程式
「となりびと」が地域の子を育てる
忘れられない事件
「おむすび」のお年玉
あんたもわしもおんなじいのち
友人が多いほど風邪を引きにくい
 ――医学的見地から「格差社会」を検証する
人々が幸せに暮らすためのポイント
「お互いさま」の社会
ユイ・モヤイ・テツダイ
ナナメの社会関係
新しい互助行為の提案
ソーシャル・ネットワークの可能性
「冠婚葬祭とはひと言でいって、何ですか?」
「霊能力」から「礼能力」へ
「となりびとの光」を観る
沖縄力――いちゃりばちょーでい
おわりに
――隣人と祭りを!
「おもな参考文献」

f:id:shins2m:20210413173809j:plain有縁社会再生三部作

 

本書が刊行された2010年とは、いろいろな意味で、日本社会の変容が指摘された年でした。宗教学者島田裕巳氏が『葬式は、要らない』を書き、NHKが「無縁社会」キャンペーンを展開したのも2010年です。この流れに強い危機感を抱いたわたしは、『葬式は必要!』(双葉新書)、『『ご先祖さまとのつきあい方』(双葉新書)、そして本書を立て続けに書きました。「有縁社会再生三部作」と呼んでいます。そう、本書はもともと「無縁社会」を乗り越え、「有縁社会」を再生するために書かれました。しかし、東日本大震災の直後に刊行されたことは、とてつもなく大きな意味があったと思います。刊行時点においても死者や行方不明者の数が増える一方であり、まったく予断を許さない状況でした。でも、わたしは「この大災害によって、日本に『隣人の時代』が呼び込まれるかもしれない」とも思いました。1995年の阪神淡路大震災のときに、日本に本格的なボランティアが根づきました。つまり、あのときが日本における「隣人の時代」の夜明けだったわけです。東日本大震災の発生で、また多くの方々が隣人の助けを必要としました。NHKが言う「無縁社会」や朝日新聞が言う「孤族の国」では、困っている人を救えません。各地で、人々が隣人愛を発揮しなければ、日本は存続していけなかったのです。



実際、東日本大震災の発生から、多くの人々が隣人愛を発揮しました。ブログ「人と人とのつながり」で紹介した「豪雪人情」のような出来事が各地で相次いでいるのです。もちろん被災地で大変な状況に巻き込まれた人たちの悲惨なニュースも入ってきますが、一方では救援に尽力する人たちの様子も伝わってきています。東北の避難所では、ボランティアの人々がおにぎりを握っています。地震発生当日の東京では、都内の仕事場から帰る足を奪われた人たちに暖を取ってもらうために、営業時間が過ぎても店を開放している飲食店がありました。また、道往く人を励ますために、売れ残ったお菓子類を無料で配った和菓子屋さんもありました。関東で停電が実施されたとき、「自分たちも節電に努めよう」というチェーン・メールが日本中を回りました。



日本の各地で、誰かを助けようとして必死になっている人々がいたのです。いわば、多くの人々が隣人愛を発揮しているのです。そして、隣人愛の発揮は国内だけではありませんでした。2011年2月の大地震で犠牲者多数を出したニュージーランドのキー首相は東日本大震災の発生翌日、日本の要請を受けて、総勢54人の災害救助隊を2陣に分けて日本へ派遣すると発表しました。さらに、東日本大震災は各国でも話題になりました。Twitterでは、海外から「#PrayforJapan(日本のために祈ろう)」というハッシュタグで被災者の無事を祈るツイートが世界中から寄せられました。そして、100を超える国々が被災国・日本の支援に名乗りをあげました。

 

人間の由来(上) (講談社学術文庫)

人間の由来(上) (講談社学術文庫)

 

 

なぜ、世界中の人々は隣人愛を発揮するのでしょうか。その答えは簡単です。それは、人類の本能だからです。「隣人愛」は「相互扶助」につながります。「助け合い」ということです。わが社は冠婚葬祭互助会ですが、互助会の「互助」とは「相互扶助」の略ですよく、「人」という字は互いが支えあってできていると言われます。互いが支え合い、助け合うことは、じつは人類の本能なのです。

 

人間の由来(下) (講談社学術文庫)

人間の由来(下) (講談社学術文庫)

 

 

チャールズ・ダーウインは1859年に『種の起源』を発表して有名な自然選択理論を唱えましたが、そこでは人類の問題はほとんど扱っていませんでした。進化論が広く知れわたった12年後の1871年、人間の進化を真正面から論じた『人間の由来』を発表します。この本でダーウインは、道徳感情の萌芽が動物にも見られること、しかもそのような利他性が社会性の高い生物でよく発達していることから、人間の道徳感情も祖先が高度に発達した社会を形成して暮らしていたことに由来するとしたのです。そのような環境下では、お互いに助け合うほうが適応的であり、相互の利他性を好むような感情、すなわち道徳感情が進化してきたのだというわけです。

 

〈新装〉増補修訂版 相互扶助論

〈新装〉増補修訂版 相互扶助論

 

 

このダーウインの道徳起源論をさらに進めて人間社会を考察したのが、ピョートル・クロポトキンです。クロポトキンといえば、一般にはアナキストの革命家として知られています。しかし、ロシアでの革命家としての活動は1880年半ばで終わっています。その後、イギリスに亡命して当地で執筆し、1902年に発表したのが『相互扶助論』です。ダーウインの進化論の影響を強く受けながらも、それの「適者生存の原則」や「不断の闘争と生存競争」をクロポトキンが批判し、生命が「進化」する条件は「相互扶助」にあることを論証した本です。

 

この本は、トーマス・ハクスレーの随筆に刺激を受けて書かれたそうです。ハクスレーは、自然は利己的な生物同士の非情な闘争の舞台であると論じていました。この理論は、マルサスホッブスマキアヴェリ、そして聖アウグスティヌスからギリシャソフィスト哲学者にまでさかのぼる古い伝統的な考え方の流れをくみます。その考え方とは、文化によって飼い慣らされなければ、人間の本性は基本的に利己的で個人主義的であるという見解です。それに対して、クロポトキンは、プラトンやルソーらの思想の流れに沿う主張を展開しました。つまり、人間は高潔で博愛の精神を持ってこの世に生まれ落ちるが、社会によって堕落させられるという考え方です。平たく言えば、ハクスレーは「性悪説」、クロポトキンは「性善説」ということになります。

 

 

『相互扶助論』の序文には、ゲーテのエピソードが出てきます。博物学的天才として知られたゲーテは、相互扶助が進化の要素としてつとに重要なものであることを認めていました。1827年のことですが、ある日、『ゲーテとの対話』の著者として知られるエッカーマンが、ゲーテを訪ねました。そして、エッカーマンが飼っていた2羽のミソサザイのヒナが逃げ出して、翌日、コマドリの巣の中でそのヒナと一緒に養われていたという話をしました。ゲーテはこの事実に非常に感激して、彼の「神の愛はいたるところに行き渡っている」という汎神論的思想がそれによって確証されたものと思いました。「もし縁もゆかりもない他者をこうして養うということが、自然界のどこにでも行なわれていて、その一般法則だということになれば、今まで解くことのできなかった多くの謎はたちどころに解けてしまう」とゲーテは言いました。さらに翌日もそのことを語りながら、必ず「無尽蔵の宝庫が得られる」と言って、動物学者だったエッカーマンに熱心にこの問題についての研究をすすめたといいます。

 

 

クロポトキンによれば、きわめて長い進化の流れの中で、動物と人類の社会には互いに助け合うという本能が発達してきました。近所に火事があったとき、私たちが手桶に水を汲んでその家に駆けつけるのは、隣人しかも往々まったく見も知らない人に対する愛からではありません。愛よりは漠然としていますが、しかしはるかに広い、相互扶助の本能が私たちを動かすというのです。クロポトキンは、ハクスレーが強調する「生存競争」の概念は、人間社会はもちろんのこと、自然界においても自分の観察とは一致しないと述べています。生きることは血生臭い乱闘ではないし、ハクスレーが彼の随筆に引用したホッブスの言葉のように「万人の万人に対する戦い」でもなく、競争よりもむしろ協力によって特徴づけられている。現に、最も繁栄している動物は、最も協力的な動物であるように思われる。もし各個体が他者と戦うことによって進化していくというなら、相互利益が得られるような形にデザインされることによっても進化していくはずである。以上のように、クロポトキンは考えました。

 

 

クロポトキンは、利己性は動物の伝統であり、道徳は文明社会に住む人間の伝統であるという説を受け入れようとはしませんでした。彼は、協力こそが太古からの動物の伝統であり、人間もまた他の動物と同様にその伝統を受け継いでいるのだと考えたのです。「オウムは他の鳥たちよりも優秀である。なぜなら、彼らは他の鳥よりも社交的であるからだ。それはつまり、より知的であることを意味するのである」とクロポトキンは述べています。また人間社会においても、原始的部族も文明人に負けず劣らず協力しあいます。農村の共同牧草地から中世のギルドにいたるまで、人々が助けあえば助けあうほど、共同体は繁栄してきたのだと、クロポトキンは論じます。

 

ニコマコス倫理学〈下〉 (岩波文庫 青 604-2)

ニコマコス倫理学〈下〉 (岩波文庫 青 604-2)

 

 

古代ギリシャの哲学者アリストテレスは「人間は社会的動物である」と言いました。近年の生物学的な証拠に照らし合わせてみると、この言葉はまったく正しかったことがわかります。結局、人間はどこまでも社会を必要とするのです。人間にとっての「相互扶助」とは生物的本能であるとともに、社会的本能でもあるのです。人間がお互いに助け合うこと。困っている人がいたら救ってあげること。これは、人間にとって、ごく当たり前の本能なのです。いままた、世界は「相互扶助」を必要としています。新型コロナウイルスの感染拡大で人類社会が根底から揺さぶられている中、世界中の賢者たちがコロナ時代のキーワードとして「相互扶助」を挙げているのです。新しい「隣人の時代」の訪れを感じながら、いま、万感の想いで本書を読み返したいと思います。

 

隣人の時代 有縁社会のつくり方

隣人の時代 有縁社会のつくり方

 

 

 

2021年4月23日 一条真也