「論語と算盤」で行こう!

一条真也です。
18日、小倉の気温は0度で、朝から雪が降りました。寒さに震えましたが、この日の早朝から松柏園ホテルの神殿で恒例の月次祭が行われました。

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松柏園の庭園に雪が・・・

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月次祭のようす

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コロナ完全対応で執り行われました

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玉串奉奠で拝礼する佐久間会長

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わたしも拝礼しました

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神殿での一同拝礼!

 

皇産霊神社の瀬津神職が神事を執り行って下さり、祭主であるサンレーグループ佐久間進会長に続いて、わたしが社長として玉串奉奠を行いました。会社の発展と社員の健康・幸福、それに新型コロナウイルスの感染拡大が終息することを祈念しました。

f:id:shins2m:20210218083427j:plain本日の「天道塾」のようす

f:id:shins2m:20210218083503j:plain最初は、もちろん一同礼!

f:id:shins2m:20210218083938j:plain訓話する佐久間会長

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新時代の互助会のあり方を問いました

神事の後は、恒例の「天道塾」を開催しました。最初に佐久間会長が訓話を行いました。会長は、「いま、日本電産永守重信という方に注目しています。まだ76歳だそうですが、1兆円以上の事業を成功されていることも素晴らしいですが、その社員教育がまた素晴らしい」と述べました。それから、松下幸之助出光佐三稲盛和夫といった経営の先達たちの名を挙げ、そのルーツには渋沢栄一がいたとして、「論語と算盤」について語りました。そして、「コロナがまだ収まりませんが、互助会の役割はますます高まるものと信じています。時代の変化に合わせた新しい募集の形を考えて、未来を創造していきましょう」と述べました。

f:id:shins2m:20210218091229j:plainわたしが登壇しました

 

それから、社長であるわたしが登壇して、訓話を行いました。今日は黄色のネクタイに合わせた色の不織布マスクを着けました。わたしはまず、「いよいよワクチンが日本に入ってきましたが、新型コロナウイルスの終息には程遠いですね。まだまだ先が見えません。日本各地に緊急事態宣言が発令されていますが、先月は各事業部において新年祝賀式典を行いました。責任者のみなさんからは、力強い決意表明を受け取りました」と述べました。それから以下のような話をしました。

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渋沢栄一の話をしました 



佐久間会長の話と重なりますが、新しいNHK大河ドラマ「青天を衝け」が2月14日から始まりました。主人公は新1万円札の顔になる渋沢栄一です。約500の企業を育て、約600の社会公共事業に関わった「日本資本主義の父」として知られています。晩年は民間外交にも力を注ぎ、ノーベル平和賞の候補に二度も選ばれています。その彼が生涯、座右の書として愛読したのが『論語』でした。渋沢栄一の思想は、有名な「論語と算盤」という一言に集約されます。それは「道徳と経済の合一」であり、「義と利の両全」です。結局、めざすところは「人間尊重」そのものであり、人間のための経済、人間のための社会を求め続けた人生でした。

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マスクを外して、渋沢栄一を語る 

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熱心に聴く人びと

渋沢栄一は、天保18年(1840年)、武蔵国榛沢郡血洗島(現在の埼玉県深谷)に豪農の子として生まれています。慶応3年(1867年)、15代将軍となった徳川慶喜実弟で、後に最後の水戸藩主となる徳川昭武が、将軍慶喜の名代としてパリ万国博覧会に派遣されます。このとき、慶喜に仕えていた渋沢は、昭武のお供を命ぜられ、フランスへ渡りました。渋沢がフランスに滞在しているとき、江戸幕府は滅びます。そこで渋沢は、明治元年(1868年)に帰国します。そこからの渋沢は、まさに快刀乱麻の大活躍でした。

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拠り所は『論語』! 

 

渋沢栄一は、第一国立銀行(現在の東京みずほ銀行)を起こしたのをはじめ、日本興業銀行東京銀行(現在の東京三菱)、東京電力東京ガス王子製紙、石川島造船所、東京海上火災東洋紡清水建設麒麟ビール、アサヒビールサッポロビール、帝国ホテル、帝国劇場、東京商工会議所東京証券取引所聖路加国際病院日本赤十字病院、一橋大学日本女子大学東京女学館など、おびただしい数の事業の創立に関わりました。渋沢は、「自分さえ儲かればよい」とする欧米の資本主義の欠陥を見抜いていました。ですから、彼は「社会と調和する健全な資本主義社会をつくる」ことをめざしますが、その拠り所を『論語』に求めました。

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右手に『論語』、左手に算盤! 

 

なぜ、実業家である渋沢が『論語』を読み込んだのか。それは、彼が会社を経営する上で最も必要なのは、倫理上の規範であると知っていたからです。渋沢の思想は、有名な「論語と算盤」という一言に集約されます。それは「道徳と経済の合一」であり、「義と利の両全」です。結局、めざすところは「人間尊重」そのものであり、人間のための経済、人間のための社会を求め続けた人生でした。特筆すべきは、あれほど多くの会社を興しながら財閥を作ろうとしなかったことです。後に三菱財閥を作った岩崎弥太郎から手を組みたいと申し入れがありましたが、これを厳に断っています。利益は独占すべきではなく、広く世に分配すべきだと考えたからです。

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わが名の由来は『論語』の「中庸之和」 

 

論語』はわたしの座右の書でもあります。わたしの「庸和」という名前の出典は『論語』の「中庸之和」です。2012年に孔子文化賞を受賞したとき、世界孔子協会の孔健会長が特製論語の扉に「佐久間先生謹呈 中庸之和」と書いて下さいました。この名をつけてくれたのは祖父の栗田光十郎で、筋金入りの『論語』好きでした。ちなみに、松柏園ホテルの「松柏」も、『論語』の「歳寒くして、然る後に松柏の彫むに後るるを知る」に由来します。わたしも、松柏園も、『論語』の申し子なのであります。そこんとこ、ヨロシク!(笑)

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論語』を生かした3人の日本人とは?

 

わたしは、『論語』の真価を最も理解し、それを現実面でも生かした日本人が3人いると思っています。聖徳太子徳川家康渋沢栄一です。聖徳太子は「十七条憲法」や「冠位十二階」に儒教の価値観を入れることによって、日本国の「かたち」を作りました。徳川家康儒教の「敬老」思想を取り入れることによって、徳川幕府に強固な持続性を与えました。そして、渋沢栄一は日本主義の精神として『論語』を基本としたのです。

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論語』は最高の成功指南書!

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熱心に聴く人びと

 

聖徳太子といえば日本そのものを作った人、徳川家康といえば日本史上における政治の最大の成功者、そして渋沢栄一は日本史上における経済の最高の成功者と言えます。この偉大な3人がいずれも『論語』を重要視していたということは、『論語』こそは最高最大の成功への指南書であることがわかります。渋沢には、『論語』の言葉を題材にして、自身の経験や思想を縦横無尽に語った『論語と算盤』という著書がありますが、日本人が書いた最高の『論語』入門書だと言えます。 

f:id:shins2m:20210218091447j:plain論語と算盤」とは、ハートフル・マネジメント !

 

経営学ピーター・ドラッカーは著書『マネジメント』上田惇生訳(ダイヤモンド社)で、「率直に言って私は、経営の『社会的責任』について論じた歴史的人物のなかで、かの偉大な明治を築いた偉大な人物の一人である渋沢栄一の右に出るものを知らない。彼は世界の誰よりも早く、経営の本質は『責任』に他ならないということを見抜いていたのである」と絶賛しました。そう、「利の元は義」です。自分の仕事に対する社会的責任を感じ、社会的必要性を信じることができれば、あとはどうやってその仕事を効率的にやるかを考え、利益を出せばよいのです。「論語と算盤」とは、ハートフル・マネジメントを言い換えたものです。ドラッカー渋沢栄一をこよなくリスペクトするのも当然だと言えます。

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論語と算盤」で行きましょう!
 

そして、渋沢自身は孔子をこよなく尊敬していました。わたしの著書に『孔子とドラッカー新装版』(三五館)という本がありますが、渋沢栄一こそは、まさに孔子ドラッカーをつなぐ偉大なミッシング・リンクでした。わたしも、渋沢と同じく「利の元は義」だと確信しています。そして、「論語と算盤」こそは、わがサンレーの目指す「天下布礼」の別名であると思っています。『青天を衝け』は20%の高視聴率でスタートしましたが、時代が『礼』の思想を求めているのでしょう。まさに、わたしたちの時代です。これからも、『論語と算盤』で行きましょう!」と述べてから降壇しました。

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佐久間会長からコメントが!

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最後は、もちろん一同礼!


わたしが降壇すると、佐久間会長がマイクを取って、「いまの社長の話には、『会長はこう言ったけど、自分はこう思う』といったことがまったくありませんでした。事業の継承というのは思想の継承であり、考え方が同じであることが何より嬉しく、心強く感じました」とのコメントを頂きました。わたしの考えは、もともと佐久間会長の受け売りですので、それは当然のことだと思います。こうして、 今年最初の「天道塾」は大いに盛り上がって終了しました。

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雪が舞う松柏園の庭園にて

 

午後からは、全互協のグリーフケアPTのリモート会議が行われます。わたしは座長として参加いたします。一昨日は全互協の儀式継創委員会のリモート会議に、昨日は同じく全互協の正副会長会議に初のリモート参加しました。全互協本部のある東京まで行こうかとも思いましたが、緊急事態宣言でスターフライヤーが極端な減便をしており、上京できる状況にありませんでした。冠婚葬祭業界もまだまだ業難の中にありますが、「天下布礼」のために頑張ります!

 

2021年2月18日 一条真也